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« 石川啄木 詩集「あこがれ」(初版準拠版) 寂寥 | トップページ | 石川啄木 詩集「あこがれ」(初版準拠版) 江上の曲 »

2020/05/25

石川啄木 詩集「あこがれ」(初版準拠版) 秋風高歌⦅雜詩十章甲辰初秋作⦆ / 附 初出形

石川啄木 詩集「あこがれ」(初版準拠版) 寂寥

 

秋 風 高 歌 ⦅雜詩十章甲辰初秋作⦆

 

   黃 金 向 日 葵

 

我(わ)が戀は黃金向日葵(こがねひぐるま)、

曙いだす鐘にさめ、

夕の風に眠るまで、

日を趁(お)ひ光あこがれ、まろらかに

眩(まば)ゆくめぐる豐熱(ほうねつ)の

彩(あや)どり饒(おほ)きこがねの花なれや。

 

これ夢ならば、とこしへの

さめたる夢よ、こがねひぐるま。

これ影ならば、あたたかき

瑞雲(みづぐも)まとふ照日(てるひ)の生(い)ける影。

 

圓(まろ)らかなれば、天蓋(てんがい)の

遮(さへぎ)りもなき光の宮の如。

まばゆければぞ、王者(わうじや)にすなる如、

百花(もゝはな)、見よや芝生(しばふ)にぬかづくよ。

 

今はた、似たり、かなたの日輪(にちりん)も、

わが戀の日にあこがれて

ひねもすめぐるみ空の向日葵(ひぐるま)に。

             (八月二十二日)

 

   我 が 世 界

 

世界の眠り、我ただひとり覺(さ)め、

立つや、草這(は)ふ夜暗(やあん)の丘(をか)の上。

息をひそめて橫たふ大地(おほつち)は

わが命(めい)に行く車(くるま)にて、

星鏤(ちりば)めし夜天(やてん)の浩蕩(かうたう)は

わが被(かづ)きたる笠の如。

 

ああこの世界、或は朝風の

光とともに、再びもとの如、

我が司配(つかさどり)はなるる時あらむ。

されども人よ知れかし、我が胸の

思の世界、それこの世界なる

すべてを超ゑし不動(ふどう)の國なれば、

我悲しまず、また失(うしな)はず、

よしこの世界、再びもとの如、

蠢(うごめ)く人の世界となるとても。

             (八月二十二日)

 

   黃 の 小 花

 

夕暮野路(のぢ)を辿りて、黃に咲ける

小花(をばな)を摘(つ)めば、淚はせきあへず。

 

ああ、ああこの身この花、小(ちい)さくも

いのちあり、また仰(あふ)ぐに光あり。

この野に咲ける、この世に捨(す)てられし、

運命(さだめ)よ、いづれ、大慈悲(おほじひ)の

かくれて見えぬ惠みの業(わざあ)ならぬ。

 

よし我、黃なる花の如、

霜にたをるる時あるも、

再び、もらす事なき天(あめ)の手(て)に

還(かへ)るをうべき幸もてり。

 

ああこの花の心を解(と)くあらば

我が心また解(と)きうべし。

心の花しひらきなば、

またひらくべし、見えざる園の門(かど)。

             (八月二十二日)

 

   君 が 花

 

君くれなゐの花薔薇(はなさうび)、

白絹(しらぎぬ)かけてつつめども、

色はほのかに透(す)きにけり

いかにやせむとまどひつつ、

墨染衣袖かへし

掩(おほ)へども掩へどもいや高く

花の香りは溢れけり。

 

ああ秘めがたき色なれば、

頰(ほゝ)にいのちの血ぞ熱(ほて)り、

つつみかねたる香りゆゑ

瞳(ひとみ)に星の香(か)も浮きて、

佯(いつ)はりがたき戀心(こひごゝろ)、

熄(き)えぬ火盞(ほざら)の火の息に

君が花をば染めにけれ。

              (九月五日夜)

 

   波は消えつつ

 

