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2020/04/19

甲子夜話卷之六 7 前載、交暈の遺事

6-7 前載、交暈の遺事

前册に云たる正月廿一日交暈のことは、人々の所見異なり。予が上邸より他へ使者に出たるもの、四つ時頃常盤橋の外にて見たるは、司天官の圖の如くなりしと。其始は二暈虹の如くにして、日輪は常に不ㇾ異。還塗豐嶋町に至る頃は、暈の色總じて白く、雨曇の交りたる處、色日出の輝けるが如しと。又九つ頃、同邸の一夫が猿屋町の邊にて見しは、我が頂上に當りて、相撲のかたやほどなる圓形の白き雲あり【卽暈なり】。其圓中は蒼々色なり。此外に淺草御門の上に當り、虹の如きもの輪をなし半ば見へたり。又別に本所竪川の上に當り、同く虹の如きものあり。靑紅色にて、少く色薄し。其後本所の地に行たるに、これを見れば、かの暈も分散してもとの形に非ず。此時八つ時過なるべしと云。

■やぶちゃんの呟き

「前册に云たる正月廿一日交暈のこと」巻第五の二番目の「文政五年春、日に交暈ある事圖」。文政五年正月二十一日(グレゴリオ暦一八二二年二月十二日)に発生した「交暈」(かううん(こううん))、暈(かさ)現象のこと。原理はウィキの「暈」を見られたい。

「予が上邸」平戸松浦藩家上屋敷。現在の東京都台東区浅草橋にある都立忍岡(しのぶがおか)高等学校(グーグル・マップ・データ)やその南の柳北公園等のある一帯にあった(蓬莱園という名園で知られた)。「古地図 MapFanで秋葉原駅を探し、そこを拡大して東北東にずらして行くと、忍岡高・柳北公園を見出したら、そこを中央にして隠すと、下方の切絵図に逆さまに「松浦壱岐守平戸藩上屋敷」の文字が見えてくる。

「四つ時頃」午前十時前後。

「常盤橋」ここ(グーグル・マップ・データ航空写真)。日本銀行の前。右上部に忍岡高校を配した。

「司天官の圖」「文政五年春、日に交暈ある事圖」で私が作成し直した図を再掲しておく。

 

Image_20200419083101

 

「不ㇾ異」「ことならず」

「還塗」「くわんと」。帰り道。静山の使者が使いを済ませて帰る途中。

「豐嶋町」これは現在の今の東神田附近の内で、都立一橋高等学校(グーグル・マップ・データ)北西部外の、神田川沿いの旧町名である。「古地図 MapFanで一橋高校を探し、それを中央で隠すと、現在の「美倉橋」が「新(あたらし)シ橋」となり、その南詰から神田川に沿って六区画の「豊島町」を確認出来る。

「雨曇」「あまぐも」。

「交りたる」「まじはりたる」。

「九つ頃」正午前後。

「猿屋町」浅草猿屋町であろう。現在の台東区浅草橋二・三丁目(グーグル・マップ・データ)。平戸藩上屋敷の南東三百メートルの直近。

「相撲のかたや」「相撲の方屋」。相撲の土俵場。

「卽」「すなはち」。

「蒼々色なり」「さうさうたるいろなり」と訓じておく。青みを帯びた色であった。

「淺草御門」現在の浅草橋の南詰(グーグル・マップ・データ)にあった。

「見へたり」ママ。

「竪川」「たてかは」。現在の首都高速七号小松川線の真下を流れる運河である竪川(グーグル・マップ・データ)。江戸城から見て本所を縦(東西)に貫通して流れることから、この名となった。

「八つ時過」午後二時過ぎ。

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