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« 石川啄木 詩集「あこがれ」(初版準拠版) 花守の歌 | トップページ | 早川孝太郎「猪・鹿・狸」 狸 十一 鍬に化けた狸 »

2020/04/06

早川孝太郎「猪・鹿・狸」 狸 十 眞黑い提灯

 

     十 眞 黑 い 提 灯

 狸の話では、何と言うても化け話が多かつた。これは現に生きて居る某の實話で、某が四十五、六の折の事だつた。

 錢龜(ぜにがめ)(東鄕村大字出澤(すざは)錢龜)の行者下へは、每度狸が出て、人を嚇すといふ噂があつた。縣道に沿つた僅かな家並みで、籔陰の、日もろくろく當らぬやうな處だつた。居酒屋が一軒あつて、近所の者がよく酒を呑んで居て、夜遲くなつてから、谿を隔てた自分の家などにも、醉どれの唄が聞こえたものである。其處の家端れから、一町[やぶちゃん注:百九メートル。]程離れると昔の村境で、道上の岩の上に、椹[やぶちゃん注:「さはら」。]か何かの大木が道に被さりかゝつて、根元に行者の石像があつて、馬頭觀音や六地藏なども祀つてあつた。道下は目の下に寒峽川を覗くえらい谷だつた。

[やぶちゃん注:「錢龜(ぜにがめ)(東鄕村大字出澤(すざは)字錢龜)の行者下」新城市出沢銭亀はここ(グーグル・マップ・データ)。「縣道に沿つた僅かな家並み」とあるから、東端の寒狭川添いの県道二十一号である。前に紹介したサイト「笠網漁の鮎滝」内の「早川孝太郎研究会」による「三州民話の里」PDFの本篇には『道路の改修前は岩山が迫っていて大変な難所でした。昭和三十年ごろにも小型トラックが寒狭川まで転がり落ちて、何人か亡くなったのを憶えています』とあり、さらに「行者の石像」については、『道路の拡幅工事で移転され、現在は国道から十数メートル昇った処で、通行する人々をひっそりと見守っています』とあった(孰れも写真あり。「六地藏」は写真には見えない)。

「椹」球果植物門マツ綱マツ亜綱ヒノキ目ヒノキ科ヒノキ属サワラ Chamaecyparis pisifera。]

 或晚其處を通りかゝると、向ふから眞黑い提灯が一ツ來たさうである。その提灯と摺れ違ひざま、ヒヨイト[やぶちゃん注:「ト」はママ。]先方の顏を見ると、白髮頭のひどい婆さんだつた。ハテ見た事も無い人だがと思つて、直ぐ後を振返つて見たが、もう提灯も婆さんの姿も見えなんだといふ。その時は身内がゾクゾクとしたさうである。すると今度は行手の道に、長々と寢て居る獸があつた。犬のやうでもあり.又狐だか狸だか、薩張り得體が判らない。不思議な事にその獸が、餘り大きくもないのに、道一ぱいになつた事である。跨いで通るのも氣持が惡いので、暫く立止つて思案したが、結局尾のほうをソツと通り拔けたさうである。すると急に四邊[やぶちゃん注:「あたり」。]が眞暗になつて、一步も前へ進めなくなつた。うつかりすれば、一方の谷へ落ちる心配がある。仕方が無いので度胸を据へて其處へ踞みこんだ[やぶちゃん注:「しやがみこんだ」。]。さうして腰から煙草入を出して、一服喫ひかけたといふ。その間に前の方を、見るともなしに見ると、どうやら白いものがぼうツとある。段々見て居る内、氣が附くと、それが行手へ續いた街道だつた。空を仰ぐと星が、カラリと出て居る。遠くの山も見えて、川瀨の音も聞える、まるで夜が明けたやうで其儘家へ歸つたが、それからは何事もなかつたさうである。

 二十年ばかり前の事である。狸の惡戯だというて居るが、其處へ出るのは或は幽靈だと言ふ說もあつた。村でたしかに死んだ筈の人が、其處を通つて行く姿を見たといふ者も段々あつた。現に九十幾つで死んだ婆さんが、杖に縋つて來たのにたしかに遇つたと言ふ者もあつた。して見れば狸の惡戯というたのは、狸の爲には或は寃罪であつたかも知れぬ。然し又一方では、此處から山續きのフジウの峯の狸が、數町離れた算橋の籔下へ、交る交る[やぶちゃん注:「かはるがはる」。]出るともいうた。

[やぶちゃん注:「二十年ばかり前」本書は大正一五(一九二六)年刊であるから明治三九(一九〇六)年前後となる。

「フジウの峯」不詳。藤ケタワ(ふじけたわ)がある(ヤフー地図)。「タワ」は峠の意味であるからピークではある。

「算橋」サイト「東三河を歩こう」のこちらに、「橋詰さんばし跡・瀧川・笠井相討ノ地」がある。ここは『武田軍が自ら架設した橋を先を争って渡ろうとしたために、渕に落ちて亡くなった武士も多かったという「橋詰さんばし」の跡があり、ここは、寒狭川の中で最も川幅が狭く、「鵜の首」と呼ばれ、桟橋(丸太橋)があった所』であるとある。但し、そこにある説明版では「さんばし」には「猿橋」の漢字が当ててある。ここ(グーグル・マップ・データ)。]

 算橋は家が二軒しかない部落で、道下がずつと田面[やぶちゃん注:「たのも」。]になつて居た。其處へも矢張婆さんに化けて出たと言ふ。或夜更けに、出澤の者が飛脚に行くと、其處を前に立つて行く婆さんがあつた。眞暗い夜にも拘らず、着物の唐棧の縞柄が、ハツキリ讀めたと謂ふ。瀧川(たきがは)の入口の、大荷場川の橋の袂まで行くと、其處から川の中へ、飛込んでしまつたと謂ふ。

[やぶちゃん注:「唐棧」(たうざん(とうざん))はインドのマドラス地方にある棧留島(さんとめじま)で織られていたということからついた名とされる。絹の肌ざわりを持つ色彩の美しい綿糸で平織にした綿縞物。

「瀧川(たきがは)の入口の、大荷場川の橋」「瀧川」地区の「入口」で「大荷場川の橋」となると、現在の七久保川が「大荷場川」で寒狭川合流直前のここ(グーグル・マップ・データ)にある橋がそうか。橋名はグーグル・ストリート・ビューでは確認出来ない。]

 この話は狸でない事は判つて居るが、以前近くの淵で、砂利運びに雇はれて居た女房が、乘つて居たカモ(筏の一種)から落ちて溺れて死んだ事があつた。その女房が溺れた時の姿で、忙しさうに田圃を道の方へ來る姿を、たしかに見たといふ者があつた。乳呑兒を殘して氣の毒だと專ら噂のあつた際だつたから、或はさうした幻を見たのであらうが、場所は矢張同じだつた。

[やぶちゃん注:「カモ」「鴨筏(かもいかだ)」の略であろう。小学館「日本国語大辞典」によれば、『急流河川で使用する筏』『の一種。木材を直径一メートル内外の円形にたばねて流』し送るもので『小舟にも代用する』とあり、別に川中の岩などに絡まって停滞した材木を本流へと押出すためや、対岸への往復などに用いた作業用小筏をかく称した、とも別な辞書にあった。]

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