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2020/04/22

柴田宵曲 俳諧随筆 蕉門の人々 其角 三

 

      

 ここでもう一度はじめに引いた蕪村の『新華摘』を開いて見る。

[やぶちゃん注:以下、底本では全体が二字下げ。]

其角は俳中の李青蓮と呼ばれたるもの也。それだに百千のうち、めでたしと聞ゆるは二十句にたらず覚ゆ。其角が句集は聞えがたき句多けれども、読むたびにあかず覚ゆ。是(これ)角がまされるところ也。とかく句は磊落なるをよしとすべし。

 蕪村は『五元集』の刊行される以前、其角自身浄書した稿本を見ていた。本来ならば「五元集」は蕪村の版下(はんした)で世に出るはずだったところ、彼が旅行に出て三年も帰らなかったため、亀成の謄写(とうしゃ)で刊行されることになったのである。蕪村と『五元集』との因縁は尋常一様のものでない。だから『新華摘』にはもう一カ所『五元集』の批評が書いてある。

[やぶちゃん注:「聞えがたき句」一読、理解し難い句。

「亀成」山本亀成(きせい)。江戸座に於いて一大勢力を形成した馬場存義(ぞんぎ 元禄一六(一七〇三)年~天明二(一七八二)年:二代前田青峨に学び、享保一九(一七三四)年に宗匠となって一派を率いて江戸座の代表的点者として活躍した。蕪村とも交友があった)の「存義側」の門下の宗匠の一人。没年は宝暦六(一七五六)年或いは明和五(一七六八)年。

「謄写」書き写すこと。書写本。

 以下、同前。]

五元集は角が自選にして、もとより自筆に浄写して剞劂(きけつ)氏にあたへ、世にひろくせんとおもひとりたる物なれば、芟柞(さんさく)の法も厳なるべし。さるを其集も閲(けみ)するに大かた解しがたき句のみにて、よきとおもふ句はまれまれなり。それが中に世に膾炙せるは、いづれもやすらかにしてきこゆる句也。されば作者のこゝろに、これは妙にし得たりなどうちほのめくも、いとむつかしく聞えがたきは闇夜ににしき著たらん類ひにて、無益のわざなるべし。

[やぶちゃん注:「剞劂氏」人名ではなく、版木屋のこと。

「芟柞」本来は除草や剪定のことで、ここは推敲の意。]

 この二条のいうところは必ずしも同一でないが、其角の句のわかりにくいという点だけは変りがない。われわれより大分其角に近いはずの蕪村にも、『五元集』はやはり難解の書だったのである。ただ蕪村は涯落の一語を以て其角の句を肯定し、わかりにくい句は多いが、「読むたびにあかず覚ゆ」と断言している。しかも「めでたしと聞ゆるは二十句にたらず」というのであるから、其角流の句を肯定しながらも、「めでたし」という標準はかなり高いところに置いてあるのであろう。蕪村が二十句に足らずと算えたのはどんな句か、実例の示してないのが遺憾に思われる。

[やぶちゃん注:「われわれより大分其角に近いはずの蕪村」宝井其角は宝永四(一七〇七)年没で、与謝蕪村は享保元(一七一六)年生まれ。]

 磊落の一語は其角の神(しん)を伝えていると同時に、蕪村の趣味を現した評語である。子規居士は蕪村のいわゆる磊落を以て積極的趣味とし、「雄渾も勁抜(けいばつ)も活動も奇警も華麗も放縦も皆磊落の一部なり」といった。

[やぶちゃん注:以上の正岡子規の見解は、かの「獺祭書屋俳話」(明治二五(一八九二)年新聞『日本』初出(連載)・翌明治二十六年五月日本新聞社刊)の出版後に、不満な点や認識訂正などを記した明治二八(一八九五)年十二月の「獺祭書屋俳話正誤」として発表したものの嵐雪の論についての修正記事の冒頭の要約である(正確な引用ではない)。国立国会図書館デジタルコレクションの完本「獺祭書屋俳話」(明三五(一九〇二)年十一月弘文館刊)より当該ページを視認して引く。

   *

以下嵐雪を論ずる處甚だ誤れり。大體に於て嵐雪をやさしきものに見て總て其角の反對なりと論じたるはいたく嵐雪を取り違へたるなり。嵐雪は寧ろ其角に似たるなり。蕉門幾多の弟子中最も其角に似たる者は嵐雪なり。嵐雪の句の佶屈なる處、斬新なる處、勁抜なる處滑稽なる處、古事を使ふ處、複雜なる事物を言ひてなす處等甚だ其角に似て只一步を讓るのみ其角嵐雪が特に名を得たるは其俳句に必しも名句多しとのわけならず、寧ろ何でも彼でも言ひこなす處、卽ち兩人が多少の智識學問を具へたる處にあるなり。[やぶちゃん注:以下略。]

