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2020/04/21

三州奇談卷之五 靈神誤ㇾ音

 

    靈神誤ㇾ音

 新川郡森尾村神戶神社は、宮前に大いなる杉あり。明和元年五月十二日、此木の本に近鄕の百姓共休らひ居たりしが、たばこの火を取散らせしに、折惡(をりあし)く風ありて杉の木の皮に火移り、餘程燃上りし程に、

「神木なり」

とて驚き打消さんとすれども、あたりに水なし。傍らに小便を入れし桶ありし程に、是を打懸けて火を消したり。

[やぶちゃん注:「靈神誤ㇾ音」は「れい・しん、音(おん)を誤る」。最後まで読むと、意味に合点出来る。

「新川郡森尾村神戶神社」これは今までになく手強い。まず、旧「森尾村」或いは新旧の「森尾」なる地名が富山県内に見当たらない。しかも「神戶神社」(読み不詳。「がうど(ごうど)」か「かんべ」か?)も後に出る「五尾村」というのも見当たらない。国書刊行会本では『新川郡森尾村神戸の神社の宮前に、』となっているのであるが、「神戸」という地名も探したがそれもまた見当たらない。全然分からないというのは本書で初めてで、どうもそうなると癪になってくるので、調べてみたところ、中新川郡上市町森尻(「森尾」の意に近いし、或いは「尾」の崩し字を「尻」とも誤りそうである)という神度(かむと/かみわたり)神社があることが判った。さらに、「五尾」に近いものとして、旧「上新川郡」内に「五位尾村」、現在の新川郡上市町(グーグル・マップ・データ。以下同じ)があった。神度神社から東南東に六キロメートルほどの位置である。取り敢えず、これを私の一つの候補地として示しておく(なお、他にヒントとして「前坂」という地名が後に出るのだが、富山県内で現存する前坂は、下新川郡宇奈月町(うなづきまち)明日(あけび)の字前坂(検索で見出した)ぐらいなもので、これは北に離れ過ぎで違う)。

「明和元年五月十二日」グレゴリオ暦一七六四年六月十一日相当。但し、厳密にはまだ宝暦十四年である。宝暦十四年は翌月の六月二日(グレゴリオ暦一七六四年六月三十日)に明和に改元している。但し、通常、改元元年はその一月まで遡って新しい元号で呼ぶのが寧ろ普通であるから、ここは問題ではない。]

 其夜、森尾村の彥右衞門と云ふ者、夢に靈人(れいじん)來りて告げて曰く、

「我は此神戶の神なり。今日里人神木を汚して、我が遊ぶ所なし。我れ是に依りて此地は守らじ。早く五尾村へ移らんとす。同村豐右衞門が馬に乘りて行くべし、汝(なんぢ)供(とも)に來れ」

とありし程に、夢中に驚きて詫言(わびごと)を申し、且つ其神に隨ひ行きしに、道半里許(ばかり)して前坂と云ふ所にて、馬(むま)膝を折りて足も痛み進み得ず。神曰く、

「今宵は歸るべし」

とて馬も返ると忽ち夢覺む。

 彥右衞門翌朝とくに起て、とかくふしぎはれやらず。先づ豐右衞門が家に到りて聞くに、

「夜前、馬屋の中にて、馬膝を折りて甚(はなはだ)痛みたり」

とて、伯樂が輩(やから)騷ぎ來る。

[やぶちゃん注:「伯樂」はここでは富農と思われる豊右衛門方の馬の係りの下男であろう。]

 彥右衞門大いに驚き、爾々(しかじか)の夢を見し段云ひて歸るに、其夜の夢に神又來り給ひ、

「馬四五日程に痛(いたみ)愈ゆべし。然らば汝も連去(つれさ)らん」

となり。

 村の中にも往々夢見る者あり。吉右衞門と云ふ者も、又同じく

「供に來(きた)れ」

と夢見る。

「其餘は神慮に叶はず。跡へ祟りをなさん」

など、ありありと示現(じげん)ありけるに、里人大いに驚き、水を以て杉を洗ひ淸め、隣村二宮若狹と云ふ神主を請(しやう)じて祈禱せしむるに、其夜神又來り給ひ、

「杉の木に遊ぶべし、此里人の詫言(わびごと)も聞き捨つべからず、さらば先づ留まるべし」

と機嫌直りし躰(てい)も見へけるが、是より靈夢絕えてなし。

[やぶちゃん注:「二宮若狹」不詳。神主の名前じゃなくて、村の名前を載せて欲しかったなぁ!

