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2020/05/25

石川啄木 詩集「あこがれ」(初版準拠版) 寂寥

 

   寂  寥

 

片破月(かたわれづき)の淋しき黃の光

破窓(やれまど)洩(も)れて、老尼(らうに)の袈裟(けさ)の如、

靜かに細うふるひて、讀みさしの

書(ふみ)の上(へ)、さては默座(もくざ)の膝に落ちぬ。

草舍(くさや)の軒(のき)をめぐるは千萬(ちよろづ)の

なげきの絲(いと)のたてぬき織(を)り交(ま)ぜて

しらべぞ繁(しげ)き叢間(くさま)の蟲(むし)の歌。

夜の鐘遠く、灯(ともし)も消えがてに、

  ああ美しき名よ、寂寥!

天地(あめつち)眠り沈みて、今こそは

汝(な)がいと深き吐息(といき)と脈搏(みやくはく)の、

ひとりしさめて物思(ものも)ふわが胸と

すべての根(ね)ざす地心(ちしん)にひびく時。

 

壁には淡き我が影。堆(うづ)たかく

亂れて膝をかこめる黃卷(くわうくわん)は

さながら遠き谷間の虛洞(うつろ)より

脫(ぬ)け出で來ぬる『祕密』の精(せい)の如。──

かかる夜幾夜、見えざる界(さかひ)より、

  美しき名よ、寂寥!

汝(われ)この窓を音なく、月影の

鈍色被衣(にびいろかづき)纒(まと)ひてすべり入り、

なつかし妻の如くも親しげに

ほほゑみ見せて側(かた)へに座(すわ)りけむ。

 

見よ、汝(な)が吐息靜かに吹く所、

人の心の曇(くも)りは拭はれて、

あたりの『物』の動きに、動かざる

まことの『我』の姿の明らかに

宿るを眺め、汝(な)が脈搏(みやくう)つ所、

すべての音は潜みて、ただ洪(ひろ)き

心の海に漂ふ大波の

寄せては寄する響のきこゆなる。

  美しき名よ、寂寥!

ああ汝(なれ)こそは、鋭(するど)き斧(をの)をもて

この人生(じんせい)の假面(かめん)を剝(は)ぎ去ると

命(めい)負(お)ひ來つる有情(うじやう)の使者(つかひて)か。

 

汝(な)がおとづれは必ず和(やは)らかに、

またいと早く、恰も風の如。

二人(ふたり)のあるや、汝(な)が眼(め)は一すじに

貫ぬくとてか、胸にとそそぎ來て、

その微笑(ほゝゑみ)もまことに莊嚴(おごそか)に、

たとへば百(もゝ)の白刄(しらは)の剱(つるぎ)もて

守れる暗の沈默(しゞま)の森の如、

聲なき言葉四壁にみちみちて、

おのづと下(くだ)る頭(かうべ)はまた起(お)きず。

  美しき名よ、寂寥!

かくて再び我をば去らむとき、

淚は涸(か)れて、袂(たもと)はうるほへど、

あらたに胸にもえ立つ生命の

石炭(うに)こそ汝が遺(のこ)せる紀念(かたみ)なれ。

 

  美しき名よ、寂寥!

甞ては我も多くの世の人が

厭(いと)へる如く、汝(なれ)をばいとへりき。

そはただ春の陽炎もゆる野に

とび行く蝶の浮きたる心には、

汝(な)が手のあまり霜には似たればぞ。

さはあれ、汝(なれ)やまことに涯もなき

大海にして、不斷の動搖に、

眞面目(まじめ)と、常に高きに進み行く

心の奧の鍵(かぎ)をぞ秘めたれば、

遂には深き崇高(けだか)き生命の

勇士の胸の門(かど)をばひらくなり。

 

  美しき名よ、寂寥!

たとへば汝は秘密の古鏡(ふるかゞみ)。

人若し姿投(とう)ぜば、いろいろの

假裝(よそひ)はすべて、濡(ぬ)れたる草の葉の

日に乾(かは)く如、忽ち消えうせて、

おもてに浮ぶまろらの影二(ふた)つ、──

それ、かざりなき赤裸(せきら)の『我』と、また

『我』をしめぐる自然の偉(おほ)いなる

不朽の力(ちから)、生火(いくひ)の燃ゆる門。

げに寂寥(さびしみ)にむかひて語る時、

人皆すべて眞(まこと)の『我』が言葉、

『我』が聲をもて眞(まこと)を語るなる。

 

  美しき名よ、寂寥!