   *

もとの「獺祭書屋俳話」の嵐雪の見解はここから。また、この前が其角に対する評となっているのでそれも電子化しておく。傍点「○」は太字下線、傍点「ヽ」に代えた。

   *

      寶井其角

蕉翁の六感なるものに六弟子の長所を評するの語あり。されどもその語簡單にして未だ盡さざるのみならず往々其要を得ざるものあれば漸次にこれが略評を試みんとす。初めに其角を評して「花やかなる事其角に及ばず」といへり。其角の句固より花やかなる者少からず。例へば

   鶯の身をさかさまに初音かな

   白魚をふるひよせたる四手かな

   名月や疊の上に松の影

等の如し。然れども其角一生の本領は、決して此婉麗細膩[やぶちゃん注:「ゑんれいさいじ」。しとやかにして美しく、細かく微細に亙って念入りであること。]なる所にあらずして却りて傲兀疎宕[やぶちゃん注:「がうこつそとう」。尊大にして屈せず、荒っぽくておおまかなこと。]の處恠奇斬新の處諧謔百出の處に在りしことは五元集を一讀せしものヽ能く知る所なり。其傲兀疎宕なる者を擧ぐれば左の如し。

   鐘一ツうれぬ日はなし江戶の春

   夕凉よくぞ男に生れける

   小傾城行てなぶらん年の暮

其角は實に江戸ツ子中の江戸ツ子なり。大盃を滿引し名媛を提挈[やぶちゃん注:「ていけつ」。引き連れること。]して、紅燈綠酒の間に流連せしことも多かるべし。されば芭蕉も其大酒を誡めて「蕣[やぶちゃん注:「あさがほ」。]に我は飯喰ふ男哉」といひし程の强の者なれば、是等の句ある固より怪しむに足らず。而してこれ卽ち千古一人の達吟たる所以なり。其恠奇斬新なる者は

   世の中の榮螺も鼻をあけの春

[やぶちゃん注:このサザエは御節料理で新年早々、壺焼きにされたそれか。されば「失望する」の意の「鼻をあけ」るの意が利いてくるか。]

   枇杷の葉や取れば角なき蝸牛

   初雪に此小便は何やつぞ

等の如し。是等卽ち巧者巧を弄し智者智を逞ふする所にして、其角が一吟人を瞞着するの手段なり。されば座上の卽吟に至りては其角の敏捷一座の喝采を博すること常に芭蕉に勝れたりとかや。その諧謔百出人頤を解する[やぶちゃん注:「ひと、おとがひをかいする」。大笑いさせる。]ものまた才子の餘裕を示し英雄の人を欺むく所以なれば其角に於てこれ無かるべけんや。例へば

   こなたにも女房もたせん水祝ひ

[やぶちゃん注:「水祝ひ」婚礼の際に婚家に向かう花嫁に対し、村の若者たちが途中で待ち受けて手桶の水を柄杓で花嫁にかけて邪魔する通過儀礼の一つ。こなたは独身の其角の連れの男への呼びかけ。]

   饅頭で人を尋ねよ山ざくら

[やぶちゃん注:一種の謎かけである。向井去来の「去来抄」の「同門評」にこの句を挙げて、『許六曰、是ハなぞといふ句也。去来曰、是ハなぞにもせよ、謂不應[やぶちゃん注:「いひおほせず」。]と云句也。たとへバ灯燈[やぶちゃん注:「提燈」の誤字であろう。]で人を尋よといへるハ直に灯燈もてたづねよ也。是ハ饅頭をとらせんほどに、人をたづねてこよと謂る事を、我一人合點したる句也。むかし聞句[やぶちゃん注:「ききく」。]といふ物あり。それハ句の切樣、或ハてにはのあやを以て聞ゆる句也。此句ハ其類にもあらず』と徹底的に馬鹿にしている。去来は「旅寝論」でもこれを挙げ、同様に批判している。]

   みヽづくの頭巾は人に縫はせけり

[やぶちゃん注:「頭巾」は鳥刺しが小鳥を捕らえる囮として使うミミヅクに被せるための頭巾のこと。それをミミヅクを主格にして言い換えた諧謔句。]

