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2020/05/28

萩原朔太郎 氷島 初版本原拠版 附・初出形 始動 / 自序・「漂泊者の歌」

 

[やぶちゃん注:萩原朔太郎(明治一九(一八八六)年十一月一日~昭和一七(一九四二)年五月十一日)の詩集「氷島」は第一書房から昭和九(一九三四)年六月一日第一書房から刊行された。箱入りで装幀は著者自身。

 私は初版本を所持しないが、幸いにして「国文学研究資料館」公式サイト内の「電子資料館 近代文献情報データベース ポータル近代書誌・近代画像データベース」のこちらで、高知市民図書館「近森文庫」蔵の初版本を、箱から本体の殆んど総て(奥付後の「萩原朔太郞著書目錄」に至るまで)視認することが出来るので、これを底本とした。但し、加工用データとして、菊池真一先生が嘗て御自身の研究室サイトで公開しておられた「明治大正詩歌文学館」の中の同初版本を底本とした「氷島」の電子化データ(HTML版。一九九九年十二月二十一日ダウン・ロード。残念乍ら、現在は公開されておられない。但し、当該データは漢字が新字である)を使用させて戴いた。ここに御礼申し上げる(但し、正直、誤字がかなりある)。

 私は自慰行為として電子化データを作ったことは一度たりともない。ここで言っておくと、萩原朔太郎を偏愛する一人として、まともに初版の詩集「氷島」の全篇を完全に電子化したデータが殆んどないこと、唯一と思われる「青空文庫」のそれは「旧字」をうたってい乍ら作成時のコード制約(Shift_JIS)ために、今現在では表示漢字が見るに耐えないほどに気持ちが悪く不徹底であること、等々がこれを始動する大きな理由の一つである。また、既存のデータと明確に差別化するため、筑摩書房版「萩原朔太郎全集」(昭和五一(一九七六)年)により(この全集は私が一九七九年に高校国語教師となって初めて買った個人全集であった)、各詩篇の初出形を後に附した。その場合、一つの解説が複数詩篇に及ぶ「戀愛詩四篇」及び「鄕土望景詩(再錄)」については、煩を厭わず、総ての詩篇末に掲げた。

 但し、萩原朔太郎自身が巻末に附した「詩篇小解」(九つの詩篇と「戀愛詩四篇」及び「鄕土望景詩(再錄)」に対する自注)は最後に於いても意味がないので、適切と思われる詩篇の後【詩篇小解】として掲げることとした。なお、「詩篇小解」では、文中の句読点の後が有意に空いている。それも再現した。

 一部でオリジナルに気になった部分に注を附した。【二〇二〇年五月二十八日 藪野直史】]

 

 

  The Iceland

 

西曆千九百參拾四年

著者  萩原朔太郞

 

  氷 島

 

     東京 第一書房版

 

[やぶちゃん注:箱(表)。現物はこちら。楽譜のような印象。柄・色・飾罫及び字体・ポイントと各文字列の配置はそちらを確認されたいが、文字はブラック、地が白で、飾罫が薄緑、外周縁の飾りが網目のやや濃い黄緑である。本本体の挿入は右側から。]

 

   氷  島

 

[やぶちゃん注:箱(背)。著者名はない。]

 

[やぶちゃん注:次に本体表紙であるが、箱と完全に全く同じものであるので電子化しない。但し、全体が遙かにくすんだ暗い薄緑色に見える(但し、これは経年劣化の可能性がある)。裏表紙も見て戴きたいが、箱との決定的な大きな違いは、見た目が本書本体は昔の大学ノートのように見えるということである。なお、残念なことに本体の背は画像にない。何の文字も記されていない可能性もあろうか。

 次は、であるが、やはり箱と同じなので(但し、モノクローム)略す。]

 

 

     自 序

 

