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2020/05/29

萩原朔太郎 氷島 初版本原拠版 附・初出形 乃木坂倶樂部

 

  乃木坂倶樂部

 

十二月また來れり。

なんぞこの冬の寒きや。

去年はアパートの五階に住み

荒漠たる洋室の中

壁に寢臺(べつと)を寄せてさびしく眠れり。

わが思惟するものは何ぞや

すでに人生の虛妄に疲れて

今も尙家畜の如くに飢えたるかな。

我れは何物をも喪失せず

また一切を失ひ盡せり。

いかなれば追はるる如く

歲暮の忙がしき街を憂ひ迷ひて

晝もなほ酒場の椅子に醉はむとするぞ。

虛空を翔け行く鳥の如く

情緖もまた久しき過去に消え去るべし。

 

十二月また來れり

なんぞこの冬の寒きや。

訪ふものは扉(どあ)を叩(の)つくし

われの懶惰を見て憐れみ去れども

石炭もなく暖爐もなく

白堊の荒漠たる洋室の中

我れひとり寢臺(べつと)に醒めて

白晝(ひる)もなほ熊の如くに眠れるなり。

 

【詩篇小解】 乃木坂倶樂部   乃木坂倶樂部は麻布一聯隊の附近、 坂を登る崖上にあり。 我れ非情の妻と別れてより、 二兒を家鄕の母に托し、 暫くこのアパートメントに寓す。 連日荒妄し、 懶惰最も極めたり。 白晝(ひる)はベツトに寢ねて寒さに悲しみ、 夜は遲く起きて徘徊す。 稀れに訪ふ人あれども應へず、 扉(どあ)に固く鍵を閉せり。 我が知れる悲しき職業の女等、 ひそかに我が孤寠を憫む如く、 時に來りて部屋を掃除し、 漸く衣類を整頓せり。 一日辻潤來り、 わが生活の荒蕪を見て啞然とせしが、 忽ち顧みて大に笑ひ、 共に酒を汲んで長嘆す。

 

[やぶちゃん注:「飢えたるかな」はママ。「べつと」は当時「bed」の慣用表記として用いられていた。今でもこう(「ベット」)発音する人は実は意外に多い。

「去年はアパートの五階に住み」以下に注するように本当はこのアパートメントは二階建てで、萩原朔太郎の部屋は二階であった。時空変幻を起させるための確信犯であろう。

「麻布一聯隊」誤認。「麻布三聯隊」が正しい。

「荒妄」「くわうばう(こうぼう)」で本来は「嘘・偽り」の意であるが、朔太郎は単漢字の意味をそのまま「荒れて妄(みだ)りに出鱈目に道理から外れるようなことをし」の意で用いている。

「孤寠」中国の仏典や古い用語等にこの熟語の用例はあるが、やはり単漢字の意味を組み合わせた彼得意の造語であろう。音は「コク」で「孤独で貧しく窶(やつ)れて見すぼらしいこと」を言うのであろう。

「辻潤」(明治一七(一八八四)年~昭和一九(一九四四)年)はダダイストで翻訳家・評論家。東京生まれ。国民英学会などに学んだ後、上野高等女学校に勤務中、教え子伊藤野枝との恋愛事件を起して退職。ド・クインシーやオスカー・ワイルドらの著書を翻訳しながら、放浪生活を続け、評論集「浮浪漫語」や「ですぺら」などを刊行、日本に於けるダダ流行の仕掛け人とあったが、昭和十九年、放浪をやめて落ち着いた東京都淀橋区上落合のアパートの一室で、十一月二十四日、虱塗(まみ)れになって餓死しているのが発見された。

 萩原朔太郎は昭和四(一九二九)年七月初旬に稻子夫人との離婚を決意(当初からの結婚生活の破綻は直接には稻子に愛人が出来たことによるが、そこには萩原朔太郎自身の異常な性癖や、朔太郎の母ケイとの軋轢などに負う部分が大きい。落合道人氏のブログ「落合学」の「萩原稲子が下落合にやってくるまで。」がその様態や経緯をコンパクトにしかもズバリと語っていてよい)し、同月末頃に上京、稻子夫人(当時三十一。朔太郎は四十四)と離別(協議離婚届出は三ヶ月後の同年十月十四日附)、馬込の家を手放し、二児(葉子と明子(あきらこ))を連れて前橋に帰った。しかし、本格的な上京への思い止まず、同年十一月十四日に単身上京し、赤坂区檜町六番地(現在の港区赤坂八丁目。グーグル・マップ・データ)のアパート「乃木坂倶樂部」の二階二十八号室に仮寓した。筑摩版全集第十五巻年譜(昭和五四(一九七九)年刊)によれば、ここは三好達治が見つけてきたもので、『當時としては近代的な、高級の部に屬するモルタル二階建の大きな建物であった。室代六十圓、敷金三ヶ月分。ここでの生活はひどく荒廢していたらし』いとして、前掲「詩篇小解」の一部を引く、『當時、辻潤、生田春月』(詩人で翻訳家。彼はこの翌昭和五年五月十九日小豆島沖の汽船から投身自殺し(享年三十八)、朔太郎は激しいショックを受けている。私はブログ・カテゴリ「生田春月」で彼の詩篇や翻訳詩を電子化している)『らとの交友を深め、辻潤同道で北原白秋宅を訪問したりした』とある(筑摩版全集は本文だけでなく解説・解題など総ての漢字が正字という変わり種である)。当時の一円の価値は二千五百前後で、この部屋代は十五万円相当になる。同年十二月中旬には東京定住を固め、借家を探し始めたが、下旬になって父密蔵が重体に陥り、乃木坂倶楽部を引き払って前橋に帰っている(密蔵は翌昭和五年七月一日に逝去した)。

