この騒ぎに就いての私の見解
私は正直、経済政策と自己保身でしかない政治家にも、初めから判ったような新ウィルスを語る自称疫学者にも、飽き飽きしている。そうさ、湘南海岸に参集する連中には海中を含めて有刺鉄線を張るべきだとさえとまともに思っている(自衛隊の諸君には設営だけで防衛を頼んではいけない。ある種の若い集団はそれを面白がり、自分を殺すことなどないと思い上がっている彼らに諧謔的に誘い掛けて揶揄することが目に見えているからだ)。しかし、このままで「この」生温いことをだらだらやって、「この騒ぎが静まる、静まって欲しい」と無知も甚だしく勝手に我儘に考え行動する大衆の一部を抑え込むことが出来ぬ限り、諸君の求めている仮想の「以前の生活」など夢のまた夢であると断言する。ウィルスとの共存は無論、可能ではある。しかし、それは残念ながら、数年・數十年或いは数百年単位ででしか生物学的にはあり得ないと私は考える。簡単に「ワクチン」とか「特効薬」とかの公的発言には、強く眉に唾せねばならぬ。自己複製不全のRNAウィルスの変異は想像を絶するからだ。我々「ヒト」は決して自然を征服することは出来ぬ。寧ろ、核兵器や核汚染、もしかするとこの騒ぎでさえ疑われる生物兵器によって、「ヒト」自身が容易に滅亡する可能性は頗る高率であるからである。
大事なことは――「為政者」や「識者」と呼ばわるる輩は――「最悪の事態」を決して語らない――ということに尽きる。ありとあらゆる悲惨な戦時の国家のように――である。「この事態は戦争だ」という彼らの謂いは――それに尽きる――ということである――
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