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« 三州奇談卷之四 像有神威 | トップページ | 早川孝太郎「猪・鹿・狸」 狸 八 狸の火 »

2020/04/05

早川孝太郎「猪・鹿・狸」 狸 七 狸と物識り

 

     七 狸 と 物 識 り

  貉[やぶちゃん注:「まみ」。「三 狸の穴」の私の注を参照。]の皮を狸と間違へて買つた話がある。えらい山の中などで、よくある手だと言うた。板に張つて吊してあるのを、何も知らぬ町育ちの行商人などが、何の皮だ成程こりや狸だねなどゝ、お愛想のつもりで言うと、アヽ狸だが幾何[やぶちゃん注:「いくら」。]かに成らぬかいなどゝ、空恍けて[やぶちゃん注:「そらとぼけて」。]居る。何だ此爺、狸の相場を知らぬのかと、遂ムラムラと欲が出て、狸でその値なら安い物だ、如何にもこんな山の中では、世間の相場は知るまいなどと一人極め[やぶちゃん注:「ひとりぎめ」。]して、慌てゝ金を拂つて擔いで來た。お前マミ(貉)の皮を買ふかいなどゝ、途中で話しかけられて、ギヨツとしたと謂ふ。貉では狸の皮の十分の一にもならなんだのである。何處から買つて來た、アヽ又彼奴[やぶちゃん注:「あいつ」。]に欺されたかなどゝ笑はれて、泣き出す者もあつたさうである。それでも未だ諦め切れないで、狩人といふ狩人の家へ、一々寄つて訊いたさうである。幾何でもいゝから、其處らに置いて賣つておくれと、投げ出して行く者もあつたという。

 貉と狸とは見た目で直ぐ判つたのであるが、それは狩人の話で、素人には容易に判らなんだと言う。さうかというて狩人でも、判らぬ場合も又あつた。

[やぶちゃん注:私はかなり違うと思うが、「兵庫県立人と自然の博物館」提供の「アライグマ・タヌキ・アナグマの見分け方」PDF)が画像で非常に判り易いのでお勧めしておく。そこに出る北米原産であるアライグマ(食肉目イヌ亜目クマ下目イタチ小目アライグマ科アライグマ亜科アライグマ属アライグマ Procyon lotor)は当時の本には棲息していないので、本書内では関係ない。日本国内でのアライグマの野外繁殖が確認されたのは一九六〇年代で、飼育個体の脱走及び人為的放逐による。

 狸だ貉だと散々爭つた末に、村の物識りの所へ擔ぎこんだ話がある。その物識りと言ふのが盲目だつた。座敷に寢て居てさう言うたさうである。肢にアカギレがあるかやと、さう聞かれて見たら如何にも肢の裏にアカギレがあつた。そんなら狸だぞよと、寢て居て見分けたなどゝ言うた。その變な物識りは、十七の年に眼を患つて、廿歲の時には皆目見えなんださうである。それで居て村の事なら何でも知らぬ事は無かつた。目が見えなくても山の地境や地形迄、不思議な程よく知つて居た。何處の山にどんな石のある事迄知つて居た。あの人が眼が見えたらと、惜しまぬ者は無つたと謂ふ。それで居て晚年は殊に氣の毒だつたさうである。女房に死別れてから、後添を迎へたが、その女との間に娘が一人あつた。間もなくその女房は恐ろしい癩病が出て、村で作つた山の中の小屋で死んださうである。その後娘が十三の年に、罪業障滅の爲とあつて、連立て[やぶちゃん注:「つれだつて」。]廻國に出たさうである。四國八十八ヶ所から、奧州の鹽釜迄廻つたと言ふ。最後に村へ歸つた時は、江戶の雉子橋御門の中の長屋で、會へぬと思つた從弟に遇つて來たと言うて、ひどく喜んで居たさうであるが、それから間もなく死んだと言ふ。その娘も癩病の母を持つたゝめに、可哀相な身の上だつた。ひどく親思ひの娘だつたといふが、十三の年から廻國をし通して、どうした事情であつたか、十七の年に美濃の岩村で、雪の中に凍えて居たと言ふ。それが廻國の姿であつたさうだ。助けられて家へは歸つて死んだとの話だが、もう百年近くも前の事である。

[やぶちゃん注:アカギレのあるなしでのタヌキとアナグマの識別をするというのは、思うに――タヌキの肉球が硬く、アナグマのそれが非常に柔らかい(福田史夫氏のブログの「アナグマ、タヌキ、ハクビシンの足裏 The paws of badger, racoon dog & masked palm civet.」を見られたい)という違いによる見た目の変化――を言っているように思われる。則ち、タヌキのそれは硬質化していて肉球表面がザラついて亀裂が起こり易い。それに対してアナグマの肉球は福田氏によれば、『ぼくらの耳タブのような柔らかさ』であるとあるのである(福田氏のそれに写真もある)。

「癩病」「らいびやう(らいびょう)」。ハンセン病。抗酸菌(マイコバクテリウム属 Mycobacteriumに属する細菌の総称。他に結核菌・非結核性抗酸菌が属す)の一種である「らい菌」(Mycobacterium leprae)の末梢神経細胞内寄生によって惹起される感染症。感染力は低いが、その外見上の組織病変が激しいことから、洋の東西を問わず、「業病」「天刑病」という誤った認識・偏見の中で、今現在まで不当な患者差別が行われてきている(一九九六年に悪法「らい予防法」が廃止されてもそれは終わっていない)。歴史的に差別感を強く纏った「癩病」という呼称の使用は解消されるべきと私は考えるが、何故か、菌名の方は未だに「らい菌」のままである。おかしなことだ。「ハンセン菌」でよい(但し、私がいろいろな場面で主張してきたように、単に差別の「言葉狩り」をしても意識の変革なしに差別はなくなりはしないのである。ここで私が指摘する差別の問題も実は全く同じものであると私は考えている)。

「雉子橋御門」雉子橋は東京都千代田区一ツ橋のここ(グーグル・マップ・データ)。そこで場所を覚えて頂き、次に、下に当時の切絵図風のそれが、上に現在の地図(但し、一致型ではなく、線上で南北がそれに切り替わる形である)の組み合わせの優れもののサイト「古地図 with MapFan」(残念乍ら特定の場所をリンクは出来ない)で調べると、「雉子橋御門の中の長屋」の中で武士でない民間人が居そうな場所で、しかも巡礼が立ち入ることが出来そうな場所は、門に入ったすぐ左手の「御用屋鋪」の南側にある「御舂屋(おつきや)」しかないと思う。現在の、竹橋の北詰、地下鉄「竹橋駅」の地上附近で、ここは江戸城内で消費する幕府蔵米の精米や餅を舂(つ)く場所で、江戸城内で使われる食材や燃料などを集荷管理する総合施設でもあった。ここに彼の従弟は中間とか下級職人等として住み込んでいたものかも知れない。

「十七の年に美濃の岩村で、雪の中に凍えて居たと言ふ。それが廻國の姿であつたさうだ。助けられて家へは歸つて死んだとの話だが、もう百年近くも前の事である」「美濃の岩村」は現在の岐阜県恵那市岩村町(グーグル・マップ・データ)。本書刊行は大正一五(一九二六)年十一月であるから、その百年前、この娘が満十六かそこらで亡くなったのは文政九(一八二六)年頃となる。そこから逆算することになるので、この目の見えない物知りの老人の亡くなったのが、三、四年前となり、この話柄の後半部分は実は特異的に古い幕末の話ということになるのである。それにしてもこの娘の話はひどく哀れである。私は注しながら、気持ちが重くなってしまった。]

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