等の如し。然れども多能なる者は必ず失す其角の句巧に失し俗に失し奇に失し豪に失する者少からず而して豪放迭宕[やぶちゃん注:「てつとう」。気性が豪気なこと。]なる者は常に暴露に過ぐるの弊あり。其角句中其骨を露はす者を擧く[やぶちゃん注:「あぐれば」の誤植か。]れば

   吐かぬ鵜のほむらに燃ゆる篝哉

   二星私憾むとなりの娘年十五

[やぶちゃん注:「にせいひそかにうらむ となりのむすめ としじふご」で破格。但し、「五元集」では「二星恨むとなりの娘年十五」と正格となっている。私は破格のこちらの方が遙かによいと思う。「二星」は牽牛・織女のこと。彼らも、今年十五になる隣りの初々しい娘には羨ましく思っているに違いないという意。白居易の絶句「鄰女」をインスパイアしたもの。]

   此秋暮文覺我を殺せかし

[やぶちゃん注:頼朝に蹶起を促した文覚(もんがく:もと北面の武士遠藤盛遠)は十九で出家しているが、「源平盛衰記」巻第十九の「文覚発心」には、従兄弟で同僚であった渡辺渡の妻袈裟御前に横恋慕し、誤って殺してしまったのが、その動機とされるのを諧謔したもの。私の芥川龍之介「袈裟と盛遠」を参照。]

抔にして前に連らねし十數句とはその趣いたく變れり之を要するに其角は豪放にしてしかも奇才あり奇才ありてしかも學識あり。されば時として豪放の眞面目を現はし時として奇才を弄し學識を現はすなど機に應じ變に適して盤根錯節を斷ずること、大根牛蒡を切るが如くなれば芭蕉も之を賞し同門も之に服し終に兒童走卒をして其角の名を知らしむるに至りたり。其角はそれ一世の英傑なるかな。

   *

「神」精神。依って立つところ。

「勁抜」力強くして他に抜きん出ていること。]

 鶯の身を逆にはつねかな        其角

[やぶちゃん注:「逆に」は「さかさまに」と読む。]

 猫の子のくんづほぐれつ胡蝶かな    同

  曲終人不見

 暁の反吐はとなりか郭公        同

[やぶちゃん注:「反吐」は「へど」。嘔吐・「げろ」のこと。]

 千人が手を欄干や橋すゞみ       同

  巴江

 声かれて猿の歯白し峰の月       同

 秋の空尾上の杉をはなれたり      同

[やぶちゃん注:「尾上」は「をのへ」。山の頂き。頂上のこと。]

  三年成就の囲に入

 炉開や汝をよぶは金の事        同

[やぶちゃん注:「囲に入」は「かこひにいる」。「炉開」は「ろびらき」。]

  山行

 山犬を馬が嗅出す霜夜かな       同

 これらの諸句は難解に陥らざる範囲において、いずれも磊落の一面を発揮したものである。其角の磊落と蕪村の磊落との間には、自ら時代の相違があり、同一視するわけに行かぬようであるが、元禄第一の磊落作家として其角を推すことは、何人も異論のないところであろう。しかしながらこれを以て直に其角の本色を磊落に限ろうとするのは、いささか早計の読を免れまい。便宜のため各人に簡単なレッテルを貼って済ますことは、学界における一種の常套手段であるが、其角のような作者になると、なかなか一筋縄では行かぬのである。

[やぶちゃん注:「鶯の身を逆にはつねかな」諸家評は実景ではなく、屏風絵などの着想とするが、私は「だから何だ?!」と反問したいほど、この句はよく出来たイメージの名品と思う。

「曲終人不見」盛唐の詩人錢起の「省試湘靈鼓瑟」の末二句の前の句。

 曲終人不見

 江上數峰靑

  曲 終りて 人を見ず

  江上(こうしやう) 數峰 靑し

で、禅語として好まれる。しかし、ここは吉原遊廓の宴の明けた翌朝をそれに模し、隣りの酔客の吐く「反吐(へど)」に「郭公(ほととぎす)」の声を合わせるという大胆な取り合わせの妙を施したもの。

「千人が手を欄干や橋すゞみ」既出の「其便」所収。前書に『兩國橋上吟』とある。

「巴江」(はこう)は「巴峽」に同じで、現在の湖北省にある長江の峡谷。三峡の一つとして知られる巫峡の東下流、西陵峡の上流にある。本句「聲かれて猿の齒白し峰の月」は、その三峡の最上流の瞿塘峡を越えたところにあった白帝城から発った李白の名吟、「早發白帝城」(早(つと)に白帝城を發す)の一篇、