波は消えつつ、碎けつつ

底なき海の底より湧き出でて、

朝より眞晝(まひる)、晝(ひる)より夜に朝に

不斷(ふだん)の叫びあげつつ、帶(をび)の如、

この島根(しまね)をば纒(まと)ふなり。

 

ああ詩人(うたびと)の興來(きようらい)の

波も、消えつつ、碎けつつ。

はかり知られぬ『秘密』の胸戶(むなど)より、

劫風(ごふふう)ともに千古の調にして、

不滅の敎宣(の)りつつ、勇ましく

人の心の岸には寄するかな。

             (九月十二日夜)

 

   

 

ああ君こそは、靑淵(あをぶち)の

流轉(るてん)の波に影浮けて

しなやかに立つ柳(やなぎ)なれ。

 

流轉(るてん)よ、さなり流轉よ、それ遂に

夢ならず、また影ならず、

照る世の生日(いくひ)進み行く

生命(いのち)の流れなればか、春の風

燻(くん)じて波も香にをどり、

ひと雨每(あめごと)に梳(くしけ)づる

愛の小櫛(をざし)の色にして、

見よ今、枝の新裝(にひよそひ)、

靑淵波もたのしげに

世は皆戀の深綠(ふかみどり)。

              (九月十四日)

 

   愛 の 路

 

高きに登り、眺むれば、

乾坤(けんこん)愛の路通ふ

靑海原のはてにして、

安らかに行く白帆影。──

  波は休まず、撓(たゆ)まずに

  相嚙(か)みくだけ、動けども、

  安らかに行く白帆影。

 

路のせまきに、せはしげに

蠢(うご)めく人よ、來て見よや、──

   花を虐(しひた)げ、景(けい)を埋(う)め、

   直(すぐ)なるみちをつくるとて、

   狹き小暗さ愁嘆(しうたん)の

   牢獄(ひとや)に落ちし子よ、見よや、──

大海みちはなくして、縱橫(じうわう)の

みちこそ開け、愛の路。

              (九月十四日)

 

   落 ち し 木 の 實

 

秋の日はやく母屋(おもや)の屋根に入り、

ものさびれたる夕をただひとり

紙障(しさう)をあけて、庭面(にはも)にむかふ時、

庭は風なく、落葉の音もたえて、

いと靜けきに、林檎(りんご)の紅(あけ)の實(み)は

かすかに落ちぬ、波なき水潦(みづたまり)。

 

夕のあはき光は箒目(はゝきめ)の

ただしき地(つち)に隈(くま)なくさまよひて、

猶暮れのこるみ空の心のみ

一きは明(あか)くうつせる水潦(みづたまり)、

今色紅(あけ)の木の實の落ち來しに

にはかに波の小渦(さゝうづ)立てたれど、

やがてはもとの安息(やすらぎ)うかべつつ、

再び空の心を宿しては、

その遠蒼(とをあを)き光に一粒(いちりふ)の

りんごのあたり緣(ふち)どりぬ。

 

ああこの小さき木の實よ、八百千歲(やはちとせ)、

かくこそ汝(なれ)や靜かに落ちにけむ。

またもも年(とせ)の昔に、西人(にしびと)が

想ひに耽る庭にとおとなひて、

尊とき神の力(ちから)の一鎖(ひとくさり)、

かくこそ落ちて、彼(かれ)には語りけめ。

 

我今人のこの世のはかなさに

つらさに泣きて、運命(さだめ)の遠き路、

いづこへ、若(わか)きかよはきこのむくろ

運(はこ)ばむものと秘(ひそ)かに惑(まど)へりき。

落ちぬる汝(なれ)を眺めて、我はまた、

辛(つら)からず、はたはかなき影ならぬ

たふとき神の力の世をば知る。

 

汝(なれ)何故にかくまで靜けきぞ、──

人はみづから運命(さだめ)に足(た)りかねて、

さびしき廣みはてなき暗の野の

躓(つまづ)き、にがき悲哀(ひあい)の實を喰(は)むに、

何故汝のかくまで安けきぞ、──

足(た)るある如く、落ちては動かずに

心に何か深くも信賴(たよ)る如。

 

