石川啄木 詩集「あこがれ」(初版準拠版) 枯林
枯 林
うち重(かさ)む楢(なら)の朽葉(くちば)の
厚衣(あつごろも)、地(つち)は聲なく、
雪さへに樹々(きゞ)の北蔭(きたかげ)
白銀(しろがね)の楯(たて)に掩へる
冬枯の丘の林に、
日をひと日、吹き荒(すさ)みたる
凩(こがらし)のたたかいひ果(は)てて、
肌寒(はだざむ)の背(そびら)に迫る
日落(ひお)ち時、あはき名殘(なごり)の
ほころびの空の光に
明(あか)に透く幹(みき)のあひだを
羽(はね)鳴らし移りとびつつ、
けおさるる冬の沈默(しゞま)を
破るとか、いとせはしげに、
羽强(はづよ)の胸毛赤鳥(むなげあかどり)
山の鳥小さき啄木鳥(きつつき)
木を啄(つゝ)く音を流しぬ。
さびしみに胸を捲(ま)かれて、
うなだれて、黃葉(きば)のいく片(ひら)
猶のこる楢(なら)の木下(こした)に
佇めば、人の世は皆
遠のきて、終滅(をはり)に似たる
冬の晚(くれ)、この天地に、
落ちて行く日と、かの音と、
我とのみあるにも似たり。
枝を折り、幹を撓(たわ)めて
吹き過ぎし破壞(はゑ)のこがらし
あともなく、いとおごそかに、
八千(やち)とせの歷史(れきし)の如く、
また廣き墓の如くに、
しじまれる楢の林を
わが領(りよう)と、寒さも怖(を)ぢず、
氣負(きお)ひては、音よ坎々(かんかん)、
冬木(ふゆき)立(た)つ幹をつつきて
しばらくも絕間(たえま)あらせず。
いと深く、かつさびれたる
その響き遠くどよみて、
山彥は山彥呼びて、
今はしも、消えにし音と
まだ殘る音の經緯(たてぬき)
織(を)りかはす樂(がく)の夕浪(ゆふなみ)、
かすかなるふるひを帶びて、
さびしみの潮路(うしほぢ)遠く、
林こえ、枯野をこえて、
夕天(ゆふぞら)に、また夕地(ゆふづち)に
くまもなく溢れわたりぬ。
われはただ氣も遠々(とほどほ)に、
瘦肩(やせがた)を楢にならべて、
骨の如、動きもえせず、
目を瞑(と)ぢて、額(ぬか)をたるれば、
かの響き、今はた我の
さびしみの底なる胸を
何者か鋭(と)きくちはしに
つつきては、靈(たま)呼びさます
世の外(ほか)の聲とも覺(おぼ)ゆ。
ああ我や、詩(うた)のさびし兒(ご)、
若うては心よわくて、
うたがひに、はた悲哀(かなしみ)に
かく此處(こゝ)に立ちもこそすれ。
今聞けよ、小(ちひ)さき鳥に、──
いのちなき滅(めつ)の世界に
ただひとり命(めい)に勇みて、
ひびかすは心のあとよ、
生命(せいめい)の高ききほひよ。
强(つよ)ぶるふ羽のうなりは
勝ちほこる彼(かれ)の凱歌(がいか)か、
はた或は、我をあざける
矜(たかぶ)りの笑ひの聲か。
かく思ひわが頤(おとがひ)は
いや更に胸に埋(うま)りぬ。
細腕(ほそうで)は枯枝なして
ちからなく膝邊(ひざべ)にたれぬ。
しづかにも心の絃(いと)に
祈(いの)りする歌も添ひきぬ。
日は既(すで)に山に沈みて
たそがれの薄影(うすかげ)重く、
せはしげに樹々(きゞ)をめぐりし
啄木鳥(くつつき)は、こ度(たび)は近く、
わが凭(よ)れる楢の老樹(おいき)の
幹に來て、今日(けふ)のをはりを
いと高く膸(ずゐ)に刻みぬ。
(甲辰十一月十四日)
[やぶちゃん注:表題は作品の孤高にして凄絶なヴィジョンからは「コリン」と音で読みたくなるが、まあ、「かればやし」であろう。初出は明治三七(一九〇四)年十二月号『太陽』で「野調」(「のしらべ」か)という総題で本篇と「お蝶」という二篇を載せる。初出の有意な変異を認めない。なお、「お蝶」の方は「あこがれ」には採られていない。お蝶という母を失った少女の物語詩で「枯林」とのセット性は認められない。
「掩へる」は「おほへる」。覆われた。
「羽强(はづよ)の胸毛赤鳥(むなげあかどり)」は「啄木鳥(きつつき)」のこと。この場合、前者の謂いから、本邦のキツツキ目キツツキ科キツツキアカゲラ属アカゲラ亜種アカゲラ Dendrocopos major hondoensis と考えてよかろう。但し、胸の毛ではなく、有意に下方の腹部や尾羽基部の下面(下尾筒)が赤い羽毛で覆われ、♂の成鳥は後頭部も赤い羽毛で覆われ、よく目立ち、和名の由来にもなっている。因みに虹彩も暗赤色を呈する。
「領(りよう)」はママ。歴史的仮名遣は「りやう」が正しい。
「怖(を)ぢず」はママ。歴史的仮名遣はそのまま「おぢず」でよい。
「經緯(たてぬき)」総て。]
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