萩原朔太郎 氷島 初版本原拠版 附・初出形 殺せかし! 殺せかし!
殺せかし! 殺せかし!
いかなればかくも氣高く
優しく 麗はしく 香(かぐ)はしく
すべてを越えて君のみが匂ひたまふぞ。
我れは醜き獸(けもの)にして
いかでみ情の數にも足らむ。
もとより我れは奴隷なり 家畜なり
君がみ足の下に腹這ひ 犬の如くに仕へまつらむ。
願くは我れを蹈みつけ
侮辱し
唾(つば)を吐きかけ
また床の上に蹴り
きびしく苛責し
ああ 遂に――
わが息の根の止まる時までも。
我れはもとより家畜なり 奴隷なり
悲しき忍從に耐えむより
はや君の鞭の手をあげ殺せかし。
打ち殺せかし! 打ち殺せかし!
【詩篇小解】 戀愛詩四篇 「遊園地にて」「殺せかし! 殺せかし!」「地下鐵道にて」「昨日にまさる戀しさの」等凡て昭和五―七年の作。今は既に破き棄てたる、 日記の果敢なきエピソートなり。 我れの如き極地の人、 氷島の上に獨り住み居て、 そもそも何の愛戀ぞや。 過去は恥多く悔多し。 これもまた北極の長夜に見たる、 佗しき極光の幻燈なるべし。
[やぶちゃん注:「耐えむより」はママ。
初出は昭和六(一九三一)年二月号『蠟人形』。
*
殺せかし!殺せかし!
いかなればかくも氣高(けだか)く
優しく、麗(うる)はしく、かぐはしく
すべてを越えて君のみが匂ひたまふぞ。
我れは醜き獸(じう)にして
いかでみ情(なさけ)の數にも足らむ。
もとより我れは奴隷(どれい)なり 家畜なり
君がみ足の下に腹這(はらば)ひ
犬の如くに仕へまつらむ。
願くば我れを蹈(ふ)みつけ
侮辱(ぶじよく)し
唾(つば)を吐きかけ
また床の上に蹴り
きびしく苛責(かしやく)し
ああ遂に――
わが息の根の止まる時までも。
われはもとより家畜なり、奴隷なり、犧牲なり
悲しき忍從に耐えむより
はや君の鞭の手をあげ殺せかし。打ち殺せかし。
*
やはり「耐えむ」はママ。
なお、筑摩版「萩原朔太郞全集」第二巻の『草稿詩篇「氷島」』には、本篇の草稿として『殺せかし! 殺せかし!』『(本篇原稿一種二枚)』として以下の一篇が載る。表記は総てママである。
*
殺せかし! 殺せかし!
いかなればかくも氣高く
優しく 麗はしく 香(かぐ)はしく
すべてを越えて君のみが匂ひたまふぞ。
我れは醜き獸(けもの)にして
いかでみ情の數にも足らむ。
もとより我れは奴隷なり 家畜なり
君がみ足の下に腹這ひ
犬の如くに仕へまつらむ。
願くは我れを路みつけ
侮辱し
唾を吐きかけ
また床の上に蹴り
きびしくも苛責し
ああ 遂に――
わが息の根の止まる時までも。
我れはもとより家畜なり
奴隷なり 犧牲なり!
悲しき忍從に耐えへむより
はや君の鞭の手をあげ
殺せかし! 打ち殺せかし!
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