早川孝太郎「猪・鹿・狸」 狸 六 砂を振りかける
六 砂を振りかける
狸は人を嚇す時に、尻尾で人の頭を撫ぜたり、後ろから砂を振りかけると謂うた。鳳來寺道中の、追分の出離れの分垂橋の袂を通ると、狸が尻尾で頭を撫でると專ら言うた。それが或は事實であつたかと此頃になつて思ふ事がある。橋の袂に赤松が五六本立つて居て、中に一本道の上へ幹が差出したのがあつた。もう三十年も前であるが、村の某の狩人が、暮方通りかゝると、犬が上を向いて頻りに吠え立てたさうである。もう暮方ではあるし、其まゝ通り過ぎようとしたが、餘り吠え方が劇しいので、上を仰ぐと、其橫態[やぶちゃん注:「よこざま」。]になつた幹の上に、狸が上つて居たさうである。直ぐ擊殺して提げて來たが、思ひ掛けぬ事だつたと語つて居た。
[やぶちゃん注:「追分の出離れの分垂橋」「でばなれ」は或る区域から出たところの意。追分はここ(グーグル・マップ・データ。以下同じ)で、「分垂橋」は新城市門谷下分垂のこの中央の海老川に架かる橋。橋名板がガード・レールに付けられてあったが、盗難に遭って存在しない。エル氏のブログ「豊川上流域 そーなんだ!」の「事件か 盗難か」及び「窃盗団の仕業か?」の解説と写真で同定出来た。
「三十年」本書は大正一五(一九二六)年の刊行であるから、明治二九(一八九六)年前後。]
八名郡大野から遠江へ拔ける途中の、須山の四十四曲りの坂へは狸が出て通る人に砂を振りかけると言うた。それで夜分など滅多に通る者もなかつたさうである。或時大野の者が、須山から日を暮らして來て四十四曲がりにかゝると、後から少しづゝ砂を振りかけるものがある。初めは左程氣にもせなんだが、段々氣味惡くなつて、足を速めると尙盛にかける。果はおそろしくなつてどんどん駈け出すと、駈ければ駈ける程益々盛んになる。夢中で坂を駈け崩れて來て、途中の人家へ飛込んださうであるが、後になつて考へると、自分の穿いて居た草履が跳ねる砂だつたと、果ては大笑ひしたさうである。然しこんな話は別として、四十四曲りの或個所では、現に小石混りの砂を振りかけられた者も、大野町にあつたと言ふ。又某の修驗者は、其處で狸に化かされて、一晚中山をうろついて、須山の村で借りた提灯は骨ばかりになり、自分の着物も殆ど滅茶々々に引き裂いて、體中を茨搔にして、朝になつて歸つた事があつたと言ふ。修驗者を化す程の狸なら、砂をかける位は、朝飯前の仕事だつたかも知れぬのである。
[やぶちゃん注:「八名郡大野」新城市大野。
「須山の四十四曲りの坂」「須山」は現在の新城市巣山であろう。地図上の大野から峠越えをしてここに向かう県道四百四十二号は激しくうねっているので、この名に相応しい古道ように見えるのだが、どうもそうではないらしい。ヨッキれん氏のサイト「山さ行がねが」の驚くべき「道路レポート 愛知県道505号渋川鳳来線 八昇峠旧道(巣山坂) 机上調査編」の緻密な考証の最終結論では、大野と巣山間の「四十四曲りの坂」を持った古い嶮しい山道は、先ほど私が示した地図の、北の細川を経由する県道五百五号があるルートの原型であるようである。
「體中を茨搔にして」「茨搔」は「いばらがき」。体中を茨で引っ掻いたように傷だらけになって。]
« 早川孝太郎「猪・鹿・狸」 狸 五 狸を拾つた話 | トップページ | 石川啄木 詩集「あこがれ」(初版準拠版) 五月姬 »