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2020/05/03

石川啄木 詩集「あこがれ」(初版準拠版) ひとつ家

 

   ひ と つ 家

 

にごれる浮世の嵐に我怒(いか)りて、

孤家(ひとつや)、荒磯(ありそ)のしじまにのがれ入りぬ。

捲き去り、捲きくる千古の浪は碎け、

くだけて悲しき自然の樂(がく)の海に、

身はこれ寂寥兒(さびしご)、心はただよひつつ、

靜かに思ひぬ、──岸なき過ぎ來(こ)し方、

あてなき生命(いのち)の舟路(ふなぢ)に、何處へとか

わが魂(たま)孤舟(こしう)の楫(かぢ)をば向けて行く、と。

 

夕浪懶(ものもう)く、底なき胸のどよみ、

その色、音皆不朽(ふきう)の調和(とゝのひ)もて、

捲きては碎くる入日(いりひ)のこの束(つか)の間(ま)──

沈む日我をば、我また沈む日をば

凝視(みつ)めて叫ぶよ、無始(むし)なる暗、さらずば

無終(むしう)の光よ、渾(すべ)てを葬むれとぞ。

           (甲辰六月十九日)

 

   *

 

   ひ と つ 家

 

にごれる浮世の嵐に我怒りて、

孤家(ひとつや)、荒磯(ありそ)のしじまにのがれ入りぬ。

捲き去り、捲きくる千古の浪は碎け、

くだけて悲しき自然の樂の海に、

身はこれ寂寥兒(さびしご)、心はただよひつつ、

靜かに思ひぬ、──岸なき過ぎ來し方、

あてなき生命(いのち)の舟路に、何處へとか

わが魂(たま)孤舟の楫をば向けて行く、と。

 

夕浪懶(ものもう)く、底なき胸のどよみ、

その色、音皆不朽の調和(とゝのひ)もて、

捲きては碎くる入日のこの束の間──

沈む日我をば、我また沈む日をば

凝視(みつ)めて叫ぶよ、無始なる暗、さらずば

無終の光よ、渾(すべ)てを葬むれとぞ。

           (甲辰六月十九日)

[やぶちゃん注:「無終(むしう)」のルビはママ(後掲する通り、初出では正しく振っている)。筑摩版全集(昭和五四(一九七九)年刊)は問題がある。本篇は二連構成であるのに、一連になってしまっているのだ。本篇はここ(底本の「早稲田大学図書館古典籍総合データベース」のHTML画像リンク)であるが、ノンブル位置と本文組みをこの見開きだけで比べて見ても一目瞭然、「133」の初行は有意に空いているのはど素人にも判る。どうもこの筑摩版全集は少なくとも「あこがれ」に関しては全集として杜撰としか言いようがない。初版そのままを底本とする謳っていながら、ここのようにそれを再現出来ていない箇所が複数あるからである。しかも詩集では一番気をつけなくてはならぬ改ページ部分にある行空けである。これは我々読者でさえも最も注意して読む部分であり(少なくとも私はそうだ)、ここは誰が見ても行空けがあることが判る部分だ。正直、呆れ果ててものも言えない。初出は『時代思潮』明治三七(一九〇四)年七月号で、総表題「低唱」三篇の、次の「壁の影」(後に出る「壁なる影」はその改題)と、既出の「月と鐘」の間に配されてある。初出では、以下(総ルビであるが、五月蠅いので必要と思われるもののみのパラルビとした)。

   *

 

   ひとつ家

 

にごれる浮世の嵐にわれ怒りて、

ひとつ家(や)、荒磯(ありそ)の沈默(しじま)にのがれ入りぬ、――

捲き去り、捲き來る千古の浪は碎け、

碎けて、悲しき自然の樂の海に、

身はこれ寂寥兒(さびしご)、心は漂ひつゝ、

靜かに思ひぬ、岸なき過ぎ來し方、

あてなき生命(いのち)の舟路に、何處(いづこ)へとか、

わが靈(たま)孤舟の楫をば向けて行くと。

 

夕浪懶(ものもう)く、――底なき胸のどよみ、

其色、音(おと)皆(みな)不朽の調和(とゝのひ)もて、──

捲きては碎くる入日のこの束の間、

沈む日我をば、我また沈む日をば、

みつめて叫ぶよ、無始なる暗(やみ)、さらずば、

無終(むしゆう)の光よ、「全(すべて)を」葬(はうむ)れとぞ。

   *]

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