夜の步みは漸く迫(せま)り來て、

羽弱(はよは)か、群(むれ)に後れし夕鴉(ゆふがらす)

寂(さび)ある聲に友呼ぶ高啼(たかな)きや、

水面(みのも)にうきしみ空の明(あか)るみも

消えては、せまきわが庭黝(くろず)みぬ。

ああこの暗の吐息のたゞ中(なか)よ、

灯(ひ)ともす事も、我をも忘(ぼう)じては、

よみがへりくる心の光もて

か黑き土(つち)のさまなる木の實をば

打眺めつつ、靜かに跼(ひざま)づく。

             (九月十九日夜)

 

     秘  密

 

  花蠟(はなろふ)もゆる御簾(みす)の影、

  琴柱(ことぢ)をおいて少女子(をとめご)の

  小指(をゆび)やはらにしなやかに

  絃(いと)より絃に轉(てん)ずれば、

  さばしり出る幻の

  人醉(ひとよ)はしめの樂(がく)の宮、

  ああこの宮を秘(ひ)め置きて

  とこあらたなる琴の胸、

  秘密ならずと誰か云ふ。

 

  八千年(やちとせ)人の手(て)に染(そ)まぬ

  神の世界の大胸に

  深くするどくおごそかに

  我が目うつれば、ちよろづの

  詩(うた)は珠(たま)なし淸水(しみづ)なし、

  光の川と溢れくる。

  ああこの水の美しく、

  休(やす)む事なく湧き出(づ)るを

  秘密なりとは誰か知る。

             (九月十九日夜)

 

    あ ゆ み

 

  始めなく、また終りなき

  時を刻むと、柱なる

  時計の針はひびき行け。

  せまく、短かく、過ぎやすき

  いのち刻むと、わが足(あし)は

  ひねもす路を步むかも。

             (九月十九日夜)

               『秋風高歌』畢

 

[やぶちゃん注:最後の二篇が有意な字下げになっているのはママ。早稲田大学図書館古典総合データベースの画像で示すと「秘密」がここ、次の「あゆみ」がここ初出は明治三七(一九〇四)年『時代思潮』十月号と十一月号に分割されて掲載された。後掲する。

「黃金向日葵」の「趁(お)ひ」は「追ひ」に同じい。

「我が世界」の「浩蕩(かうたう)」(現代仮名遣「こうとう」)は広広として大きなさま。

「君が花」の「火盞(ほざら)」は「火皿 (ほざら)」に同じい。

「柳」の「影浮けて」はママ。確信犯であろう。「影を受けて」いるのだが、それは波に「浮」きてあると掛けるものと採る。

「落ちし木の實」の「紙障(しさう)」は「障子」のこと。本来ならば歴史的仮名遣は「しやうじ」であるが、これは誤りではなく、嘗て、拗音に発音された或いはされたと思われる漢字音を直音の仮名で表記する直音表記(「しゃ(者)」・「しゅ(主)」・「しょ(所)」をそれぞれ「さ」「す」「そ」と書く類い。中古・中世の文献に見られ、高校古文にも幾らも出現する)である。

同詩篇の「心に何か深くも信賴(たよ)る如。」の「信賴(たよ)る」は二字へのルビ。

 さても初出であるが、初出は「秋風高歌」という表題のみで、本「あこがれ」のようなパート表題は存在しない。その代わりに、パートごとに「○」が挿入されてある。なお、掲載分割の切れ目は十一月号が「愛の路」以下の二篇分であるものの、そこでは三篇分の「○」によるパート分割が行われてある。この詩篇は推敲甚だしく、一部で内容も順列も激しく異なるため、以下に筑摩版石川啄木全集の「第二巻 詩集」(昭和五四(一九七九)年刊)初出(漢字新字)を参考に、恣意的に漢字を概ね正字化して示す。雑誌分割部は続ける。その際、存在しない「○」を補った。但し、読みはそこにあるもののうち、必要と私が判断したもののみに附した。

   *

 

  秋風高歌

 

    ○

 

