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2020/05/30

萩原朔太郎 氷島 初版本原拠版 附・初出形 晩秋

 

   晚秋

 

汽車は高架を走り行き

思ひは陽(ひ)ざしの影をさまよふ。

靜かに心を顧みて

滿たさるなきに驚けり。

巷(ちまた)に秋の夕日散り

鋪道に車馬は行き交へども

わが人生は有りや無しや。

煤煙くもる裏街の

貧しき家の窓にさへ

斑黃葵(むらさきあほひ)の花は咲きたり。

                    ――朗吟のために――

 

[やぶちゃん注:「斑黃葵(むらさきあほひ)」の「あほひ」はママ。歴史的仮名遣は「あふひ」が正しい。

 さて、この「斑黃葵(むらさきあほひ)」に違和感を持つ読者は多いだろう。というより、漢字表記を愚かにも無視して、紫色の葵の花をイメージして合点してしまって読み過ごしてきたという読者も多いであろう。現に今、私のこの注記を読んで初めて「おや? 言われて見ると!?!」と全く以ってこの瞬間までここで立ち止まったことがない萩原朔太郎愛読家さえいるであろう(その責任は、実は、後述するように、あなた方読者のせいでは、実は、ない、のである。私より年上の方は、皆、これを「むらさきあほひ」(むらさきあおい)と萩原朔太郎の本篇が載るあらゆる詩集・解説などで読まされてきたのである)

 そもそもが、しかし、「斑黃」を「むらさき」とは読めないだろうという不審は正当である。さればこそ、そのような読みがあるかどうかをまずは調べてみたくなるであろう。そうしてそんな読みはおろか、「斑黄」という熟語にも遂に辿り着くことはないであろう。さらに「ムラサキアオイ」を標準和名に持つ植物も存在しないことに気づくであろう。

 そうして後掲する初出を見て、そこに「斑黃葵(むらきあふひ)の花は涸れたり。」とあることに気づいて、極めて多くの読者はその「むらきあふひ」(正しい歴史的仮名遣は「むらきあふひ」)のルビに驚愕されるであろう。そうである。この「むらさきあふひ」は実は本初版本の単なるルビの誤植であって、正しくは「むらきあふひ」なのである。

 さらに、恐るべきことに、これは驚くばかりに疾患の根が深く永いのだ。実はこの初版以来、永くこの誤植のままに本篇「晩秋」の最終行は「斑黃葵(むらさきあほひ)の花は咲きたり。」と誤ったまま表示され、読まれ続けたのである。それは戦後までも、なのである。昭和五四(一九七九)年講談社文庫刊の那珂太郎編著「名詩鑑賞 萩原朔太郎」で本篇についての解説の最後に、『「斑黄葵」のルビは『氷島』初版(昭和九年)で「むらさきあふひ」と誤植されて以来、約四十年間すべての刊本がこれを踏襲してきましたが、これ』は清岡卓行『氏の指摘によって訂されました』とあるのである。昭和九(一九三四)年から四十年後は、一九七四年(昭和四十九年)である。則ち、本篇が正しく「むらきあふひ(むらきあおい)」とルビが振られるようになったのは、恐らくその翌年辺りからで、それはまさに私が大学に入った年であったのである。

 しかも、そこでもこの「むらさきあほひ」の謎は終わらないのである。植物に詳しい方でも、その「斑黃葵」=「むらきあおい」とは如何なる植物であろう? と首をひねるはずである。而して調べて見ても、ムラキアオイという標準和名の植物は、これまた、実在しないのである。

 私はまず、検索の曖昧な結果を見るうち、似た文字列の「黄蜀葵」に着目した。これはアオイ目アオイ科Malvoideae亜科フヨウ連トロロアオイ属トロロアオイ Abelmoschus manihot の和名漢字表記であると同時に、現代の中国語名でもある。中国原産であるが、早くに本邦にはち込まれて、手漉和紙の糊(固定剤)として使用されてきた歴史がある。

 次に少し落ち着いて立ち止まって考えてみると、問題はそもそもが「斑黃」の読みが何故、「むらき」なのかである。これは容易に想像はつく。「斑」は「むら」と訓じられるからでる。この「斑」(ムラ)は専ら日常的には「ムラのある塗り方」などの用例で見るように、斑(まだら)になっている状態をイメージし、そこから直に斑点の映像を浮かべてしまい勝ちなのであるが、「斑(むら)」は対象体の「色の濃淡」や「その物の厚さ薄さ」またはその「表面に凹凸があるように見えること」を広汎に指す語である。とすれば、この「斑黃(むらき)」とはその「花」の色が黄色いけれども、全体に一様に一色なのではなく、薄い黄色と濃ゆい黄色とが交じっているという意味にとれるのである。それは恐らく「まだら」にくっきりしている必要はなく、薄く見えるところから次第に濃く見えるところがグラデーションになっている場合でも「斑黃」だと言えるということである。しかも「むら」の今一つの「厚さ薄さ」を念頭におくなら、植物の花弁(或いは花と思っている萼など)の多くは、花の中心方向に向かって花びらは厚くなってゆき、辺縁部は薄いのが普通であり、厚さが薄くなれば色は当然、薄く見えるのである。更に言えば、皺のある花びらは凹がくっきりと見える場合、それは「斑(むら)」があると言えるのである。

