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2020/04/18

石川啄木 詩集「あこがれ」(初版準拠版) 金甌の歌

 

   金 甌 の 歌

 

あけぼの光纒(まと)へる靑雲(あをぐも)の、

ときはかきはに眠と暗となき、

幻、律(しら)べ、さまよふ聖宇(みや)の中、

新たに匂ふいのちのほのぼのと

我は生(うま)れき。 大日(おほひ)の灼(かゞ)やきに

玉膸(ぎよくずゐ)湛(たゝ)ふ黃金の花瓶を

靑摺綾(あをずりあや)のたもとに抱きつつ。

 

羅(うすもの)かへし、しづかに白龍(はくりゆう)の

石階(きざはし)踏めば、星皆あつまりて、

裳裾(もすそ)を縫(ぬ)へる綠のエメラルド。

步み動けば、小櫛(をぐし)の弦(げん)の月、

白銀(しろがね)うるむ兜(かぶと)の前(まへ)の星(ほし)。

暾下(みをろ)すかなた、仄(ほの)かに讃頌(さんしよう)の

夜の聲夢の下界をどよもしぬ。

 

白晝(まひる)の日射(ひざし)めぐれる苑(その)の夏、

かほる檸檬(れもん)の樹影(こかげ)に休らへば、

鬩(せめ)ぎたたかふ浮世の市(いち)超(こ)えて、

見わたすかなた、靑波鳴る海の

自然の樂(がく)のひびきの起伏(をきふし)に

流るゝ光、それ我が金甌(きんわう)の

みなぎる匂ひ漂ふ影なりき。

 

靑垣(あをがき)遶(めぐ)り、天突(あめつ)く大山(おほやま)の

いただきそそる巖に佇めば、

世は夜(よる)ながら、光の隈(くま)もなく、

無韻のしらべ、朝(あした)の鐘の如、

胸に起りて千里の空を走せ、

山、河、鄕(さと)も、舟路(ふなぢ)もおしなべて

投げたる影にみながら包まれぬ。

 

野川(のがは)氾濫(あふ)れて岸邊の雛菊の

小花泥水(ひみづ)になやめる姿見て、

あまりに痛き運命(さだめ)を我泣くや、

水にうつれる小花のおもかげに、

幻ふかく湛(たゝ)ふる金甌の

底にかがやく生火(いくひ)の文字(もじ)にして、

いのちの主(ぬし)の淚ぞ宿れりき。

 

想ひの翼ひまなく、梭(をさ)の如、

あこがれ、嘆き、勇みの經緯(たてぬき)に、

見ゆる、見えざるいのちの機織(はたを)れば、

天地(あめつち)つつみひろごる帕(きぬ)の中、

わが金甌(きんわう)のおもてに、榮光の

七燭(しちしよく)いてる不老(ふらう)の天の樂(がく)、

ほのかに浮びただよふ影を見ぬ。

 

海には破船(はせん)、山には魔の叫び、

陸(くが)なる罪の館(やかた)に災禍(わざはひ)の

交々(こもごも)起る嵐の夜半(よは)の窓、

戰慄(をののぎ)せまるまなこを閉(と)ぢぬれば、

あでなるさまや、胸なる金甌の

おもてまろらに光の香はみちて、

たえざる天(あめ)の糧(かて)をば湛えたる。

 

ああ人知るや、わが抱く金甌ぞ、

(そよわがいのち)尊とき神の影、

生(い)きたる道(ことば)、生きたる天の樂(がく)、

いのちの光、ひめたる『我』なりき。

涯(はて)なく限りなきこの天地(あめつち)の

力(ちから)を力(ちから)とぞする『彼』よ、げに

我が金甌の生火(いくひ)の髓(ずゐ)の水。

 

されば我がゆく路には、ものみなの

戰ひ、愁ひ、よろこび、怒り、皆

我と守れる心の閃(ひら)めきに

融(と)けて唯一(ひとつ)の生命(いのち)にかへるなる。

ああ我が世界、すなはち、人の、また

み神の愛と力(ちから)の世界にて、

眠(ねむり)と富(とみ)の入るべき國ならず。

 

天地(あめつち)知ろす源(みなもと)、創造の

聖宇(みや)の光に生れし我なれば、

わが聲、淚、おのづと古鄕(ふるさと)の

缺(か)くる事なきいのちと愛の音(ね)に、

見よや、天(あめ)なる眞名井(まなゐ)の水の如、

玉髓あふれつきせぬ金甌の

雫(しづく)流れて凝(こ)りなす詩の珠。

            (甲辰六月十五日)

 

   *

 

   金 甌 の 歌

 

あけぼの光纒(まと)へる靑雲(あをぐも)の、

ときはかきはに眠と暗となき、

幻、律(しら)べ、さまよふ聖宇(みや)の中、

新たに匂ふいのちのほのぼのと

我は生れき。 大日(おほひ)の灼(かゞ)やきに

玉膸湛ふ黃金の花瓶を

靑摺綾のたもとに抱きつつ。

 

羅かへし、しづかに白龍の

石階(きざはし)踏めば、星皆あつまりて、

裳裾を縫へる綠のエメラルド。

步み動けば、小櫛(をぐし)の弦(げん)の月、

白銀(しろがね)うるむ兜の前の星。

暾下(みをろ)すかなた、仄かに讃頌(さんしよう)の

夜の聲夢の下界をどよもしぬ。

 

