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2020/04/07

早川孝太郎「猪・鹿・狸」 狸 十一 鍬に化けた狸

 

     十一 鍬に化けた狸

 自分がまだ五ツ六ツの頃だつた。街道端に茶店を出して居た一人者の婆さんが或雨の降る晚、追分から家へ歸る途中、北山御料林下の土橋から、下の谷へ轉がり落ちて死んだ事がある。何でもおきよ婆さんとか云つて、相當小金も貯めて居たと言ふ話だつた。傘を差したまゝ死んで居たさうである。狐が突き落したと云うたが、近くの盜人(ぬすと)坂の狸の仕業とも言うた。

[やぶちゃん注:「自分がまだ五ツ六ツの頃」早川氏は明治二二(一八八九)年生まれであるから、数えであろうから、明治二十六、七年となる。

「追分」ここ(グーグル・マップ・データ)。

「北山御料林下の土橋」例の早川氏の手書き地図を見ると、追分(左上の分岐がそれ)から少し下った位置(左岸一帯に「北山御料林」とある)に小流れが認められ、そこを道(現在は国道二百七十五号)が横切っているから、そこと考えてよかろう。国土地理院図を見ると、流れは僅かに確認出来る。

「盜人(ぬすと)坂」不詳。しかし次の段落の頭に「盜人坂は追分の村端れだつた。どうしてそんな名をつけたか知らぬが、村を出離れて北山御料林の、暗い森の中へは入らうとする入口で、今は道路改修で坂は無くなつたが、以前は崖に沿つた險阻な坂で」あったというのであるから、現在の国道二百七十五号の追分へ向かう近くに同定出来る(グーグル・マップ・データのこの辺り)。しかも早川氏の手書き地図を見ると、この小流れの右岸に「鳳来寺村字峯」へ向かう小道の山道(点線)がある(途中に「菴址」・「淨ルリ姫ノ祠」・「セリ塲」トコルに向かって記されてある)から、この辺りかと見当をつけてグーグル・ストリート・ビューを見てみたところが、前注で示した小流れ臭い部分(ここにだけポツンとごく短いガードレールが作られてあるのは、小流れであることの証左ではなかろうか?)とそこを登ってゆく山道らしきものを発見した。可否は読者にお任せする。

 盜人坂は追分の村端れだつた。どうしてそんな名をつけたか知らぬが、村を出離れて北山御料林の、暗い森の中へは入らうとする入口で、今は道路改修で坂は無くなつたが、以前は崖に沿つた險阻な坂で、かつて馬方が落ちて死んだ事もあつたりして、狸が出なくても、充分寂しい處だつた。日暮れに其處を通る時つと、きつと狸が出て惡さをすると言ふ。村の某の男だつた。暮方通りかゝると、未だ人顏の判る時刻であつたが、道のまん中に大男が立つて居て、それがどつちへ廻つても通れぬやうに邪魔をする。大抵の者なら怖れて遁げたのだが、血氣盛の剛膽者だけに、此奴と云ひながら、力任せに胸元を突退けた。すると男の姿は消えてしまつて、なにかカタリと音がして倒れた物があつた。氣がついて脚下を見ると、鍬が一挺倒れて居たと言ふ。大方誰かゞ置忘れた物だらうが、それを狸が利用して人間に見せたものだと言ふ。

 これは其坂が無くなつて後の、明治四十年[やぶちゃん注:一九〇七年。]頃の話である。追分の某が、他所[やぶちゃん注:「よそ」。]村へ田植の手傳ひに行つた歸りに、そこの手前迄來ると、何處から出たか一人の怪しい影が先に立つて行く。變な事だと思つて居ると、木立を出離れる處で立止つて動かなくなつた。某も少し氣味が惡くなつて、其處に止まつて昵と樣子を見て居ると、その怪しい影が段々山の方へ寄つて行つて、最後に崖へはり附いてしまつた。それでやつと步き出したが、傍を通る時見ると、もうその姿は無くなつて何か黑いものが、氣の所爲[やぶちゃん注:「せい」。]か見えたと言ふ。まだ人顏の判るメソメソ刻[やぶちゃん注:「じぶん」と訓じておく。後注参照。]だつたさうである。其時直ぐ後ろからやつて來た者があつたので、訊いて見たが、その者は一向氣がつかなんだと答へたさうである。勿論此話は、狸とも何とも言ふ譯では無かつた。

[やぶちゃん注:「メソメソ刻」夕方の薄暗くなって魑魅魍魎の跳梁する夜への境界時間である、所謂、「逢魔が時」である。小学館「日本国語大辞典」に「めそめそどき」で方言とし、『薄暗くなった頃。夕暮』とし、長野県東筑摩郡の採取とし、他に「めそめそぐれ」で静岡県庵原郡、「めそめそじぶん」で愛知県北設楽郡採取とする。また、柳田國男の「妖怪談義」(昭和九(一九三四)年四月『国語研究』初出)の「三」にも、『甲州の西八代(やつしろ)で晩方をマジマジゴロ、三河の北設楽(したら)で「メソメソジブン」、その他ウソウソとかケソケソなとかいっているのは、いずれも人顔のはっきりせぬことを意味し、同時に人に逢っても言葉も掛けず、いわゆる知らん顔をして行こうとする者にも、これに近い形容詞を用いている。歌や語り物に使われる「夕まぐれ」のマグレなども、心持は同じであろう』と載る。「めそめそ」は泣く形容のそれと同語源で、勢いが衰えることの意であろう。言わずもがなであるが、「黄昏(たそがれ)時」とは暗くなって相手の顔がはっきりとは見え難くなり、「誰(た)れぞ彼は」と思うところからの縮約した謂いである。]

 盜人坂の狸は、とくに狩人が擊殺してしまつて、今はもう出ぬとも謂うた。その狩人が煮て喰つたが、古狸で肉がこはくて、薩張り美味くなかつたと言ふ。

 肉がこわはくて美味くなかつたとは、古狸を退治た[やぶちゃん注:「たいじた」。]話に、必ず附いて廻る文句だつた。何處其處の狸を擊つて煮て喰つたが、おそろしく肉がこはかつたなどゝ、よく言うたものである。

[やぶちゃん注:実際にタヌキを調理した複数のネット記載を縦覧したが、肉が硬いという印象はないようである。但し、全体に共通するそれは、熱を加えると、異様に獣臭くなる点であるようだ。]

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