「先生」が遺書を書く真意(意義)とその目的表明が、今日、示される
其上私は書きたいのです。義務は別として私の過去を書きたいのです。私の過去は私丈の經驗だから、私丈の所有と云つても差支ないでせう。それを人に與へないで死ぬのは、惜いとも云はれるでせう。私にも多少そんな心持があります。たゞし受け入れる事の出來ない人に與へる位なら、私はむしろ私の經驗を私の生命と共に葬つた方が好(い)いと思ひます。實際こゝに貴方といふ一人の男が存在してゐないならば、私の過去はついに私の過去で、間接にも他人の知識にはならないで濟んだでせう。私は何千萬とゐる日本人のうちで、たゞ貴方丈に、私の過去を物語(ものかた)りたいのです。あなたは眞面目だから。あなたは眞面目に人生そのものから生きた敎訓を得たいと云つたから。
私は暗い人世(じんせい)の影を遠慮なくあなたの頭の上に投げかけて上げます。然し恐れては不可せん。暗いものを凝と見詰めて、その中から貴方の參考になるものを御攫(おつか)みなさい。私の暗いといふのは、固(もと)より倫理的に暗いのです。私は倫理的に生れた男です。又倫理的に育てられた男です。其倫理上の考は、今の若い人と大分(だいぶ)違つた所があるかも知れません。然し何(ど)う間違つても、私自身のものです。間に合せに借りた損料着(そんれうぎ)ではありません。だから是から發達しやうといふ貴方には幾分か參考になるだらうと思ふのです。
貴方は現代の思想問題に就いて、よく私に議論を向けた事を記憶してゐるでせう。私のそれに對する態度もよく解つてゐるでせう。私はあなたの意見を輕蔑迄しなかつたけれども、決して尊敬を拂ひ得る程度にはなれなかつた。あなたの考へには何等の背景もなかつたし、あなたは自分の過去を有つには餘りに若過ぎたのです。私は時々笑つた。あなたは物足なさうな顏をちよい/\私に見せた。其極(きよく)あなたは私の過去を繪卷物のやうに、あなたの前に展開して吳れと逼(せま)つた。私は其時心のうちで、始めて貴方を尊敬した。あなたが無遠慮に私の腹の中(なか)から、或生きたものを捕(つら)まへやうといふ決心を見せたからです。私の心臟を立(たち)割つて、温かく流れる血潮を啜(すゝ)らうとしたからです。其時私はまだ生きてゐた。死ぬのが厭であつた。それで他日を約して、あなたの要求を斥ぞけてしまつた。私は今自分で自分の心臟を破つて、其血をあなたの顏に浴せかけやうとしてゐるのです。私の鼓動が停(とま)つた時、あなたの胸に新らしい命が宿る事が出來るなら滿足(まんそく)です。
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『東京朝日新聞』大正3(1914)年6月17日(水曜日)掲載 夏目漱石作「心」「先生の遺書」第五十六回より。太字は私が施した。
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