我戀は、こがねひぐるま、

曙いだす鐘にさめ、

夕の凧に眠るまで、

日を趁(お)ひ、ひかり憧(あく)がれ、圓(まろ)らかに

眩ゆくめぐる豐熱の

彩どり饒(おほ)き白晝(まひる)の花なれや。

 

これ夢ならば、とこしへの

覺めたる夢よ、こがね日車。

これ影ならば、うつろはぬ

瑞雲(みづくも)纏ふ照日(てるひ)の生ける影。

 

まろらかなれば、天蓋の

遮りもなき光の宮の如、

眩ゆければぞ、「物(もの)」は皆、

首(かうべ)をたれて、歌ふは愛の曲。

 

似たり、かなたの日輪も、

我が戀の日にあくがれて、

ひねもすめぐるみ空の日車花(ひぐるま)に。

 

    ○

 

世界の眠(ねむり)、我たゞひとり覺(さ)め、

立つや草這ふ夜暗(やあん)の丘の上。

息をひそめて橫たふ大地(おほつち)は

我が命(めい)に行く車にて、

星鏤(ちりば)めし夜天(やてん)の浩蕩(かうたう)は

我が被(かづ)きたる笠の如。

 

ああこの世界、或は朝風の

光と共に、再びもとの如、

わが司配(つかさどり)はなるる時あらむ。

 

されども人よ知れかし、わが胸の、

神祕の世界、それ、この世界なる

渾(すべ)てを超えし不動の國なれば、

我れ悲しまず、また失はず、

たとへ、この世の天と地が、

蠢めく人の世界となるとても。

 

    ○

 

夕ぐれ野路を辿りて、黃に咲ける

小花を摘めば、淚はせきあへず。

ああ我神よ、わが身をつくれるも、

またこの花に整へる

姿と香をば此の埜に飾りしも、

皆爾(な)が高き惠みの業(わざ)なれや。

 

よし我れ、黃なる花の

霜にたをるる時あるも、

それわが魂は再び天(あめ)の手に

還るを得べき幸(さち)もてり。

小さき花の心を解(と)きえなば、

また我心ときうべし。

心の花しひらきなば、

また開らくべし、見えざる園の門(と)も。

 

    ○

 

朝に夕に水をかひ、

また朝每に日の香る

南の椽(えん)にはこび出で、

夕ぐれ每に薰風の

窓のうちにと取り入れて、

育てあげたる鉢の百合

白無垢薰(にほ)ふ花とぞ咲きにけり。

我は思ひぬ、この花の、

我こそ、尊(たか)きまことの親にして、

その香も、色も、けだかき趣きも、

皆わが胸の惠みの泉より

あふれし露ぞ凝りぬる姿よと。

 

されば淸冽の朝風に

ほのかに花の匂ひのただよひて

胸に入る時、我云ひぬ。――

ああ我がいとし寵兒(まなご)よ、汝(なれ)が根は

土にはあらず、胸なる心より

詩歌の如く咲きぬる花なれ、と。

 

ああ、ああされど、ひと日の夕まぐれ、

我ただ一人森路をさまよひて

ひらける綠夏野出でし時、

そこに、圓(まろ)らに走るせせらぎの

鏡にかげを宿して、白百合の

數こそ亂れ咲きけれ、限りなき

自然の胸の匂ひを集めつつ。

 

我は思ひぬ、(家にして

にほへる花をおもひつつ)

ああ此の野邊の白百合、誰か來て

汝に淸水の糧(かて)をばめぐみしや、

はた誰ありて汝をば守りしと。

又思ひけり、かくある我が生(せい)の

眞(まこと)の親は天(あめ)にか、地(つち)にかと。

 

日暮れて暗の息せまる

路をば我はひそかに慰みて

ほほゑみつつぞ家にはかへり來ぬ。

歸りて花の鉢をばかき抱き、

我は祈るよ、ああ世の「すべて」こそ

また「ひとつ」にて、大いなる

愛に生れし我人(われひと)の

行くべき路は、ただその大いなる

愛の光を隈なく地心(ちしん)まで

かがやかしめむ自然の法(のり)のみ、と。

 

   ○

 

