甲子夜話卷之六 6-8 相州大山の怪異の事
6-8 相州大山の怪異の事
山嶽は靈あるもの也。嘗我内の一小吏、人と共に相州の大山に登り、麓の旅店に憩ゐたるに、又二人づれにて來るものあり。此時巳に夕七つに過ぐ。二人山に陟らんとして、阪を步むこと常ならず。足逶迤として不ㇾ進。かくすること兩三度なり。店主及諸人の曰。暮に及んで山に入こと有べからず。必ず異事あらんと。二人曰、今夕山半に宿し、明日頂上に登ん爲なりとて、遂に陟る。其あとにて人皆言ふ。彼必ず變を招かん。察するに人を害する者にして、登山に託して遁るゝならんと云しに、山行四五町も上らんと思ふ頃ひに、俄に雷鳴あつて、大雨盆を傾るが如し。暫時にして天晴る。時已に黃昏に過ぐ。皆言ふ。これ直事ならず迚、明朝山に陟り行に、半途に至らざる中、前日二人の著せしおゆづりと云もの、山樹の枝に懸り有て、二人は在らず。皆云、果て山靈の爲に失はれしならんと。是小吏諸人と同伴して目擊せし所なり。彼二人の内、一人は女なりしと云き。如ㇾ是なれば、壽菴が芙嶽に陟れるに、魚肉を携へ笛を弄しても、其身不善事なきときは、山靈の怒を惹ことなきか。
■やぶちゃんの呟き
「嘗」「かつて」。
「相州の大山」神奈川県伊勢原市・秦野市・厚木市境にある標高千二百五十二メートルの山。古くから山岳信仰の対象とされ、山頂に大山石尊大権現と称し、巨大な岩石を磐座(いわくらとして祀った阿夫利神社上社があり、中腹に阿夫利神社下社と大山寺が建つ。江戸中期からは大山御師(おし)の布教活動により「大山講」が組織され、庶民は盛んに「大山参り」を行い、山の麓には宿坊等を擁する門前町が栄えた。また、同山では天狗信仰も盛んで、阿夫利神社には大天狗・小天狗の祠があり、日本の八天狗に数えられたという「大山伯耆(ほうき)坊」の伝承が伝わる。
「夕七つに過ぐ」夏場と仮定すると、不定時法だと、午後五時を有意に回った頃(そこから午後八時までの間となるが、後で「黃昏」と出る)。定時法なら、午後五時前後。
「陟らん」「のぼらん」。
「阪」坂。
「逶迤」「いい」。これは「斜めに行くさま」・「曲がりくねって続くさま」・「不正なさま」を言う語。ふらふらとして如何にも心もとない足運びであることを指す。
「不ㇾ進」「すすまず」。
「兩三度」二、三度試みようとしていること。
「曰」「いはく」。
「今夕」「こんゆう」。
「山半」「やまなかば」。
「登ん」「のぼらん」。
「陟る」「のぼる」。
「人を害する者にして」人に何らかの危害を加えた咎人であって。
「託して」かこつけて。言い訳にして。
「遁るゝならん」「のがるるならん」。
「山行」「さんかう」。
「四五町」四百三十七~五百四十五メートル。二人の後ろ影が仄かに見えていたのであろう。
「頃ひ」「ころほひ」。
「傾る」「かたむくる」。
「黃昏」「たそがれ」。
「直事」「ただごと」。
「迚」「とて」。
「陟り行に」「のぼりゆくに」。
「彼」は三人称ではなく、あの二人ずれがこの時間に登るという仕儀全体を指す。
「半途」「はんと」。登り行く道の途中。頂上までの行程の半ば。
「中」「うち」。
「著せし」「ちやくせし」。
「おゆづり」不詳。識者の御教授を乞う。
「果て」「はたして」。
「山靈」「さんれい」と読んでおく。
「如ㇾ是」「かくのごとく」。
「壽菴」江戸後期の医師で奇行で知られた静山とは同時代人の川村寿庵(?~文化一二(一八一五)年)。「5-21 又林氏の說幷川村壽庵の事 / 5-22 壽庵が事蹟 / 5-23 又、芙岳を好む事」を参照。
「芙嶽」富嶽。富士山。
「不善事なき」「善(よ)からざる事なき」。
「怒」「いかり」。
「惹ことなきか」「惹(ひく)ことなきか」。