石川啄木 詩集「あこがれ」(初版準拠版) 鷗
鷗
藻の香に染みし白晝(まひる)の砂枕(すなまくら)、
ましろき鷗(かもめ)、ゆたかに、波の穗を
光の羽(はね)にわけつつ、碎け去る
汀の漚(あは)にえものをあさりては、
わが足近く翼を休らへぬ。
諸手(もろて)をのべて、高らに吟(ぎん)ずれど、
鳥驚かず、とび去らず、
ぬれたる砂にあゆみて、退(しぞ)き、また
寄せくる波をむかへて、よろこびぬ。
つぶらにあきて、靑海の
匂ひかがやく小瞳は、
眞珠の光あつめし聖の壺(つぼ)。
はてなき海を家とし、歌として、
おのが翼を力(ちから)と遊べばか、
汝(な)が行くところ、瞳(ひとみ)の射る所、
狐疑(うたがひ)、怖れ、さげしみ、あなどりの
さもしき陰影(かげ)は隱れて、空蒼(あを)し。
ああ逍遙(さまよひ)よ、をきての網(あみ)の中
立ちつつまれてあたりをかへり見る
むなしき鎖解(と)きたる逍遙(さまよひ)よ、
それただ我ら自然の寵兒(まなご)らが
高行く天(あめ)の世に似る路なれや。
來ても聞けかし、今この鳥の歌。──
さまよひなれば、自由(まゝ)なる戀の夢、
あけぼの開く白藻(しらも)の香に宿り、
起伏つきぬ五百重(いほへ)の浪の音に
光と暗はい湧きて、とこしへの
勇みの歌は、ひるまぬ生(せい)の樂(がく)。
ああ我が友よ、願ふは、暫しだに、
つかるる日なき光の白羽をぞ
翼なき子の胸にもゆるさずや。
汝(な)があるところ、平和(やはらぎ)、よろこびの
軟風(なよかぜ)かよひ、黃金(こがね)の日は照(て)れど、
人の世の國けがれの風長く、
自由の花は百年(もゝとせ)地に委して
不朽(ふきう)と詩との自然はほろびたり。
(甲辰八月十四日夜)
*
鷗
藻の香に染みし白晝(まひる)の砂枕、
ましろき鷗、ゆたかに、波の穗を
光の羽にわけつつ、碎け去る
汀の漚(あは)にえものをあさりては、
わが足近く翼を休らへぬ。
諸手をのべて、高らに吟ずれど、
鳥驚かず、とび去らず、
ぬれたる砂にあゆみて、退(しぞ)き、また
寄せくる波をむかへて、よろこびぬ。
つぶらにあきて、靑海の
匂ひかがやく小瞳は、
眞珠の光あつめし聖の壺。
はてなき海を家とし、歌として、
おのが翼を力と遊べばか、
汝(な)が行くところ、瞳の射る所、
狐疑(うたがひ)、怖れ、さげしみ、あなどりの
さもしき陰影(かげ)は隱れて、空蒼し。
ああ逍遙(さまよひ)よ、をきての網の中
立ちつつまれてあたりをかへり見る
むなしき鎖解きたる逍遙よ、
それただ我ら自然の寵兒(まなご)らが
高行く天(あめ)の世に似る路なれや。
來ても聞けかし、今この鳥の歌。──
さまよひなれば、自由(まゝ)なる戀の夢、
あけぼの開く白藻(しらも)の香に宿り、
起伏つきぬ五百重(いほへ)の浪の音に
光と暗はい湧きて、とこしへの
勇みの歌は、ひるまぬ生の樂。
ああ我が友よ、願ふは、暫しだに、
つかるる日なき光の白羽をぞ
翼なき子の胸にもゆるさずや。
汝があるところ、平和(やはらぎ)、よろこびの
軟風(なよかぜ)かよひ、黃金(こがね)の日は照れど、
人の世の國けがれの風長く、
自由の花は百年(もゝとせ)地に委して
不朽と詩との自然はほろびたり。
(甲辰八月十四日夜)
[やぶちゃん注:「をきての網(あみ)の中」の「をきて」はママ。初出は『おきての網(あみ)の中』。感覚的に見て「掟」の意であろうから、「を」は誤りである。初出は『白百合』明治三七(一九〇四)九月号に「高風吟」の総表題で前に次の「光の門」を配して二篇。
「汀」「みぎは」。初出にはそうルビする。
「漚(あは)」「泡」に同じい。
「小瞳」初出では「こひとみ」とルビする。
「狐疑(うたがひ)」二字へのルビ。通常はそのまま「こぎ」と読む。狐が疑い深い動物だとされることから、「疑い深いこと」「猜疑心を持つこと」を謂う。
「自由(まゝ)なる」二字へのルビ。]
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