 朝辭白帝彩雲間

 千里江陵一日還

 兩岸猿聲啼不住

 輕舟已過萬重山

  朝(あした)に辭す 白帝 彩雲の間

  千里の江陵 一日(いちじつ)に還る

  兩岸の猿聲 啼いて住(や)まざるに

  輕舟 已に過ぐ 萬重の山

を視聴覚ともにインスパイアして見事である。

「秋の空尾上の杉をはなれたり」一九八九年岩波文庫刊の堀切実氏の編注になる「蕉門名家句選(上)」によると、これは「五元集」の句形で、志太野坡・小泉孤屋・池田利牛編の元禄七(一六九四)年刊の俳諧七部集の一つで「かるみ」をよく表わした撰集「炭俵」では中七が異なり、

 秋の空尾上の杉にはなれたり

となっているとある。堀切氏は『「杉を」の句形可とする説が多いが、これではやや説明的で平凡である。「杉に」のほうが杉の立つ勢い、空との境界線の明瞭さがよく出ているとみられる』と評しておられ、私もそれを支持するものである。「杉を」の動態的把握ではなく、「杉に」の広大なるパースペクティヴにこそがこの句の眼目である。

「三年成就の囲に入」「三年(みとせ)成就の圍(かこひ)に入る」と読んでおく。Yahantei氏のブログ「ブログ俳諧鑑賞」の「其角とその周辺・三(二十一~三十二)」の本句「炉開や汝をよぶは金の事」の評釈(「四十三」)によれば、

   《引用開始》

 「三年成就の囲(かこい)に入(いる)」との前書きがある。「この句は、かなり人口に膾炙しているが、前書のあることに気づかず、其角が炉開きをするとて門人を呼び集め、実はお前を呼んだのは金の相談だ、というようなことを露骨に言い放った如くに思われている」(今泉・前掲書[やぶちゃん注:今泉準一「元禄俳人宝井其角」(一九六九年桜楓社刊)。])。しかし、実態は、これまた、この古注にある、「諸侯方の金をかりに町人をよびし也。さればこそ汝とすゑたり」のとおり、世相風刺(当時の武家階級の露骨な町人階級への無理強いなどの風刺)の句なのであろう(今泉・前掲書)。前書きの「囲」は茶室の数寄屋と同意で、三年も日数を費やしての、贅を尽くしての「貴賓を招待」するために茶室を新築し、炉開きに招くのを口実として、実はその新築費用を町人(富豪)に出費させるという、そういうことを背景とした句なのである。さらに、これは、当時の五代将軍綱吉を迎えるための前田綱紀候などの例などが背景にあり、その茶室に其角も招かれて、この句の背景にあるようなことを実際に見聞して、「これはやりきれない」という其角の反骨の裏返しの句と理解すべきなのであろう(今泉・前掲書)。それが、よりによって、一般には、其角本人が無理強いをしたような風評が立つことは、其角にとっては、やり切れないことであったろう。

   《引用終了》

「山犬」我々が絶滅させてしまった食肉(ネコ)目イヌ科イヌ属タイリクオオカミ亜種ニホンオオカミ Canis lupus hodophilax(確実な最後の生息最終確認個体は明治三八(一九〇五)年一月二十三日に奈良県吉野郡小川村鷲家口(わしかぐち:現在の東吉野村大字小川(グーグル・マップ・データ)で捕獲された若いオスであった)。]

 繊細と磊落とは、全然相容れぬことはないにしても、かなり異った傾向のように見える。子規居士の語に従えば、繊細は積極趣味にあらずして消極趣味に属するのであろうが、其角は慥にこれを一身に兼有している。

 綿とりてねびまさりけり雛の顔     其角

 うつくしき顔かく雉の距かな      同

[やぶちゃん注:「距」は「けづめ」。]

 枇杷の葉やとれば角なき蝸牛      同

 五月雨や傘につる小人形        同

[やぶちゃん注:「傘」は「からかさ」、「小人形」は「こにんぎやう」。]

 きくの香や瓶よりあまる水に迄     其角

[やぶちゃん注:「瓶」は「かめ」。]

