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2020/05/30

萩原朔太郎 氷島 初版本原拠版 附・初出形 品川沖觀艦式

 

  品川沖觀艦式

 

低き灰色の空の下に

軍艦の列は橫はれり。

暗憺として錨をおろし

みな重砲の城の如く

無言に沈欝して見ゆるかな。

 

曇天暗く

埠頭に觀衆の群も散りたり。

しだいに暮れゆく海波の上

既に分列の任務を終へて

艦(ふね)等みな歸港の情に渴けるなり。

 

冬の日沖に荒れむとして

浪は舷側に凍り泣き

錆は鐵板に食ひつけども

軍艦の列は動かんとせず

蒼茫たる海洋の上

彼等の叫び、渴き、熱意するものを强く持せり。

 

【詩篇小解】 品川沖觀艦式  昭和四年一月、 品川沖に觀艦式を見る。 時薄暮に迫り、 分列の式既に終りて、 觀衆は皆散りたれども、 灰色の悲しき軍艦等、 尙錨をおろして海上にあり。 彼等みな軍務を終りて、 歸港の情に渴ける如し。 我れ既に生活して、 長く既に疲れたれども、 軍務の歸すべき港を知らず。 暗憺として碇泊し、心みな錆びて牡蠣に食はれたり。 いかんぞ風景を見て傷心せざらん。 欝然として怒に耐えず、 遠く沖に向て叫び、 我が意志の烈しき渴きに苦しめり。

 

[やぶちゃん注:実は、底本は視認するに、第二連の後は版組から考えると、二行分、空いている(「42」ページ)。これは第三連の頭を一行しか持ってこれず、連としての自然さを壊し、読者を惑わすことを考慮して確信犯で空けたものである。

 昭和五四(一九七九)年講談社文庫刊の那珂太郎編著「名詩鑑賞 萩原朔太郎」で本篇について『なだめがたい飢渇感』という表題の評釈の中で(傍点は太字に代えた)、

   《引用開始》

 この作の素材となったのは、昭和四年一月(じつは品川沖で観艦式が行われたのは昭和三年十二月)に見たという観艦式あとの品川沖の実景ですが、ここではもはやそれが、作者内部のまったきヴィジョンにまで昇華されています。「しだいに暮れゆく海波の上/既に分列の任務を終へて/艦等みな帰港の情に渇けるなり」と軍艦のイメェジがうたわれるとき、読者は必然的に、そこに二重写しに、作者のなだめがたい飢渇感が迫ってくるのを知るのです。それは、かつての「愛」の現実的対象への飢渇であり、また漠然たる人生のイデアヘの飢渇であり、あるいは「信じられないものを信じようとする」(「草稿詩稿」)信仰への飢渇であり、さらには「遠い実在への涙ぐましいあこがれ」「霊魂ののすたるぢや」であったところのもの、――そしていまは、飢渇すべき対象さえついにさだかでないままに、なおかつ飢え渇く魂の、ただ「帰港」すべきところを求めようとする、やむことのない飢渇感なのです。

「冬日暮れぬ思ひ起せや岩に牡蠣(かき)」の一句を、著者は、『氷島』の扉(とびら)にしるしましたが、生の無目的感、虚無感は、すでに久しく、牡蠣のように彼の内部に食いつく宿痾となったのにかかわらず、なにとはしれぬ飢渇の情ばかりは、なおも、ありつづけるのです。それがここでは、『月に吠える』『青猫』当時の幻視幻想のイメェジではなく、方法的にはこの詩人の「退却」といわざるをえない、客観的事物への感情移入という、古風なかたちをとるものにせよ、「蒼茫(さうばう)たる海洋の上」に、「叫び、渇き、熱意」しつづける軍艦の列によって、みごとに、表現しおおされています。外部の事象と内部の観念とが渾和し融合している点で、きわだつ秀作です。

   《引用終了》

と述べておられる。ところが、『「信じられないものを信じようとする」(「草稿詩稿」)』とあるが、この引用元は不詳である。筑摩版全集には本「品川沖觀艦式」の草稿詩篇は有意な異同がないものとして載らないからである。但し、全集編者によって「品川沖觀艦式」の原稿は一種二枚が残っているとあるので、或いは那珂氏はそれを見たものか。因みに同全集の編集者には那珂氏が入っている。後の「遠い実在への涙ぐましいあこがれ」「霊魂ののすたるぢや」の方は、先行する大正一二(一九二三)年一月に新潮社から刊行された詩集「靑猫」の序(リンク先は 私の『萩原朔太郞 靑猫 (初版・正規表現版)始動 序・凡例・目次・「薄暮の部屋」』)の第一段落(後者)と第二段落(前者)からの引用である。

 初出は昭和六(一九三一)年三月発行の『詩・現實』第四冊。

   *

 

  品川沖觀艦式

 

低き灰色の空の下に

軍艦の列は橫はれり。

暗憺として錨をおろし

みな重砲の城の如く

無言に沈鬱して見ゆるかな。

 

曇天暗く

埠頭に觀衆の群も散りたり。

しだいに暮れゆく海波の上

既に分列の任務を終へて

艦(ふね)等みな歸港の情に渴けるなり。

 

冬の日沖に荒れむとして

浪は舷側に凍り泣き

錆(さび)は鐵板に食ひつけども

軍艦の列は動かんとせず。

蒼茫たる海洋の上

彼等の渴き、叫び、熱意するものを强く持せり。

 

   *]

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