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2020/05/03

石川啄木 詩集「あこがれ」(初版準拠版) 鷗

 

   

 

藻の香に染みし白晝(まひる)の砂枕(すなまくら)、

ましろき鷗(かもめ)、ゆたかに、波の穗を

光の羽(はね)にわけつつ、碎け去る

汀の漚(あは)にえものをあさりては、

わが足近く翼を休らへぬ。

 

諸手(もろて)をのべて、高らに吟(ぎん)ずれど、

鳥驚かず、とび去らず、

ぬれたる砂にあゆみて、退(しぞ)き、また

寄せくる波をむかへて、よろこびぬ。

 

つぶらにあきて、靑海の

匂ひかがやく小瞳は、

眞珠の光あつめし聖の壺(つぼ)。

はてなき海を家とし、歌として、

おのが翼を力(ちから)と遊べばか、

汝(な)が行くところ、瞳(ひとみ)の射る所、

狐疑(うたがひ)、怖れ、さげしみ、あなどりの

さもしき陰影(かげ)は隱れて、空蒼(あを)し。

 

ああ逍遙(さまよひ)よ、をきての網(あみ)の中

立ちつつまれてあたりをかへり見る

むなしき鎖解(と)きたる逍遙(さまよひ)よ、

それただ我ら自然の寵兒(まなご)らが

高行く天(あめ)の世に似る路なれや。

來ても聞けかし、今この鳥の歌。──

さまよひなれば、自由(まゝ)なる戀の夢、

あけぼの開く白藻(しらも)の香に宿り、

起伏つきぬ五百重(いほへ)の浪の音に

光と暗はい湧きて、とこしへの

勇みの歌は、ひるまぬ生(せい)の樂(がく)。

 

ああ我が友よ、願ふは、暫しだに、

つかるる日なき光の白羽をぞ

翼なき子の胸にもゆるさずや。

汝(な)があるところ、平和(やはらぎ)、よろこびの

軟風(なよかぜ)かよひ、黃金(こがね)の日は照(て)れど、

人の世の國けがれの風長く、

自由の花は百年(もゝとせ)地に委して

不朽(ふきう)と詩との自然はほろびたり。

           (甲辰八月十四日夜)

 

   *

 

 

   

 

藻の香に染みし白晝(まひる)の砂枕、

ましろき鷗、ゆたかに、波の穗を

光の羽にわけつつ、碎け去る

汀の漚(あは)にえものをあさりては、

わが足近く翼を休らへぬ。

 

諸手をのべて、高らに吟ずれど、

鳥驚かず、とび去らず、

ぬれたる砂にあゆみて、退(しぞ)き、また

寄せくる波をむかへて、よろこびぬ。

 

つぶらにあきて、靑海の

匂ひかがやく小瞳は、

眞珠の光あつめし聖の壺。

はてなき海を家とし、歌として、

おのが翼を力と遊べばか、

汝(な)が行くところ、瞳の射る所、

狐疑(うたがひ)、怖れ、さげしみ、あなどりの

さもしき陰影(かげ)は隱れて、空蒼し。

 

ああ逍遙(さまよひ)よ、をきての網の中

立ちつつまれてあたりをかへり見る

むなしき鎖解きたる逍遙よ、

それただ我ら自然の寵兒(まなご)らが

高行く天(あめ)の世に似る路なれや。

來ても聞けかし、今この鳥の歌。──

さまよひなれば、自由(まゝ)なる戀の夢、

あけぼの開く白藻(しらも)の香に宿り、

起伏つきぬ五百重(いほへ)の浪の音に

光と暗はい湧きて、とこしへの

勇みの歌は、ひるまぬ生の樂。

 

ああ我が友よ、願ふは、暫しだに、

つかるる日なき光の白羽をぞ

翼なき子の胸にもゆるさずや。

汝があるところ、平和(やはらぎ)、よろこびの

軟風(なよかぜ)かよひ、黃金(こがね)の日は照れど、

人の世の國けがれの風長く、

自由の花は百年(もゝとせ)地に委して

不朽と詩との自然はほろびたり。

           (甲辰八月十四日夜)

[やぶちゃん注:「をきての網(あみ)の中」の「をきて」はママ。初出は『おきての網(あみ)の中』。感覚的に見て「掟」の意であろうから、「を」は誤りである。初出は『白百合』明治三七(一九〇四)九月号に「高風吟」の総表題で前に次の「光の門」を配して二篇。

「汀」「みぎは」。初出にはそうルビする。

「漚(あは)」「泡」に同じい。

「小瞳」初出では「こひとみ」とルビする。

「狐疑(うたがひ)」二字へのルビ。通常はそのまま「こぎ」と読む。狐が疑い深い動物だとされることから、「疑い深いこと」「猜疑心を持つこと」を謂う。

「自由(まゝ)なる」二字へのルビ。]

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