 すむ月や髭をたてたる蛬        同

[やぶちゃん注:「蛬」は「きりぎりす」。但し、これは漢字から見て現在のコオロギを指す。「蟋蟀」の「こほろぎ」の四音は俳句で使い難いので、一緒くたにして別に困らなかった「きりぎりす」のそれを用いたものと考える。但し、江戸以前の現在の「キリギリス」と「コオロギ」が種としても完全に逆転していたという十把一絡げ説には私は反対である。私の「和漢三才圖會卷第五十三 蟲部 蟋蟀(こほろぎ)」を読まれたい。学名もそちらで確認されたい。]

 螻の手に匂のこるや霜の菊       同

[やぶちゃん注:「螻」は「けら」。直翅(バッタ)目剣弁(キリギリス)亜目コオロギ上科ケラ科グリルロタルパ(ケラ)属ケラ Gryllotalpa orientalis。博物誌は私の「和漢三才圖會卷第五十三 蟲部 螻蛄(ケラ)」を読まれたい。]

 餅花や灯たてゝ壁の影         同

 これらの句にも其角らしい才気がほのめいていないことはない。但(ただし)如何なる才を以てしても、繊細な興味なしにこういう句を得ることは困難である。例えば第一に挙げた雛の句の如き、古来幾多の人が幾度繰返したかわからぬ経験であるが、其角はその中から永久に新なものを捉えている。しまってあった雛を出して、顔を包んだ綿を取る、その刹那に雛の顔の何となく「ねびまさり」たることを感ずるというのは、実に微妙な趣であって、蕪村の「箱を出る顔忘れめや雛二対」の句といえども、この意味においては竟(つい)に一籌(いっちゅう)を輸(ゆ)さなければならぬ。(「ねびまさりけり」という平安朝語が、雛の様子によく調和していることは勿論である)

[やぶちゃん注:「綿とりてねびまさりけり雛の顔」は其角の句の中でも最も私の偏愛する一句である。私は毎年、妻の子どもの頃の大雛段(御殿付きで十畳の居間の四分の一弱を占有する)を飾るのを楽しみにしている雛人形のフリークである。この「綿」には白無垢の婚礼装束にのみ被る綿帽子も通わせてあり、そうした意味でも「ねびまさりけり」の語が上手く利くようになっている。

「小人形」乾裕幸氏編著「蝸牛 俳句文庫1 榎本其角」(一九九二年蝸牛社刊)によれば、『端午の節句に、戸外に設けた柵の柱に兜を掛け、その上に飾った人馬の人形。甲冑を着せたり剣戟を侍たせたりする。木彫り、張子などがある。五月雨の折のこととて、兜の上ならぬ傘の下に小人形をつるして門に立ててある、という意』とする。また、堀切氏は元禄の頃には紙で作った冑人形が売られ、『当時』、『吉原で流行したともいう』ともあった。

「餅花や灯たてゝ壁の影」元禄四(一六九一)年序の琴風編「俳諧瓜作(うりつくり)」所収。個人的に非常に好きな其角の一句である。

「一籌(いっちゅう)を輸(ゆ)さなければならぬ」の「一籌を輸する」とは「一段階、劣る」「一歩、譲る」の意。「籌」は実務や占術に於いて数を数えるのに用いた木の串(くし)で、「輸する」の「輸」には「致す・運ぶ・移す」以外に「負ける・負け」の意があり、ここはそれ。もともとは宋の陸游の詩「九月六夜夢中作笑詩覺而忘之明日戲追補一首」の最終句「道得老夫輸一籌」に基づくという。

 其角のこういう興味は、恐らく彼が都会人として持って生れたものなのであろう。彼は慥に微妙な感覚の所有者で、それを巧に句の上に生かしている。

  四睡図

 かげろふにねても動くや虎の耳     其角

  三州小酒井村観音奉納

 如意輪や鼾もかゝず春日影       同

[やぶちゃん注:「鼾」は「いびき」。「三州小酒井村観音」不詳。識者の御教授を乞う。]

 越後屋にきぬさく音や衣更       同

 舟哥の均しを吹や夕若葉        同

[やぶちゃん注:「舟哥」は「ふなうた」、「均し」は「ならし」。]

 名月やかゞやくまゝに袖几帳      同

[やぶちゃん注:「袖几帳」は「そでぎちやう」。]

  妓子万三郎を悼て

 折釘にかつらや残る秋のせみ      同

[やぶちゃん注:「悼て」は「いたみて」。「妓子」は「ぎし」で、ここは女形の歌舞伎役者のことであろう。]

  品川泛釣

 雁の腹見送る空や舟の上        同

[やぶちゃん注:「泛釣」は「はんてう(はんちょう)」。品川沖に舟を浮かべて釣りするの意。]