 さて、先に記したトロロアオイは別称を「花オクラ」と言うほどに綺麗な黄色の大きな花を咲かせるのである。ウィキの「トロロアオイ」によれば、八月~九月に開花し、『花の色は淡黄からやや白に近く、濃紫色の模様を花びらの中心につける。花は綿の花に似た形状をしており、花弁は』五『つ。花の大きさは』十~二十センチメートルで、オクラ(トロロアオイ属オクラ Abelmoschus esculentus)の『倍近い』(但し、実は堅くて不味く、食用にはならないが、花は食べられる)。『朝に咲いて夕方にしぼみ、夜になると』、『地面に落ちる。花びらは横の方向を向いて咲くため、側近盞花(そっきんさんか)とも呼ばれる』とある。グーグル画像検索「トロロアオイ」をリンクさせておく。目立つ大きなグラデーションのあるように見える黄色で皺のある花びらなのである。

 しかし、トロロアオイは綺麗な黄色の花を咲かせるものの、私自身、とある園芸家の庭で数度みたことがあるばかりで、普通に町を歩いていて見かけたことがなく、しかも花が短命であることが気になる。さらに、問題はここでは「煤煙くもる裏街の」「貧しき家の窓にさへ」「斑黃葵(むらさきあほひ)の花は咲」くのである。とすれば、この花は市井で普通に見られる黄色い花でなくてはならないのである。とすれば、私が頭に浮かべるのは唯一つだだ。則ち、アオイ目アオイ科ビロードアオイ属タチアオイ Althaea rosea(本邦には古くから薬用として渡来したとされる。当初は中国原産と考えられていたが、現在ではビロードアオイ属(Althaea)のトルコ原産種と東ヨーロッパ原産種との雑種(Althaea setosa ×Althaea pallida)とする説が有力)の黄色系の花を咲かせるものである。タチアオイの花は品種によって八重のものもあり、花びらは十センチメートルほどで、葉の皺(凸凹)がよく目立つし、黄色のものは辺縁部に向かって有意に薄くなっている。但し、こちらは花期が六~八月で、本篇の「晩秋」という設定と全くズレてしまうのだ(敢えて言えば初出は表題が「晩秋」ではなく「斷章」であり(本文には本篇と同じく「秋の夕日散り」とはある)、最終行は「斑黃葵(むらきあふひ)の花は涸れたり。」で枯れているのだから、タチアオイでもぎりぎりセーフの気はする。でも彼らは梅雨が終わるとだめだからなぁ。まあ、時制をズラすのは萩原朔太郎お得意のことではあるから秋の花としなくてもいいかもと、最後は逃げを打っておく)。ともかくも、よりシチュエーションにしくりくる晩秋の花の種があるとなれば、御教授戴ければ幸いである。

 那珂氏は前掲書で、「わが人生は有りや無しや」』と題する鑑賞文で以下のように述べておられる。

   《引用開始》

 これははじめ「断章」と題して昭和六年一月二十二日付『都新聞』に発表、尾に「一九三〇―十二月作」とし、「この詩は朗吟調に作ってある。成るべくは黙読でなく声に出して歌って下さい。」と付記されていました。のち前掲二篇[やぶちゃん注:「乃木坂倶樂部」「歸鄕」を指す。]と同じ『詩・現実』第四輯(しゅう)に、「短唱」と改題して再掲載されました。

 「朗吟のために」と作者みずから言う通り、文語定型の七・五の伝統的な音律を基調としながら、七・七をまじえ、さらに字余りによって微妙に緩急をくわえ、また「k」子音の使用が音律を引き緊(しめ)てすぐれた短唱となっています。とりわけ高潮部の「わが人生は有りや無しや」の七・六音は、切れのいい「i」母音をまじえながら「a」母音のつらなりが息深く詠嘆をふくらませています。

 これは、東京生活数年の後、昭和四年妻と離別し、翌五年には郷里の父の死にあうなど、実生活の上でも痛苦をかさねた作者が、その年の秋に書いた作ですが、「静かに心を顧みて/満たさるなきに驚けり」という感懐の表白は、むろん単に実生活上の経験だけから来たものではないはずです。より根底的には、それは、彼が夢みてきた「近代」そのものへの幻滅の表白にほかならなかったでしょう。

 なお、最終行の「斑黄葵の花は咲きたり」は、初出では「花は涸れたり」となっていたのを、のちに作者が書き改めたのですが、この一語の書きかえによって、作品全体がずっとふくらみと奥行をましたことを、清岡卓行氏が指摘しています。

   《引用終了》

とあって、この後に「斑黃葵」の先の記載が出るのである。

 以下、初出の昭和六(一九三一)年一月二十二日附『都新聞』掲載の「斷章」を示す。

   *

 

   斷章

 

汽(き)車は高架(か)を走(はし)り行き

思(おも)ひは陽ざしの影(かげ)をさまよふ

しづかに心を顧(かへり)みて

滿たさるなきに驚(おどろ)けり。

巷(ちまた)に秋(あき)の夕日散り

鋪道に車馬は行き交(まじ)へども

わが人生は有(ある)や無しや。

煤煙(ばいえん)くもる裏(うら)街の

貧(まづ)しき家の窓(まど)にさへ

斑黃葵(むらきあふひ)の花は涸(か)れたり。

               一九三〇―十一月作

 この詩は朗吟調に作つてある。成るべく
 は默讀でなく聲に出して歌つて下さい。 

 

   *]

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