三州奇談卷之五 異獸似ㇾ鬼
異獸似ㇾ鬼
此話の序に語るを聞けり。
……此狒々は能く風雲を起し、此中を飛行(ひぎやう)す。又能く人を投ちらし、引裂き捨つ。
[やぶちゃん注:完全に前話の「黑部の水源」の続編(狒々でダイレクトに続き、筆者が聴き取る話者も同一人)として書かれた本書中の特異点である。その語りの連続性を出すために頭に特異的にリーダを打った。表題は「異獸、鬼に似る」と訓じておく。]
今日の衆の中、伊折(いをり)村源助と云ふ者は、伐木の徒の雇(やとひ)の中にて頭立(かしらだち)たる者なり。多力にしてよく走り、一日(いちじつ)二三人の友を得て山を獵し、獸を煮て喰はんとて山に入ることありしが、一日(いちにち)の中に猿・狸の類を七十餘疋を取り、皆(みな)刀を用ひず、拳(こぶし)を以て打殺す。かばかりの剛氣者なり。
[やぶちゃん注:「伊折村」富山県中新川郡上市町伊折(グーグル・マップ・データ)。先の注で出した剱岳の登山拠点である馬場島(ばんばじま)がある。早月川流域では最も山奥にある集落であるが、現在、世帯数はゼロである。]
同村作兵衞と云ふ者、是も又伐木の雇人なり。井戶菊の谷といふ所へ初めて入る時に、彼(か)の風雲起り入ること能はず。人を投ちらすこと多し。人々先づ返り去る。此作兵衞、少し氣弱き者にやありけん、獸の氣にうたれて忽ち氣を失ふ。獸の氣彌增(いやま)して作兵衞を空中に摑みて引上げ、腕を取りて引裂かんず[やぶちゃん注:「むとす」の略縮形。]氣色なり。足既に地を離れ、兩手左右へ延ぶ。此時、諸木を伐る者[やぶちゃん注:国書刊行会本では『此時(このとき)、日暮にかゝりし故、もろもろの木を切(きる)者』。]、皆次の谷へ去りて知らず。源助は作兵衞が遲きを怪しみ立歸りしが、此體(このてい)をみて走來り、飛び上りて作兵衞が兩脚を摑みて引下(ひきおろ)すに、空中に襟髮(ゑりがみ)を喰(く)はへたりと見えて中々放たず。只磐石(ばんじやく)を引下すに異(こと)ならず。作兵衞は心魂脫けて生氣なきが如く、口より血を吐く事夥し。
[やぶちゃん注:「井戶菊の谷」国書刊行会本では『井戸菊水谷』となっている。国土地理院図を見ると、番場島へ南東から下る立山川の作る渓谷(早月尾根の南西直下)に「菊石」という地名を現認出来る。劔岳下方の最深部のトバ口で、この付近と考えてよかろうと思う。グーグル・マップ・データ航空写真でみると、この付近。]
源助、下にありて大いに怒りて、
「此上の大畜生、おのれらに此作兵衞を渡すべしや。我今におのれらを一々に摑み殺さん。速(すみや)かに作兵衞を返して去るべし。」
空中猶放たず。
源助大聲を上げ詈(ののし)り叫びて曰く、
「我を知らずして汝等此山に住むことを欲するや。おのれを引下して微塵となさん。此分(このぶん)に守るならば、百年といへども、我は捨去らんや。此腕汝が息の根を留(とむ)るに足れり。」
[やぶちゃん注:源助の台詞の中間部「此分に守るならば、百年といへども、我は捨去らんや」がよく意味が判らない。「この状態をそのまま変えない――作兵衛を空中へ引き上げようとしていること、ひいては、山に入る人を害し続けること――とならば、たとえ百年経っても、俺は貴様(妖獣狒々)を見逃すことは決してねえから、覚えとけ!」といった意で採っておく。この辺り、浄瑠璃の義太夫節の荒事の言上げを聴くようで、すこぶる面白い。]
されども空中猶放たず。
此時日暮れて、同村の者共谷を隔てゝ皆知らず。[やぶちゃん注:国書刊行会本では、ここは、『……知(しら)ず、終(つひ)に半夜にいたる。彼(かの)絶壁の道なれば、夜中又歩むべからず。』とある。]源助は歸る心半點(はんてん)もなし。
[やぶちゃん注:「源助は歸る心半點もなし」「源助には作兵衛をこのまま見棄てて帰る気持ちは微塵もしなかった」の謂いであろう。]
子の刻許りに至りて、作兵衞が目・口より血ながるゝ事隙(ひま)もなし。故に源助が一身血に染る。源助猶放たず。
寅の刻[やぶちゃん注:午前四時。]許りに至りて怪獸去りしと覺えて、作兵衞下に落ち、源助が背中に打覆(うちおほ)ふ。
