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2020/05/10

石川啄木 詩集「あこがれ」(初版準拠版) 光の門

 

   光 の 門

 

よすがら堪へぬなやみに氣は沮(はゞ)み、

黑蛇(くろへみ)ねむり、八百千(やはち)の梟(ふくろふ)の

暗聲(やみごゑ)あはす迷ひの森の中、

あゆみにつるる朽葉(くちば)の唸(うめ)きをも

罪にか誘ふ陰府(よみぢ)のあざけりと

心責めつつ、あてなくたどり來て、

何かも、どよむ響のあたらしく

胸にし入るに、驚き見まもれば、

今こそ立ちぬ、光の門(かど)に、我れ。

 

ああ我が長き悶(もだえ)の夜は退(しぞ)き、

香もあたらしき朝風吹きみちて、

吹き行く所、我が目に入るところ、

自由と愛にすべての暗は消え、

かなしき鳥の叫びも、森影も、

うしろに遙か谷間(たにま)にかくれ去り、

立つは自然の搖床(ゆりどこ)、しろがねの

砂布(し)きのべし朝(あした)の磯の上。

 

不朽(ふきう)の勇み漲る太洋(おほわだ)の

張りたる胸は、はてなく、紫の

光をのせて、東に、曙(あけ)高き

白幟(しらはた)のぼる雲際(くもぎは)どよもしぬ。

ああその光、──靑渦(あをうづ)底もなき

海底(うなぞこ)守る祕密の國よりか。

はた夜と暗と夢なき大空(おほぞら)の

紅玉(こうぎよく)匂ふ玉階(たまはし)すべり來し

天華(てんげ)のなだれ。 或は我が胸の

生火(いくひ)の焰もえ立つひらめきか。──

蒼空(あをぞら)かぎり、海路(うなぢ)と天(あめ)の門(と)の

落ち合ふ所、日輪(にちりん)おごそかに

あたらしき世の希望に生れ出で、

海と陸(くが)とのとこしへ抱く所、

ものみな荒(すさ)む黑影(くろかげ)夜と共に

葬り了(を)へて、長夜(ながよ)の虛洞(うつろ)より、

わが路照らす日ぞとも、わが魂は

今こそ高き叫びに醒めにたれ。

 

明け立ちそめし曙光(しよくきわう)の逆(さか)もどり

東の宮にかへれる例(ためし)なく

一度(ひとたび)醒(さ)めし心の初日影、

この世の極み、眠らむ時はなし。

ああ野も山も遠鳴(とほな)る海原も

百千(もゝち)の鐘をあつめて、新らしき

光の門(かど)に、ひるまぬ進軍(しんぐん)の

歡呼(くわんこ)の調の鬨(とき)をば作れかし。

 

よろこび躍り我が踏む足音に

驚き立ちて、高きに磯雲雀(いそひばり)

うたふや朝の迎(むか)への愛の曲。

その曲、浪に、砂(いさご)に、香藻(にほひも)に

い渡る生(せい)の光の聲撒(ま)けば

わが魂はやく、白羽の鳥の如、

さまよふ樂(がく)の八重垣(やへがき)うつくしき

曙光の空に融け行き、翅(は)をのべて、

名たたる猛者(もさ)が弓弦(ゆんづる)鳴りひびき

射出す征矢(そや)もとどかぬ蒼穹(あをぞら)ゆ、

靑海、巷(ちまた)、高山(たかやま)、深森(ふかもり)の

わかちもあらず、皆わがいとし兒(ご)の

覺(さ)めたる朝の姿と臨(のぞ)むかな。

           (甲辰八月十五日夜)

 

   *

 

   光 の 門

 

よすがら堪へぬなやみに氣は沮(はゞ)み、

黑蛇(くろへみ)ねむり、八百千(やはち)の梟の

暗聲(やみごゑ)あはす迷ひの森の中、

あゆみにつるる朽葉の唸きをも

罪にか誘ふ陰府(よみぢ)のあざけりと

心責めつつ、あてなくたどり來て、

何かも、どよむ響のあたらしく

胸にし入るに、驚き見まもれば、

今こそ立ちぬ、光の門(かど)に、我れ。

 