 何となく冬夜鄰をきかれけり      同

[やぶちゃん注:「冬夜」は「とうや」、「鄰」は「となり」。]

 「四睡図」が寒山拾得と豊干(ぶかん)と虎とであることは贅(ぜい)するに及ぶまい。其角はその四睡図について寝入りながらも折々耳を動かすという虎を描いたのである。今と違って虎を自由に見るわけに行かぬ時代だから、恐らく猫から脱化したものであろうが、其角の才力はよく猫を以て虎に替え、虎を描いて狗(いぬ)に類するの弊を免れている。

 如意輪観音は片足を膝の上へ載せ、片肱(かたひじ)で頰杖をついている。その形を「鼾もかゝず」の一語を以て現したのは、其角一流の才気であるが、これを長閑(のどか)な春日の下に置く時は、和(なご)やかな相貌が眼前に浮ぶような気がする。前の句の「ねても動くや」、この句の「鼾もかゝず」共に一句の眼目であって、これあるが故にその画図なり仏像なりに「もののいぶき」が吹込まれるように思う。尋常の俳諧手段ではない。

 「越後屋」は今の三越の前身である。その絹裂く音を捉うるが如き、正に都会詩人得意の感覚であるが、市井趣味を十分に発揮しながら、軽佻(けいちょう)に流れざるを多(た)としなければならぬ。

[やぶちゃん注:「越後屋」現在の「三越」の前身で江戸時代の豪商。その基を開いた「三井」氏の先祖は、近江の佐々木氏の家臣と伝えられ、伊勢に移り、高俊の代(元和年間(一六一五年~一六二四年)) に松坂で酒造と質屋の営業を始め、後に父高安が越後守を称していたところから「越後殿酒屋」と呼ばれた。高俊の四男高利が延宝元 (一六七三) 年に江戸本町一丁目(後の駿河町)に呉服店を、京都に仕入れ店を開き、遂に大坂にも支店を開いて貞享四(一六八七)年には幕府呉服所となった。しかも両替商も兼業し、三都を結ぶ営業網によって発展し、元禄四(一六九一)年以降は幕府の金銀御為替用達も務め、大坂の鴻池家と並ぶ豪商となった。その発展の原因は、一つに「現金掛け値なし」「店前売り」という新しい販売方法にあり、従来の武家相手の掛売りを、店頭に商品を並べる町人相手の現金売買に改めて、実に「一日の売上げ一千両」と称される繁盛振りとなった。また、地方に製糸機業・綿織業が興ると、桐生・福島・八王子などの各地に支店や買宿を設け、直買又は前渡金による強力な問屋支配によって集荷を行い、典型的な全国的規模の商業を営んだ。幕末期になると、在地商人の台頭、諸藩の専売制実施などにより廉価仕入れが困難になったことから、三井家はその経営の重点を両替・金融に向けるようになり、呉服店経営の比重は減り、明治五(一八七二)年に「三井家」から分離して店名も「三越」と改めた。その後、明治二七(一八九六)年に三井呉服店、後に株式組織となって、以来、三越百貨店として現在に至っている(以上は「ブリタニカ国際大百科事典」に拠った)。

 堀切氏の前掲書によれば、森川許六(きょりく)は「俳諧問答」(元禄一〇(一六九七)年閏二月附で去来が其角に送った書状を皮切りとして翌年にかけて許六と去来の間で交わされた往復書簡を集めたもの)の「自明発明弁」で、『かやうの今めかしき物を取出して発句にすること以ての外の至り也』と』激しく非難している。]

 「舟哥の均し」は練習であろう。場所は何処かわからぬが、何人か揃って舟唄の稽古をしている。その辺の若葉を吹く夕風が、その舟唄の声をも吹渡るというので、一読爽快な感じを与える。林若樹氏の説によると御船唄の練習ではないかということだから、この人数は相当多いのかも知れない。初夏の夕方の空気と、若葉を吹く爽(さはやか)な風と、舟唄の稽古の声と、この微妙な調和は言葉で説明しにくいけれども、其角にあらずんば容易に捉え得ぬ趣である。