[やぶちゃん注:「打覆ふ」幸いにして枝垂れかかって背中を覆うように上手く源助のところに落ちてきたのである。]
源助、作兵衞を呼びつけ、力を盡し守りて夜を明かす。
[やぶちゃん注:「呼びつけ」国書刊行会本では『呼生(よびい)け』で、その方が「魂呼ぶい」で、民俗社会にあっては、より正確でリアルである。]
既に日(ひ)出でしかば、谷を隔(へだて)たる者共皆來る。
作兵衞を介抱するに、生氣猶あり。水を飮ませ食を與へ、山小屋に折伏させて寢さす。
五六日にして本腹す。
源助は其日猶休まず、直(すぐ)に其谷に入りて、一番に巨樹を伐るに、又怪しみなし。
猶源助も我に咄せり。
「是(これ)ら天狗にも山神にも非ず、皆獸共の業(わざ)なり。其中に蛇怪あり、是は又恐るべし。故に山刀(やまがたな)を背中に放たず。山刀脊中にあれば、蟒蛇(うはばみ)の飮むといふことなし。刀の類(たぐひ)なければ、四五日の内には其人必ず行く所を失す。
此仲間に駄兵衞といふ者は、我等が中にも必(かならず)强き者なりしが、
『山刀を邪魔なり』
とて指(さ)さず。人々多く勸めてさゝせども、良(やや)もすればさゝず。或時久しく山刀をさゝぬ事ありしが、一月(ひとつき)許りは替ることなかりしが、或日しかも晝九つ時[やぶちゃん注:定時法・不定時法ともに正午。]頃の事なり。
『蛇の追ふよ』
と覺へて聲を上げて逃げ廻る。何れも皆、聲に驚き出で見るに見えず。纔(わづか)の水を隔てゝ向ひの岸を逃廻る。是を追ふ蛇を見るに見えず。只霧の如きもの隨(したが)ひつき、臭き香のすること甚だしく、風色々に吹廻す。不幸なるかな駄兵衞路(みち)を失して木に登る。樹に登るときは狼は甚だ避(さけ)得べし。蟒蛇はもと樹を我ものにすれば、
『忽ち樹にのぼるよ』
と覺えて、駄兵衞聲を連ねて大に叫び、
『梢より飛ぶよ』
と見えしが、落(おち)しもたてず、中(ちゆう)にて一吞(ひとのみ)にしたりと見えて、逆樣にまりて消失(きえうせ)ぬ。蟒蛇、寂として又見へず。只
『白霧の中にありし』
と覺えて、三尺四方許りの一かたまりの白光(しろびか)りなるもの、飛行(ひぎやう)する樣には覺えたり。是(おれ)蟒蛇の怪なり。氣を以て追ふにや。其全身の見ゆることなし。何としても敵(てき)し難し。故に山刀は暫くも放つことなし。
其餘の山中の變、夜は來りて小屋を押動(おしうごか)すの類(たぐひ)は、皆古獸(こじう)の業(わざ)なり。是らの類(たぐひ)何の恐るべきことなし。只春日(はるひ)暖かにして獨活(うど)の生ひ出(いづ)る時は、我らが樂しみ各(おのおの)の都(みやこ)に遊び給ふよりも增(まさ)れり。一年(ひととせ)もし皆(みな)獨活あるものならば、我らが商業の如くよき物は、天下にはあらじと思ふ」
とは云ひき。
其食とてあたふる所の物を聞くに、
「米と味噌」
のみなり。
かゝる山中に入りて生涯を送る。而して此詞あり。是又人間の一異怪のみ。
[やぶちゃん注:いやいや! そういうコーダときたか! 参ったわ!
「獨活(うど)」セリ目ウコギ科タラノキ属ウド Aralia cordata。若葉・蕾・芽・茎の部分が食用になり、香りもよい。蕾や茎は初夏五~六月と採取出来る期間が短いが、若葉はある程度長期間に渡って採取することが可能である。私も好物だ。参照したウィキの「ウド」によれば、『根茎を独活(どくかつ)と称し』、『独活葛根湯などの各種漢方処方に配剤されるほか、根も和羌活として薬用にされる』。『秋に根を掘り取って輪切りにし天日干ししたものを用いて、煎じて服用すると、体を温めるとともに頭痛や顔のむくみに効用があるとされる』。『また、アイヌ民族はウドを「チマ・キナ」(かさぶたの草)と呼び、根をすり潰したものを打ち身の湿布薬に用いていた。アイヌにとってウドはあくまでも薬草であり、茎や葉が食用になることは知られていなかった』とある。
「其食とてあたふる所の物を聞くに」その者に山中で暮らすに必要とする所の食物は何かと訊ねたところが。]