高きに登り、眺むれば、

乾坤けんこん)愛の道通ふ

靑海原の涯(はて)にして、

安らかに行く白帆影。――

  波は休まず、撓まずに

  相嚙み碎け動けども、

  安らかに行く白帆かげ。

みちの狹きにせはしげに

うごめく人よ、來て見よや、

  花を虐(しい)たげ、景(けい)を埋め、

  直(すぐ)なるみちを作るとて、

  せまき小暗き愁歎の

  牢獄(ひとや)に落ちし子(こ)よ、見よや、

大海道(みち)はなくして、縱橫の

みちこそ開け、愛の道。

 

    ○

 

始めなく、又終りなき

「時」を刻むと、柱なる

時針の針はひびき行け。

 

せまく、短かく、過ぎ易き

いのち刻むと、我足は

ひねもす地(つち)を步むかも。

 

    ○

 

ひと夜床(とこ)にと立てかけし

琴をとり出(で)て、乙女子の

小指(をゆび)和らに、しなやかに、

絃(いと)より絃に轉ずれば、

さばしりいづる幻(まぼろし)の

樂(がく)の宮居(みやゐ)は立ちにけり。

ああこの音色、新らしく

つきせず出す琴の胸、

祕ならずと誰か云ふ。

八千歲(やちとせ)人の手に染まぬ

神の世界の大胸(おほむね)に

深く、鋭どく、おごそかに

わが目うつれば、ちよろづの

詩(うた)は珠(たま)なし、淸水なし、

光の川と流れけり。

ああこの水の美しく

休む事なく湧き來るを、

祕密なりとは誰か知る。

 

    ○

 

秋の日はやく母屋(おもや)の根屋に入り、

もの寂びれたる夕べを、ただ一人、

障子(しやうじ)をあけて庭面(にはも)に對すれば、

庭は風なく、落葉の音も絕えて

いと靜けきに、林檎の紅き實は

かすかに落ちぬ、波なき水潦(みづたまり)。

夕べの淡き光は、箒目(はゝきめ)の

ただしき地(つち)に隈なくさまよひて、

猶暮れ殘るみ空のみ心のみ、

ひと際(きは)明(あか)くうつせる水潦(みづたまり)、

今、色深き木(こ)の實の落ち來しに、

にはかに波の小渦(さゝうづ)立てたれど、

やがてはもとの安息(やすらぎ)うかべつつ、

再び空の心をやどしては、

その遠蒼(とほあを)き光に、一粒の

林檎のあたり緣どりぬ。

 

ああこの小さき木の實よ、八百千年(やほちとせ)、

汝(なれ)かくこそは靜かに落ちにけむ。

また百年(もゝとせ)の昔に、西人(にしびと)が

想にふける庭にとおとなひて、

たふとき神のちからの一鎖(ひとくさり)、

かくこそ落ちて彼には語りけむ。

 

我今、人のこの世のはかなさに、

辛(つら)さに、泣きて、運命(さだめ)の遠き路、

この幻(まぼろし)のむくろを何處(いづこ)へか

運ばむもの、と私(ひそ)かに惑へりき。

落ちたる汝を眺めて、我はまた、

つらからず、また、はかなき影ならぬ

尊とき神の力の世をば知る。

 

何故汝はかくまで靜けきぞ、

人は自(みづか)ら、さだめに足りかねて、

幻趁(お)ふて、我また幻と

夢にも似たる悲哀を覓(もと)むるに、

何故汝はかくまで安けきぞ、

足るある如く、動かず迷はずに、

心に何か深くも依賴(たよ)る如。

 

夜の步みは漸く迫り來て、

水面に浮きしみ空の明るみも

消えては狹き我庭黝(くろず)みぬ。

ああこの暗の吐息のただ中に、

灯(ひ)ともす事も、我をも忘(ぼう)じては、

よみがへりくる心の光もて、

黯(かぐ)ろき塊(つち)のさまなる木の實をば

打(うち)みつめつつ、靜かに跼(ひざま)づく。

 

   *

「根屋」はママ。「あこがれ」では「屋根」であるから、ほぼ誤植であると断定してよいと思われるが、意味が採れないわけではないのでそのままとした。]

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