[やぶちゃん注:「林若樹」既出既注

「御船唄」「御船歌」。西岡陽子氏の論文『祭礼における「御船歌」』PDF)によれば、『幕府や藩の新造船の船下ろしや』、『領主の船出などに歌われた儀礼的な船歌を』指し、『これは幕府や諸藩のお船手の』内でも、『「歌水主(うたかこ)」などと称される「御船歌」歌唱を専門とする人々によって担われていた』もので、『近世初頭に謡曲を基調として成立したとされるが、曲目は多数あり、その性格も多様なものが含まれて、近世期に流行した各種の歌も』そこには『歌い込まれている』という。『幕藩体制の消滅とともに芸能伝承は完全に途絶しており、その詞章を記録した「御船歌」本が残るのみで芸能的側面については不明なことが多い。一方、各地で船の乗り初め、船下ろしなど船をめぐっての儀礼の場面で受容されて』おり、『また』、『海辺の神社の神輿渡御や海上渡御などにも歌われている。あるいは都市型祭礼における船型屋台に伴って伝承されている事例も少なくない』とあった。]

 「袖几帳」という言葉は『枕草子』にあったと思う。袖で顔を掩い隠すの意、飛驒の山中には今もこの語が残っていると、江戸時代の随筆に見えている。其角は勿論『枕草子』によって用いたのであろう。名月の皎々(こうこう)と照るままに面のあらわなるを恥じて袖で掩うというのは、当世よりもやはり平安朝にふさわしい趣である。其角は徒(いたずら)にこういう言葉を弄したわけではない。

[やぶちゃん注:乾氏の前掲書に、其角編の「末若葉(うらわかば)」(元禄一〇(一六九七)年刊)所収で、

   *

草のいほりたれかたづねん、とこたへ侍りしをめでゝくさの庵くさの庵とよばれしも、折にふれたる也。

   *

という前書があり、『「草のいほりたれかたづねん」は『枕草子』八十二段、頭の中将が白楽天の詩句「蘭省花時錦帳下」』(蘭省(らんしやう)の花(はな)の時(とき) 錦帳(きんちやう)の下(もと))『の末を継ぐことを求めたのに対する清少納言の返し』とある。原文は「JapaneseTextInitiative」のこちらの[80、81、82、83、84]の「頭中將そぞろなるそらごとを聞きて、いみじういひおとし……」以下を読まれたい。長いので引用する気が失せた。]

 「妓子万三郎」は村山万三郎のこと、「五元集」の他の箇所にもこの役者に関する句があった。元禄四年に麻疹で死んだのだそうである。其角のこの句は通り一遍の挨拶ではない。滲み出るような哀感が籠っている。其角は万三郎の華かな舞台の形見として、折釘に空しくかかっている鬘(かつら)を思いやったので、秋蟬は時節柄取合せたのであろうが、その声に力無いのもあわれが深い。『五元集』中秀句の一であろうと思う。

[やぶちゃん注:「村山万三郎」【2020424日改稿】当初、『不詳。私が複数の歌舞伎年表で調べ得た同名の歌舞伎役者は女形ではあるものの、宵曲のいう没年元禄四(一六九一)年よりも後の襲名者のものであった。識者の御教授を乞う』と注したが、昨日、いつも情報を戴くT氏より、

   《引用開始》

「村山万三郎」は、鳥居清信が元禄六年五月(月は推定)に出した「古今四場居百人一首」改め「古今四場居色競」に出る「村山万三郎」と思います(霞亭文庫の「古今四場居色競」の36コマ)。

同じものの複製は、国立国会図書館デジタルコレクションの稀書複製会編「古今四場居百人一首」の32コマでも見ることができます。そこに「村山万三郎」について十九(歳)でなくなったことが書かれています。

   《引用終了》

と御教授戴いた。

 まず、当該書の絵本であるが、書誌データを調べてみると、数奇な刊本で、書名は初め、「古今四場居色競百人一首」(ここんしばいいろくらべひゃくにんいっしゅ)で、童戯堂四囀(どうぎどうしてん)・恋雀亭四染(れんじゃくていしせん)作。刊行は元禄六(一六九三)年であったが、サイト「浮世絵 鳥居清信」の本書の解説(画像も総て載る)によれば、『当時人気の歌舞伎役者100人の評判記』であったが、『幕府より、歌舞伎役者ごときを小倉の撰に擬すことは不敬であるとして出版に当たり改題を申しつけられ、「古今四場居百人一首」[やぶちゃん注:ママ。本書には「古今四場異百人一首」の異名もある。]を「古今四場居色競」[やぶちゃん注:「ここんしばいいろくらべ」。]に改題したが、それでも絶版の上、版木および印刷本を没収される。このため現存する本は2冊のみとされる』とあり、絵師は鳥居清信とある。

 T氏の指摘を受け、国立国会図書館デジタルコレクションの画像を視認したところ、まず、左下方に「村山万三郎」と記し、絵は女形である。頭書を見ると、二行目から(私は仮名崩し字の判読が大の苦手であるが、自然流で判読した。比較の便を考え、原文と同じ位置で改行した)、