 近代の抒情詩、槪ね皆感覺に偏重し、イマヂズムに走り、或は理智の意匠的構成に耽つて、詩的情熱の單一な原質的表現を忘れて居る。却つてこの種の詩は、今日の批判で素朴的なものに考へられ、詩の原始形態の部に範疇づけられて居る。しかしながら思ふに、多彩の極致は單色であり、複雜の極致は素朴であり、そしてあらゆる進化した技巧の極致は、無技巧の自然的單一に歸するのである。藝術としての詩が、すべての歷史的發展の最後に於て、究極するところのイデアは、所詮ポエヂイの最も單純なる原質的實體、卽ち詩的情熱の素朴純粹なる咏嘆に存するのである。 (この意味に於て、著者は日本の和歌や俳句を、近代詩のイデアする未來的形態だと考へて居る。)[やぶちゃん注:丸括弧前の字空けはママ。]

 かうした理屈はとにかく、この詩集に納めた少數の詩は、すくなくとも著者にとつては、純粹にパツシヨネートな咏嘆詩であり、詩的情熱の最も純一の興奮だけを、素朴直截に表出した。換言すれば著者は、すべての藝術的意圖と藝術的野心を廢棄し、單に「心のまま」に、自然の感動に任せて書いたのである。したがつて著者は、決して自ら、この詩集の價値を世に問はうと思つて居ない。この詩集の正しい批判は、おそらく藝術品であるよりも、著者の實生活の記錄であり、切實に書かれた心の日記であるのだらう。

 著者の過去の生活は、北海の極地を漂ひ流れる、佗しい氷山の生活だつた。その氷山の嶋々から、幻像(まぼろし)のやうなオーロラを見て、著者はあこがれ、惱み、悅び、悲しみ、且つ自ら怒りつつ、空しく潮流のままに漂泊して來た。著者は「永遠の漂泊者」であり、何所に宿るべき家鄕も持たない。著者の心の上には、常に極地の佗しい曇天があり、魂を切り裂く氷島の風が鳴り叫んで居る。さうした痛ましい人生と、その實生活の日記とを、著者はすべて此等の詩篇に書いたのである。讀者よろしく、卷尾の小解と參照して讀まれたい。

 

 因に、集中の「鄕土望景詩」五篇は、中「監獄裏の林」の一篇を除く外、すべて既刊の集に發表した舊作である。此所にそれを再錄したのは、詩のスタイルを同一にし、且つ内容に於ても、本書の詩篇と一脈の通ずる精神があるからである。換言すればこの詩集は、或る意味に於て「鄕土望景詩」の續篇であるかも知れない。著者は東京に住んで居ながら、故鄕上州の平野の空を、いつも心の上に感じ、烈しく詩情を叙べるのである。それ故にこそ、すべての詩篇は「朗吟」であり、朗吟の情感で歌はれて居る。讀者は聲に出して讀むべきであり、決して默讀すべきではない。これは「歌ふための詩(うた)」なのである。

 

   昭和九年二月      著   者

 

[やぶちゃん注:「自序」の印刷ページからノンブルが始まる(「3」から)。ノンブルは右ページでは左隅、左ページでは右隅に打たれており、斜体。位置・フォントといい、非常にお洒落な印象を与える。なお、文中で朔太郎は『集中の「鄕土望景詩」五篇は、中』(うち)『「監獄裏の林」の一篇を除く外、すべて既刊の集に發表した舊作である』と但し書きしているのであるが、これは彼の全くの誤認で、「監獄裏の林」も本詩集より前の昭和三(一九二八)年三月に刊行した「第一書房版萩原朔太郞詩集」に既に既存の「鄕土望景詩」詩群に追加して(初出はもっと前の大正一五(一九二六)年四月号『日本詩人』であるが、そこに出した際にも末尾にはっきりと『(鄕土望景詩、追加續編)』と記しているのである。