「杉の木に遊ぶべし」この「べし」は意志。去らずにこの杉の木にやすらおう。]

 又同郡日岩村日置社と云ふは、大山祇命(おほやまづみのみこと)・菊理姬命(きくりひめのみこと)を相殿に勸請す。此社地、初めは甚だ廣し。村の者神地を賣りて、一向宗の寺を建て、地を狹うすといへども、今猶三十町四方、大いなる石壇を上る事一町餘なり。此社地に栗茸(くりたけ)多く生ず。昔より取馴れし者、此村に二人あり。然るに今年村中の人多く入りて取りぬ。是又同じ明和元年なり。此村の肝煎(きもいり)を平三郞と云ふ。是が元へ出入する甚右衞門と云ふ甚だ正直の者あり。此者隣村に姊ありしが、此日爰に來りし程に、甚右衞門

「もてなす物なし」

とて、此社地に入て栗茸を取來りて、母と我姊と三人煮て喰ふ。

[やぶちゃん注:「日岩村日置社」日岩村は不詳だが、中新川郡立山町(まち)利田(りた)日置(ひおき)にある日置神社。別にそこから東北東六キロメートル弱の同立山町日中(にっちゅう)にも同名の日置神社があるが、稗田阿礼氏のサイト「神社と古事記」の「日置神社 富山県中新川郡立山町利田」に、後者の存在を示しつつも、この利田の日置神社の『社域は往時、広大で、粟茸が多く生えていた。村人はそれを盗んで食べていた。村一番の正直者である甚右衛門も、粟茸を盗んだ』。『すると、御神霊が甚右衛門に乗り移り、その言行から、村人は改心し、二度と盗むことがなくなったという』という本伝承が記されてあることから、利田の日置神社を採った。しかし、祭神が合わない。同サイトの記載では利田のそれは、『天太玉命』(あまのふとだまんみこと)に『天照大神を配祀する。ただし、資料によっては、祭神不詳』、或いは『大山守命』(おおやまもりのみこと)・『高魂命』(たかむびのみこと)『などとなっている』とする(因みに、日中の方の祭神を見ておくと、天押日命(あめのおしひのみこと:天忍日命)とする)。

「大山祇命」「おほやまつみのみこと」。「神産み」に於いて伊耶那岐命と伊耶那美命との間に生まれた一柱。後の草と野の神である鹿屋野比売神(かやのひめがみ)との間に四対八柱の神を生んでいる。名前からは山の神であるから、同定した日置神社の大山守命と通底性が強いとは言えよう。

「菊理姬命」「くくりひめのみこと/きくりひめのみこと)は加賀白山や全国の白山神社に祀られる白山比咩神(しらやまひめのかみ)と同一神とされる。

「三十町四方」約三キロ二百七十三メートル四方。しかしその大きさの大きな石製の壇というのはとんでもなく目立って広過ぎである。国書刊行会本では『三丁四方』で、「加越能三州奇談」でも同じで、「一町」は百九メートルであるから、三百二十七メートル四方でこの方が自然である。

「一向宗の寺」利田の日置神社に現在近いのは、北六百メートルほどの位置にある浄土真宗宝栄寺であるが、創建等判らぬのでこれかどうかは不詳。

「栗茸」菌界担子菌門菌蕈(きんじん)亜門真正担子菌綱ハラタケ目モエギタケ科モエギタケ亜科クリタケ属クリタケ Hypholoma sublateritiumウィキの「クリタケ」によれば、『主に炒め物、天ぷら、カレーライス、まぜご飯などにして食されている。ただし、近年有毒成分が見つかり、海外では有毒とされている。過食は厳禁であり、注意を要する。毒成分はネマトリン、ネマトロン、ハイフォロミンA,B』とする。『口あたりは多少ボソボソするが、よいダシが出る上、収量が多くしばしば大量発生するため』、『キノコ狩りの対象として古くから知られている』とある。

「明和元年」一七六四年。

「肝煎」名主・庄屋の異名。]

 其夜神人來り、大いに怒り、布袋(ぬのぶくろ)を投付けたりと覺へて、袋を手に据ゑて忽ち亂心となり、母と姊は打臥して人心地(ひとごこち)なし。是に依りて近隣皆打寄りて靜むれども、甚右衞門袋をうやうやしく持ちて、