   *

大分はしかのはやりし年

九月にとし十九にして

菊花のいまだ末ながふ

してひらかぬつぼみをに

くきあらしの吹切て

此世の色もなさけも振

すて其身はいたつらに朽

はてにけると作者も淚

のゑだをおりてよみし

こそいとやさしくこそあれ

   *

と判読出来る(誤りがあれば御教授願えると幸いである)ので、「はしか」で亡くなったというのが、宵曲の「麻疹(はしか)で死んだ」という記載と一致し、本書の刊行年と合わせてみても問題がない。彼である。いつもながら、T氏に感謝申し上げる。なお、私も宵曲と同じく本句を哀感に富んだ名句と思うが、近代の其角の評釈書では採用されておらず(所持する二書と国立国会図書館デジタルコレクションで読める二書を見たが、所収しない)、非常に残念な気がしている。或いは万三郎なる人物が彼らには判らなかったから手控えたものかも知れぬなどと、自分を棚に上げておいて思ったりしたことを自白しておく。]

 「品川泛釣」の作者は海上に舟を泛べて釣を垂れつつある。空の雁も比較的低く飛んでいるのであろう。徐(おもむろ)に頭上を過ぐる雁の腹が白く見える。「雁の腹見送る」というのは奇抜なようで、実は自然な景色である。ここに「腹」及び「見送る」の語がなければ、どうしても雁の低く徐に飛んで行く様子が現れて来ない。そこにちょっと微妙な味があるのである。

[やぶちゃん注:「雁の腹見送る空や舟の上」この一句、「其便」では、

 厂の腹見すかす空や船の上

で、そこに並んで、既出の、

  橫江舟中

 白雲の鳥の遠さよ數は厂

が載る。堀切氏は前掲書で、『古歌「白雲に羽うちかはし飛ぶ雁の数さへみゆる秋の夜の月」について、これを「雁の影(姿)さへみゆる」と近景に捉えたときの詠み方を提示してみせたものとも解される』と評しておられるのは、非常に説得力がある見解である。標準或いは望遠と、広角レンズの二様の映像感覚がここで示されてあると私は読む。また、宵曲が挙げたのは「となみ山 浪化集下」(浪化編・元禄八(一九六五)年刊)及び「五元集」の句形で、「裸麦」(曾米編・元禄一四(一九七一)年跋)では、

 雁の腹見送(みおくる)空や船の中

と句形が微妙に変わり、其角はカメラマンとして多層的イメージをここでマルチに捉えようとしているととるべきであろう。]

 「何となく」の句は其角の作としては最も平淡な部類に属する。そこで『源氏物語』の夕顔の巻を特出して、隣の話声が耳に入ることを詠んだものだろうという説がある。其角のことだから、その位の種は伏せてあるかも知れない。しかし冬の夜に何ということもなく、隣家の物音に耳を澄しているのは、一種微妙な趣であって、同じ其角の作でも『田舎句合(いなかのくあわせ)』にある

 夢なほ寒し鄰家に蛤をかしぐ音     其角

[やぶちゃん注:「蛤」は「はまぐり」。破格である。]

の如きものではない。蕪村の「我を厭ふ鄰家寒夜に鍋を鳴らす」もやや浅露に失し、かえってこの句ほどの含蓄はないように思う。其角の句が磊落で片づかぬ所以はこういう点にある。

[やぶちゃん注:この「何となく冬夜鄰をきかれけり」の句は、其角編「続虚栗」(天和三(一六八三)年刊)では、『夜座』(やざ)という前書がある。

「田舎句合」其角編。延宝八(一六八〇)年序。この「蛤」の生々しく騒々しい炊ぐ音より、四年後の隣家向ける其角の感覚は、逆に何か詩的で幽かな静謐の中の、魂の感ずる精神の琴線に触れてくる音として、ある。

「浅露」表現や用語が浅薄で深みがない、味わいがない、含蓄がないの意。]

 以上挙げ来ったところは、其角集中にあっては比較的難解ならざるものである。蕪村が「世に膾炙せるはいづれもやすらかにしてきこゆる句也」といったのは、果してどういう句を指すのかわからぬが、右に挙げた句は必ずしも人口に膾炙したものばかりとも思われない。其角の句は比較的「やすらかにきこゆる句」の中にも、人口に膾炙する性質のものと、然らざるものとがあるのであろう。

 

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