ああ我が長き悶(もだえ)の夜は退(しぞ)き、

香もあたらしき朝風吹きみちて、

吹き行く所、我が目に入るところ、

自由と愛にすべての暗は消え、

かなしき鳥の叫びも、森影も、

うしろに遙か谷間にかくれ去り、

立つは自然の搖床(ゆりどこ)、しろがねの

砂布きのべし朝(あした)の磯の上。

 

不朽の勇み漲る太洋(おほわだ)の

張りたる胸は、はてなく、紫の

光をのせて、東に、曙(あけ)高き

白幟(しらはた)のぼる雲際どよもしぬ。

ああその光、──靑渦底もなき

海底(うなぞこ)守る祕密の國よりか。

はた夜と暗と夢なき大空の

紅玉匂ふ玉階(たまはし)すべり來し

天華(てんげ)のなだれ。 或は我が胸の

生火(いくひ)の焰もえ立つひらめきか。──

蒼空かぎり、海路(うなぢ)と天(あめ)の門(と)の

落ち合ふ所、日輪おごそかに

あたらしき世の希望に生れ出で、

海と陸(くが)とのとこしへ抱く所、

ものみな荒む黑影夜と共に

葬り了へて、長夜の虛洞(うつろ)より、

わが路照らす日ぞとも、わが魂は

今こそ高き叫びに醒めにたれ。

 

明け立ちそめし曙光の逆もどり

東の宮にかへれる例(ためし)なく

一度(ひとたび)醒めし心の初日影、

この世の極み、眠らむ時はなし。

ああ野も山も遠鳴(とほな)る海原も

百千(もゝち)の鐘をあつめて、新らしき

光の門(かど)に、ひるまぬ進軍の

歡呼の調の鬨をば作れかし。

 

よろこび躍り我が踏む足音に

驚き立ちて、高きに磯雲雀

うたふや朝の迎への愛の曲。

その曲、浪に、砂(いさご)に、香藻(にほひも)に

い渡る生の光の聲撒けば

わが魂はやく、白羽の鳥の如、

さまよふ樂の八重垣うつくしき

曙光の空に融け行き、翅(は)をのべて、

名たたる猛者が弓弦(ゆんづる)鳴りひびき

射出す征矢もとどかぬ蒼穹(あをぞら)ゆ、

靑海、巷、高山(たかやま)、深森(ふかもり)の

わかちもあらず、皆わがいとし兒の

覺めたる朝の姿と臨むかな。

           (甲辰八月十五日夜)

[やぶちゃん注:最終連の後ろから三行目の「巷」は底本では(くさかんむり)に「大」と(「氾」-「氵」)を立に組んだ奇妙な字体であるが、表記出来ない。筑摩版全集も「巷(ちまた)」であり、同全集の初出も「巷(ちまた)」であるので、それで表記した。句点の後の字空けは見た目を再現した。初出は明治三七(一九〇四)年九月号『白百合』で、総表題「高風吟」で、本篇「光の門」と前の「鷗」が載る。初出は、以下が有意に異なる。

・第一連の最後の「今こそ立ちぬ、光の門(かど)に、我れ。」が「我れこそ今立ちたれ光(ひかり)の門(と)。」となっている。

・第三連「生火(いくひ)の焰もえ立つひらめきか。──」が「生火(いくひ)の焰(ほむら)もえ立つひらめきか。」となっており、しかもそこで第三連が終わっており、連が一つ増えている。

・第四連頭の「明け立ちそめし曙光(しよくきわう)の逆(さか)もどり」が第五連冒頭となって、しかも「明け立ち初(そ)めし曙光(しよくきわう)のまた更に」となっている。

「沮(はゞ)み」「阻(はば)み」に同じ。初出では「砠」となっているが、これは「石山」「土山」の意の名詞で誤用。]

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