北原白秋 抒情小曲集 おもひで (初版原拠版) わが部屋
わが部屋
わが部屋にわが部屋に
長崎の繪はかかりたり、――
路のべに尿(いばり)する和蘭人(おらんだじん)の――
金紙(きんがみ)の鎧もあり、
赤き赤きアラビヤンナイトもあり。
わが部屋にわが部屋に
はづかしき幼兒(をさなご)の
ゆめもあり、
かなしみもあり、
かつはかの小さき君の
なつかしき足音もあり。
わが部屋に、わが部屋に
奇異(ふしぎ)なる事ありき、
かなしきはそれのみか、
その日より戶はあかず、…………
せんなしや、わが夢も、足音も、赤き版古(はんこ)も。
わが部屋に、わが部屋に
弊私的里(ヒステリー)の從姉(いとこ)きて
蒼白く泣けるあり。
誰なれば誰なればかの頭(あたま)
醫者のごと寄り添ひて眠(ね)るやらむ。
わが部屋にわが部屋に、
ほこらしく、さは二人(ふたり)。
[やぶちゃん注:本篇のシークエンスは既に序の「わが生ひたち」の「8」に、
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Tonka John の部屋にはまた生れた以前から舊い油繪の大額が煤けきつたまま土藏づくりの鐵格子窓から薄い光線を受けて、柔かにものの吐息のなかに沈默してゐた、その繪は白いホテルや、潚洒な外輪船の駛しつてゐる異國の港の風景で、赤い斷層面のかげをゆく和蘭人と読んでおく。]の一人が新らしいキヤべツ畑の垣根に腰をかがめて放尿してゐるおつとりとした懷かしい風俗を𤲿いたものであつた。私はそのかげで每夜美くしい姉上や肥滿つた氣の輕るい乳母と一緖に眠るのが常であつた。
*
と散文化してあった。「駛しつて」は「はしつて」、「肥滿つた」は「ふとつた」。
「版古(はんこ)」立版古(たてばんこ)のことか。ウィキの「立版古」によれば、『江戸時代後期から明治期にかけて流行ったおもちゃ絵の一種で』、『あらかじめ絵柄の印刷された一枚の紙からたくさんのパーツを切り抜き、設計図にそって組み立て、一種のジオラマを完成させて楽しむものである。「組上げ灯籠」「組上げ絵」などともいう。歌舞伎の名場面などに題材を取るものが多かった。制作者は絵の才能と同時に、限られた紙面にうまくパーツを配する技術も要求された』。『おもちゃ絵の中では歴史があり、江戸時代中期にはすでに制作されており、歌川芳藤らが得意としていた。江戸時代後期には葛飾北斎らも制作に当たった。明治時代中期に流行したのちは廃れ、大正時代以降はあまり見かけられなくなった』。
「弊私的里(ヒステリー)」(オランダ語:hysterie/ドイツ語:Hysterie/英語: hysteria)は『幕末から明治期初期には「歇以私的里(ヘイステリ)」というオランダ語に漢字を当てたものも用いられていたし、明治末の『辞林』(一九〇七年)にも「弊私的里(ヘイステリ)」とある。英語に漢字を当てたものとしては「歇私的里(ヒステリイ)」「歇斯的里(ヒステリ)」などが用いられた』と坪井秀人「偏見というまなざし 近代日本の感性」二〇〇一年青弓社刊)にあった。]
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