「イマヂズム」imagism。二十世紀の初めに英米で起った新詩運動。イギリスの詩人で哲学者のトーマス・アーネスト・ヒューム(Thomas Ernest Hulme)の影響のもと、一九一二年頃からアメリカのエズラ・ウェストン・ルーミス・パウンド(Ezra Weston Loomis Pound)らを中心に始められ、ギリシア・ローマの短詩、日本の俳句、フランスの象徴詩などを援用しつつ、反ロマン主義的詩論を展開、『イマジストたち』(Des Imagistes 1914) 以下四冊のアンソロジーを出した。一九一四年、パウンドが〈渦巻派〉に転じたため,以後はアミー・ローレンス。ローウェル(Amy Lawrence Lowell)が指導的役割を果した。その周辺にあった大きな影響を受けた人物に作歌で詩人のD.H.ロレンス(David Herbert Richards Lawrence)がいる。正確な単語の使用、新しいリズムの創造、題材選択の自由、明確なイメージの提示、堅い明確な詩体及び集中主義を主張した。象徴主義の音楽に代って彫刻との類似を追究したイマジズムの意図は現代詩の底流となっている(以上は主文を「ブリタニカ国際大百科事典」に拠った)。

 以下、「目次」であるが、リーダとページ数は略した。]

 

   目 次

 

漂泊者の歌

遊園地にて

乃木坂倶樂部

殺せかし! 殺せかし!

歸鄕

波宜亭

家 庭

珈琲店 醉月

新 年

晚 秋

品川沖觀艦式

地下鐵道にて

小出新道

告 別

動物園にて

中學の校庭

國定忠治の墓

廣瀨川

無用の書物

虛無の鴉

我れの持たざるものは一切なり

監獄裏の林

昨日にまさる戀しさの

 

詩篇小解

 

 

 

    我が心また新しく泣かんとす

 

 冬日暮れぬ思ひ起せや岩に牡蠣

 

[やぶちゃん注:以上の前書付きの俳句は、「目次」の終わった「12」ページ見開き右、の左(「13」ページ相当であるが、ノンブルは意図的に打たれていない)にある。「牡蠣」は「かき」。「やぶちゃん版萩原朔太郎全句集」を見て戴きたいが、萩原朔太郎には数が非常に少ないが、俳句がある。本句は朔太郎自身が偏愛した一句で、遺稿にさえ、

 

   鳴呼すでに衰へ、わが心また新しく泣かむとす

 冬日くれぬ思ひ起せや岩に牡蠣

 

と記している。但し、この句はその前年の昭和八(一九三三)年十二月に西村月杖宅で催された句会での作、

 

 冬日くれぬ思ひおこせや牡蠣の塚

 

が初期形である。西村月杖は大森在住の俳人。この二年後の昭和一〇(一九三五)年に属していた『曲水』を脱退して「新興俳句運動」に参加、俳句と詩の統合を目指した俳誌『句帖』を発行した。これには朔太郎の他、彼の盟友室生犀星、百田宗治の他、何と西脇順三郎まで参加していた。]

 

 

 

  漂泊者の歌

 

日は斷崖の上に登り

憂ひは陸橋の下を低く步めり。

無限に遠き空の彼方

續ける鐵路の栅の背後(うしろ)に

一つの寂しき影は漂ふ。

 

ああ汝 漂泊者!

過去より來りて未來を過ぎ

久遠の鄕愁を追ひ行くもの。

いかなれば滄爾として

時計の如くに憂ひ步むぞ。

石もて蛇を殺すごとく

一つの輪廻を斷絕して

意志なき寂寥を蹈み切れかし。

 

ああ 惡魔よりも孤獨にして

汝は氷霜の冬に耐えたるかな!

かつて何物をも信ずることなく

汝の信ずるところに憤怒を知れり。

かつて欲情の否定を知らず

汝の欲情するものを彈劾せり。

いかなればまた愁ひ疲れて

やさしく抱かれ接吻(きす)する者の家に歸らん。

かつて何物をも汝は愛せず

何物もまたかつて汝を愛せざるべし。

 

ああ汝 寂寥の人

悲しき落日の坂を登りて

意志なき斷崖を漂泊(さまよ)ひ行けど

いづこに家鄕はあらざるべし。

汝の家鄕は有らざるべし!