白晝(まひる)の日射(ひざし)めぐれる苑の夏、

かほる檸檬の樹影(こかげ)に休らへば、

鬩(せめ)ぎたたかふ浮世の市(いち)超えて、

見わたすかなた、靑波鳴る海の

自然の樂のひびきの起伏(をきふし)に

流るゝ光、それ我が金甌(きんわう)の

みなぎる匂ひ漂ふ影なりき。

 

靑垣遶(めぐ)り、天突(あめつ)く大山(おほやま)の

いただきそそる巖に佇めば、

世は夜(よる)ながら、光の隈もなく、

無韻のしらべ、朝(あした)の鐘の如、

胸に起りて千里の空を走せ、

山、河、鄕(さと)も、舟路(ふなぢ)もおしなべて

投げたる影にみながら包まれぬ。

 

野川氾濫(あふ)れて岸邊の雛菊の

小花泥水(ひみづ)になやめる姿見て、

あまりに痛き運命(さだめ)を我泣くや、

水にうつれる小花のおもかげに、

幻ふかく湛ふる金甌の

底にかがやく生火(いくひ)の文字にして、

いのちの主(ぬし)の淚ぞ宿れりき。

 

想ひの翼ひまなく、梭(をさ)の如、

あこがれ、嘆き、勇みの經緯(たてぬき)に、

見ゆる、見えざるいのちの機織(はたを)れば、

天地(あめつち)つつみひろごる帕(きぬ)の中、

わが金甌のおもてに、榮光の

七燭(しちしよく)いてる不老の天の樂、

ほのかに浮びただよふ影を見ぬ。

 

海には破船、山には魔の叫び、

陸(くが)なる罪の館(やかた)に災禍(わざはひ)の

交々(こもごも)起る嵐の夜半(よは)の窓、

戰慄(をののぎ)せまるまなこを閉ぢぬれば、

あでなるさまや、胸なる金甌の

おもてまろらに光の香はみちて、

たえざる天(あめ)の糧(かて)をば湛えたる。

 

ああ人知るや、わが抱く金甌ぞ、

(そよわがいのち)尊とき神の影、

生きたる道(ことば)、生きたる天の樂、

いのちの光、ひめたる『我』なりき。

涯なく限りなきこの天地(あめつち)の

力を力とぞする『彼』よ、げに

我が金甌の生火(いくひ)の髓の水。

 

されば我がゆく路には、ものみなの

戰ひ、愁ひ、よろこび、怒り、皆

我と守れる心の閃めきに

融けて唯一(ひとつ)の生命(いのち)にかへるなる。

ああ我が世界、すなはち、人の、また

み神の愛と力の世界にて、

眠(ねむり)と富(とみ)の入るべき國ならず。

 

天地(あめつち)知ろす源、創造の

聖宇(みや)の光に生れし我なれば、

わが聲、淚、おのづと古鄕(ふるさと)の

缺くる事なきいのちと愛の音(ね)に、

見よや、天(あめ)なる眞名井の水の如、

玉髓あふれつきせぬ金甌の

雫流れて凝りなす詩の珠。

            (甲辰六月十五日)

[やぶちゃん注:第七連の「戰慄(をののぎ)」のルビの「ぎ」、第八連の「道(ことば)」のルビ、第七連末の「湛えたる」はママ。初出(明治三七(一九〇四)年七月号『白百合』)では前二つは同じであるが、「湛えたる」は正しく「湛へたる」となっている。第一連五行目の句点の後の字空けは見ためを再現した。

「金甌」黄金で造った甕(かめ)。専ら、「金甌無欠」(きんおうむけつ)の四字熟語で用いられる。それは「物事が完全で欠点がないこと」の譬えで、特に外国からの侵略を受けたことがなく、安泰で堅固な国家や高貴にして理想的な天子或いはその地位の比喩に用いられる。訓読すると、「金甌(きんおう)欠くる無し」となる。出典は「南史」の「朱异伝(しゅいでん)」。

「ときはかきはに」漢字表記は「常磐堅磐に」(現代仮名遣「ときわかきわ」)で形容動詞ナリ活用の連用形。物事が永久不変であるさま。永久(とこし)えに。

「眠と暗となき」「ねむりとやみとなき」。初出のルビによる。

「聖宇(みや)」ルビは無論、「宮」の当て読み。

「玉膸(ぎよくずゐ)」初出は「玉髄」。石英の非常に細かい結晶が網目状に集まり、緻密に固まった鉱物の変種であるカルセドニー(Chalcedony)の中でも特に美しい宝石。

「靑摺綾(あをずりあや)」山藍(やまあい)の葉などで模様を青く斜めに摺り出した衣。「あをずり」は既に「古事記」にも出る語。後世では、賀茂の臨時の祭会に奉仕する舞いを担当する者が着用する、白い闕腋(けってき)の袍(ほう)の、青摺にしたものを指す。

「靑波鳴る海の」「あをなみなるうみの」。初出に拠る読み。

「小花」「をばな」。初出に拠る読み。

「經緯(たてぬき)」織機の経(たて)糸と緯(よこ)糸。ここは前後と同じく隠喩。

「眞名井(まなゐ)」高天原(たかまのはら)にあり、神々が用いるとされる聖なる井戸。]

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