 昭和五四(一九七九)年講談社文庫刊の那珂太郎編著「名詩鑑賞 萩原朔太郎」では本篇について、『「我れは何物をも喪失せず また一切を失ひ尽せり」』と題して、本篇について以下の評釈をなさっておられる。傍点「ヽ」は太字に代えた。

   《引用開始》

 「すでに人生の虚妄(きょもう)に疲れて」といい、「我れは何物をも喪失せず/また一切を失ひ尽せり」というのは、『青猫』後期以来のこの詩人のライトモチイフであり、殊に後者は、昭和二年二月発表の「虚無の鴉(からす)」(原題「否定せよ」)「我れの持たざるものは一切なり」における詩句のヴァリエイションにすぎませんが、いま彼は、実生活上の経験からも、いっそう切実にこれらの詩句をくりかえす理由を、加えたのです。ほとんど実生活が彼の思想を模倣(もほう)し、注解したのであり、そうすることによってここに人生は、彼の観念に復讐(ふくしゅう)したのだといえましょう。彼はアフォリズムの一節に書いています、「余生とは? 自分の過去の仕事に関して、註釈(ちゆうしやく)を書くための生涯を言ふ。如何にまだ、余生でさへも仕事を持つてる!」(『絶望の逃走』)と。彼は、いま、おのれの「宿命」を身にしみて確証し、注釈するために、「白堊(はくあ)の荒漠(くわうばく)たる洋室の中」に在るのではありませんか。なお、「今も尚(なほ)家畜の如くに飢ゑたるかな」「白昼(ひる)もなほ熊の如くに眠れるなり」の二つの詩句は、それぞれの位置においてはどちらも適切な効果をもつものの、一篇の詩の中で用いられた比喩(ひゆ)として、ともに動物である点で共通し、家畜猛獣という点では異質であるため、やはり読者に心理的抵抗感をあたえるといわねばなりません。

   《引用終了》

那珂氏が明らかに批判的に示される『心理的抵抗感』というのは無論、萩原朔太郎の確信犯である。私はそこにこそ、惨めな動物としての自己存在の〈動悸〉を感ずると言っておく。

 なお、那珂氏が指示される「虛無の鴉」「我れの持たざるものは一切なり」は、先行する昭和四(一九二九)年十月発行の「新潮社版現代詩人全集第九卷 高村光太郞集・室生犀星集・萩原朔太郞集」に載り、本詩集でも後に掲げられるので、ここでは示さない。なお、以上の二篇は那珂氏の言うように昭和二年二月三月号『文芸春秋』に併載されたものであるが、初出の際の前者の表題は那珂氏の言う「否定せよ」ではなく、「否定せよツ!!!」であるので注記しておく。また、次の那珂氏による引用は昭和一〇(一九三五)年十月に刊行されたアフォリズム集「絕望の逃走」の「第二章 意志・宿命・自殺・復讐・SEX など」の一節であるが、正確には、

   *

       餘生

 餘生とは? 自分の過去の仕事に關して、註釋を書くための生涯を言ふ。――如何にまだ、餘生でさへも仕事を持つてる!

   *

である。このダッシュは萩原朔太郎の意識のブレイクや強い想念の取り立てというよりも、痙攣的執着或いはやや皮肉を含んだ慙愧の念の表象であり、しかも、しかし、それが詩人の成すべきことであるという偏執的な謂いなのでもあって、このダッシュはそうした含み(もっと多様にも読める)に於いて、落としてはならないものであると思う。なお、この「持つてる」のような、口語的な「ゐ(い)」の脱字はやはり萩原朔太郎の好きな(そうして私の嫌いな)癖である。

 本詩篇の初出は昭和六(一九三一)年三月発行の『詩・現實』第四冊。

   *

 

  乃木坂倶樂部アパートメント

 

十二月また來れり

なんぞこの冬の寒きや。

去年はアパートの五階に住み

荒漠たる洋室の中

壁に寢臺(ベツト)を寄せてさびしく眠れり。

わが思惟するものは何ぞや。

すでに人生の虛妄に疲れて

今も尙家畜の如くに飢えたるかな。

我れは何物をも亡失せず

また一切を失ひ盡せり。

いかなれば追はるる如く

歲暮の忙がしき街を憂へ迷ひて

晝もなほ酒場の椅子に醉はむとするぞ。

虛空を翔け行く鳥の如く

情緖もまた久しき過去に消え去るべし。

いかんぞ貧しき錢に換へて

酢へたる情熱を求むるあらん。

汝の意識を斷絕せよ。

十二月また來れり

寒氣は骨に食ひしめども

暖爐(ストーブ)もなく石炭もなく

白堊の荒漠たる洋室の中

われ一人寢臺(ベツト)に醒めて

晝もなほ熊の如くに眠れるなり。

 

   *

やはり「餓え」はママ。]

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