汝また長き端(はし)なき鎖(くさり)にて、

とこしへ我を繫(つな)ぎて奴隷(しもべ)とす。

家をば出でて自然に對す時、

うづ卷く潮(しほ)の底より、天(あま)そそる

秀蜂(ほつみね)高き際(きは)より、さてはまた、

黃に咲く野邊の小花(をばな)の葉蔭より

雀躍(こをど)り出でて、胸をば十重二十重(とへはたへ)

犇(ひし)と捲きつつ、尊とき天(あめ)の名の

現示(あらはれ)の前(まへ)、頭(かうべ)を下げしむる

それその力(ちから)、ああまた汝にあり。

 

  美しき名よ、寂寥!

戀する者の胸より若しも汝が

おとづれ絕たば、言語(ことば)も闡(ひら)きえぬ

心の奧の叫びを語るべき

慰安(いあん)の友の滅びて、彼遂に

たへぬ惱みに物にか狂ふべし。

またかの善(よき)と眞(まこと)を慕(した)ふ子に、

若し汝行きて、みづから自らに

敎ふる時を與ふる勿(なか)りせば、

遂には彼の心も枯るるらむ。

 

  美しき名よ、寂寥!

寂寥(さびしみ)人を殺すと誰か云ふ。

靈なきむくろ、花なき醜草(しこくさ)は

汝がおごそかの吐息に、げに或は

死にもやすべし。朽木(くちき)に花咲かず。

ああ寂寥よ、汝が脈搏つところ、──

我と我との交はる所にて、

うちめぐらせる靈氣の 八重垣(やへがき)に

詩歌(しいか)の花の戀しきみ園あり。

そこに我が魂しづかにさまよふや、

おのづと起る唸(うめ)きの聲は皆、

歷史と堂と制規(さだめ)を脫(ぬ)け出でて、

親(した)しく自然を司(つかさど)どる

慈光(じくわう)の神に捧ぐる深祈禱(ふかいのり)。

あふるる淚、それまた世の常の

淚にあらず、まことの生命の

源ふかく歸依(きえ)する瑞(みづ)の露。

 

  美しき名や、寂寥!

汝こそげにも心の在家(ありか)にて、

見えぬ奇(くし)かる界(さかひ)に門(かど)ひらき、

またこの生けるままなる世の態(さま)に

却(かへ)りて大(おほ)き靈怪(くしび)の隱(かく)れ花(ばな)

かしこに、ここに、各自(かたみ)の胸にさへ

咲けるを示し、無言の敎垂れ、

想ひをひきて自在の路告(つ)ぐる

豐麗無垢の尊とき靈の友(とも)。

ああこの世界ひとりの『人』ありて、

若し我が如く、美し寂寥の

腕(うで)に抱かれ、處(ところ)と時を超(こ)え、

あこがれ泣くを樂しと知るあらば、

我この月の光に融け行きて、

彼にか問(と)はむ、『榮華(えいぐわ)と黃金(わうごん)の

まばゆき土(つち)の値(あたひ)や幾何(いくばく)』と。 (甲辰八月十八日夜)

 

[やぶちゃん注:今回より労多くして需要無き読みの一部の除去版(実際、当て訓多く、振れのある訓もあって半分も除去出来ないケースがあるからである)は示さないことにした。本篇初出は『明星』明治三七(一九〇四)年九月号。初出の同詩は「国文学研究資料館 電子資料館」の「近代書誌・近代画像データベース」のこちらから読むことが出来る(視認して比べられる限りは、ここでは、以下、大きな異同があっても電子化はしない)。

「黃卷(くわうくわん)」(こうかん)は書物・本の異名。古く中国では紙に虫がつくのを防ぐために黄蘗 (おうばく) の葉で紙を黄色に染めたことに拠る。

第四連三行目「二人のあるや、汝(な)が眼は一すじに」の「すじ」はママ。

「石炭(うに)」伊賀の山中で採れた泥炭の方言。恐らくは「烏丹(うに)」か。

第六連六行目「おもてに浮ぶまろらの影二つ、──」の「まろらの」は「まろらかなる」「円形の」。

「生火(いくひ)」この場合は文字通りそれ自体が生きている火である。

第八連後ろから三行目「若し汝行きて、みづから自らに」の「自らに」は同じく「みづからに」と読ませている。なお、初出形ではここが、「若し汝(なれ)行きて、みづから自(みづか)らを」と助詞が異なる。

「靈怪(くしび)」動詞「くしぶ」(靈ぶ・奇ぶ)の連用形の名詞化。霊妙なこと・不思議なこと。]

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