 

 

【詩篇小解】漂泊者の歌(序詩) 斷崖に沿ふて、 陸橋の下を步み行く人。 そは我が永遠の姿。 寂しき漂泊者の影なり。 卷頭に揭げて序詩となす。

 

[やぶちゃん注:「耐えたるかな!」の「耐え」はママ。

「滄爾」音であろうから「さうじ(そうじ)」であるが、意味不明である。「滄」は「寒い」・「(海や水の色のように)蒼い」で、「爾」には熟語を形成する場合には「しかり・そのとおりである・そのように」と言った意味を修飾語(この場合は上の「蹌」)に添える助字か、或いは「のみ・だけ」の限定・断定の助字の可能性が考えられる。初出では後で示す通り、「滄而」となっているが、この熟語も判らぬ。正直、私は若い頃これを読んだ時は、勝手に「蹌踉」(さうらう(そうろう):足もとが定まらずにふらふらとよろけるさま)みたような意味だろうと勝手に思い込んで調べても見なかったことを自白する。ところが、筑摩版萩原朔太郎全集校訂本文を見ると、何んと、ここは、

いかなれば蹌爾として

と全く違う字に書き変えられてあるのである(例によってそれに就いての編者注などは全くない)。では、「蹌爾」とは何かと言うと、ネットで検索しても、これ、萩原朔太郎の本詩篇のここばかりが、痙攣的に引っ掛かるばかりなのである。「蹌」の字は「よろめき動く」「舞い踊る」の意が前後から押さえ得る。「爾」はその位置関係からは後者が「のみ・だけ」が相応しいものの、意味からは前者を採るべきであろう。則ち、ここは「蹌爾(さうじ(そうじ))たり」という形容動詞のタリ活用の連用形「蹌爾と」であって意味は「かくもよろめいている感じで」で、ここは、

――どうして、かくもよろめいて、時計の如くに憂え、今にもふらふらと倒れ込みそうに歩むのだ?

の謂いであろう。では「蹌爾たり」という形容動詞が単語として存在するかと言えば、存在しないのである。則ち、これは萩原朔太郎の造語ということなのである。この萩原朔太郎のトンデモ造語癖(彼には他に明らかな漢字誤用や歴史的仮名遣の誤りも実は非常に多い(本詩集でも以下で散見される)。これは思い込みで習慣化したもので晩年までずっと変わらずに確認される。彼には病的な固執傾向が多く認められることから、他者からそれを指摘されてもそれを直す意志は持たず、寧ろその誤りを徹底することによって自身に内側だけで正当化し、閉じた孤独な世界の正当な規範とする偏執(パラノイア)的性情の持ち主であったと考えて間違いない)については、「氷島」をケチョンケチョンに言って詩集としてほぼ全否定している三好達治が既に気づいて批判していた。合地舜介氏の「中原中也インナープラネット」に「三好達治の「氷島」否定論について6/鋳型を用いた反射的な用語用字」で、三好が、『この「蹌爾」は「蹌踉」の借用であり、「いかんぞ乞食の如く羞爾として」の「羞爾」も同じであり』、『「爾」という字が「氷島」中に繰り返されるのは「いかんぞ乞食の如く羞爾として」の「羞爾」は(語法としては)よいにしても(「蹌爾」が「蹌踉」からの借用であったのと)同じ転用に過ぎない』。『「爾」と』いう『字の使い方もまた「氷島」中で繰り返しが目に付く刺々(とげとげ)しい着字』(つけじ)『である』(「『詩の原理』の原理」(昭和三五(一九六〇)年初出からの引用らしい)とあるのである。私は三好のように「氷島」否定論に立たないが(私は朔太郎が伊東静雄を褒めちぎったのをポスト朔太郎の地位を狙っていた三好が「過褒だ」として取消を求めたが、朔太郎が撤回しなかったことを根に持って永く静雄を遠ざけた件で人間として彼が甚だ嫌いである)、取り敢えず私の若き日の不勉強な読み換えは誤りではなかったことを図らずも三好は証明して呉れていた。

 初出は昭和六(一九三一)年六月号『改造』。

   *

 

  漂泊者の歌

 

日は斷崖の上に登り

憂ひは陸橋の下を低く步めり。

無限に遠き空の彼方

續ける鐵路の柵の背後(うしろ)に

一つの寂しき影は漂ふ。

ああ汝 漂泊者

過去より來りて未來を過ぎ

久遠の鄕愁を追ひ行くもの。

いかなれば滄而として

時計の如くに憂ひ步むぞ。

石もて蛇を殺すごとく

一つの輪廻を斷絕して

意志なき寂寥を蹈み切れかし。

ああ 惡魔よりも孤獨にして

汝は氷霜の冬に耐えたるかな!