「此上(このうへ)に白衣の神人います、汝等は頭高し」

と甚だ狂ふ。

 組頭甚太郞・四郞兵衞と云ふ者、日頃は這(はひ)つくばひし甚右衞門なるに、只彼が云ふ事神人の如し。

「庄屋が方に白木(しらき)の臺(だい)あるべし、取來(とりきた)れ。若し我詞(わがことば)を背かば、此里を燒捨(やきすて)ん」

と罵(ののし)る處に、驚きて取來(とりきた)る。

 是を臺として袋を其上に置き、

「汝等前後に行列せよ」

とて、人々をつれて社地に至り、里人を皆下に平伏させて、

「我が詞を聞くべし。試(こころみ)に神靈を見よや」

と、一町許の石の壇を一つ一つ取りて、手玉の如く投げ散らす故、諸人驚き震(ふる)ふ。

[やぶちゃん注:「神人」「かみびと」と訓じておく。人形(ひとがた)に示現した神。

「組頭」名主を補佐して村の事務を執った村役人。年寄。長百姓(おさびゃくしょう)。

「試(こころみ)に」「加越能三州奇談」も「近世奇談全集」も同じであるが、国書刊行会本では『誠に』である。私は「誠(まこと)に」の方がいい気がする。]

 甚右衞門曰く、

「此社は初めは大社にて、社人も多かりし。然共、神の誤(あやまり)によりて、今斯く僅かに社地のみ殘る。此社地茸(きのこ)を生じて兩人に與ふるものは、彼(か)れは元此社の神主にて、甚だ神忠の者なり。其子孫故、既に今かばかりの惠みを與ふ。然るに、村の者欲心深く、押して茸を奪ひ取る。又社地を賣るべからず。我れ若し神の赦しを請け、心の儘にはからふ日は、此村を以て一番に災(わざはひ)を下すべく、憎しにくし」

と打叫ぶ。

[やぶちゃん注:「社地を賣るべからず」強い禁止で「社地を決して売ってはならぬのだ!」であろう。]

 村中甚だ迷惑し、此社他の預り滑川(なめりかは)の吉見但馬守と云ふを請じて湯の花を捧げ、祓(はらひ)をなせしに、甚右衞門則ち曰く、

「然らば先づ今度は免(ゆる)すべし。松明(たいまつ)を三つともして我を送り家に返すべし」

と云ふ。

[やぶちゃん注:「滑川」現在の富山県滑川市はここ

「吉見但馬守」不詳。

「湯の花を捧げ」神前で湯を沸かして神に供えるとともに、神主が榊の葉でその湯を村人らに浴びせ掛けて潔斎するか、或いはそこで祈誓を立てる神事を指すものと思われる。]

 諸人其詞の如く前後を圍み家に來りければ、甚右衞門我が家にて

「袋々(たいたい)」

と云ふ。然るに奧の間に白木の臺に据ゑし上より、物ありて家の中の土より一尺許(ばかり)上を懸け出でける。しかと見屆くべからずといへども、大いなる鯛(たひ)を見付けたる者もあり。又は小兒の翫(もてあそ)ぶ紙にて張りたる鯛の下に、車の臺付きたる物と見たるもあり。何にしても、形(かたち)鯛なるもの出去(いでさ)りたり。

 是より甚右衞門狂氣覺(さ)め、母・姊も病癒えて本の如し。

 是等正しく其變を見たり。

 袋(たい)・鯛(たひ)、聞きを誤れるにや。神意辨(わきま)ふるにかたきこと甚(はなはだ)し。

[やぶちゃん注:最後のシークエンスの神人は、暗に鯛を左脇に抱える本邦で唯一のオリジナルな福神である恵比寿神(神話に結び付ける解釈では伊邪那美・伊耶那美が最初に産む奇形児蛭子命(ひるこのみこと)であるとか、大国主命(大黒)の子である事代主神(ことしろぬしのかみ)とされることが多い)か、同じ七福神の布袋(こちらは中国由来)のイメージが重ねられているようには思われる。しかし、後の話は「袋」の「たい」と「鯛」の「たひ」をその神が誤って聴き取って変事を惹起させたとでも言うかのように作話されてあるものの、何だかその最後の変事――鯛らしきものが出ては消える――のを目撃したというのも「何じゃ? こりゃあ?!?」って感じで、半可通である。かく題を附すなら、前の話もそうした「音」違いがなくてはならぬと思うのだが、何度読んでもそれらしい箇所は見当たらない。但し、「三州奇談」は、今まで見てくると、前振りの部分が表題や後の怪奇談と何ら密接な関係を持たない話柄も多かった。さすれば、実はその地の産土神が、愚民のあまりの仕打ちや好き勝手放題にキレて、別な土地に移るとか言い出し、その土地に災いを齎すぞという脅迫をしたことだけで繋がった話なのかも知れない。

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