かつて何物をも信ずることなく

汝の信ずるところに憤怒を知れり。

かつて欲情の否定を知らず

汝の欲情するものを彈劾せり。

いかなればまた愁ひ疲れて

やさしく抱かれ接吻(きす)する者の家に歸らん。

かつて何物をも汝は愛せず

何物もまたかつて汝を愛せざるべし。

ああ汝 寂寥の人

悲しき落日の坂を登りて

意志なき斷崖を迷ひ行けど

いづこに家鄕は非ざるべし。

汝の家鄕は有らざるべし!

          ――一九三一・二月――

 

   *

判り難いが、初出では四行目が「柵」で正字「栅」と異なる。

 さて、昭和五四(一九七九)年講談社文庫刊の那珂太郎編著「名詩鑑賞 萩原朔太郎」では本篇について、『「意志なき寂寥」の否定』と題して以下のように述べておられる。底本の傍点「ヽ」を太字に代えた。

   《引用開始》

自身を漂泊者とみなすことは、『青描』末期から「『青猫』以後」にかけての多くの作においても、しばしばくりかえされたところですが、特にここではニイチェの『ツアラトウストラ』第三部冒頭の『漂泊者』を連想させます。ニイチェの、それも生田長江訳のニイチェの影響が、『氷島』全体の語調に、その思索表白的スタイルに、さらにはおのれの虚無感への反語的姿勢にまでみられることは、あきらかですが、この作品においてその気配は殊に濃厚なのです。

 ともあれここには否定的精神のはげしさが貫いていますが、これを論理としてたどろうとすると必ずしも明晰(めいせき)とはいえず、たとえば、「一つ輪廻(りんね)を断絶して/意志なき寂寥を(せいれう)を蹈(ふ)み切れかし」という詩句にしても、この作者が「『青猫』以後」までにつきつめてきた生認識の、行きどまりのはての、意志を喪失(そうしつ)したおのれに対する真摯(しんし)な自己指弾(しだん)であることは疑いなく、詩的言語としての緊張力をもつものといえますが、また終連においては、「意志なき断崖を漂泊(さまよ)ひ行けど」と、思索論理の上でなんら前進することなく終わらされています。そして、「久遠(くをん)の郷愁を追ひ行く」ことと、「意志なき」こととの次元関係も、ここでは一向あかされてはいないのです。

 しかしじつは作者は、ここで論理をのべようとしているのではありません、むしろ論理を拒否したところで、おのれの決意を、というより激した感情の――あえていえばドラマを、うたっているのです。「いかなれば蹌爾(さうじ)として/時計の如くに憂ひ歩むぞ」と、おのれ自身に彼は呼びかけますが、虚空に放たれるこの「いかなれば」という疑問符には、どのような答えもなく、「意志なき寂寥(せきれう)」は踏み切られるわけもなく、そのゆえにこそまた、ことばだけが空無の中に存在しつづけるほかないのです。この詩のもつリズム、その音のひびき=語調にこそ、作者がここで真に表現しようとするものの内実がこめられています。読者はただ文字の意味だけを読んではなりますまい。耳で聽(き)きとらなければなりません。

   《引用終了》

これは至当な評言と思う。『生田長江訳の』『ニイチェの『ツアラトウストラ』第三部冒頭の『漂泊者』』は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらで読める。さても。それこそ「蹌爾」という造語を挙げつらって、批判する三好達治がこれを実際に朗吟することで味わおうとしなかった点にこそ、詩人としての致命的な落ち度が私はあるとさえ思っている。]

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