北原白秋 抒情小曲集 おもひで (初版原拠版) 尿する和蘭陀人
尿する和蘭陀人
尿(いばり)する和蘭陀人…………
あかい夕日が照り、路傍の菜園には
キヤベツの新らしい微風、
切通のかげから白い港のホテルが見える。
十月の夕景か、ぼうつと汽笛のきこゆる。
なつかしい長崎か、香港(ホンコン)の入江か、葡萄牙(ポルトガル)? 佛蘭西(フランス)?
ザボンの果(み)の黃色いかがやき、
そのさきを異人がゆく、女の赤い輕帽(ボンネツト)………
尿する和蘭陀人………
そなたは何を見てゐる、彎曲(ゆみなり)の路から、
斷層面の赤いてりかへしの下から、
前かがみに腰をかがめた、あちら向きの男よ。
わたしは何時も長閑(のどか)な汝(そなた)の頭上から、
瀟洒な外輪船(ぐわいりんせん)の出てゆく油繪の夕日に魅(み)せられる。
病氣のとき、ねむるとき、さうして一人で泣いてゐる時、
ほんのしばらく立ちとまり、尿する和蘭陀人のこころよ。
[やぶちゃん注:「輕帽(ボンネツト)」bonnet。婦人・小児用の帽子で、付け紐を頤(あご)の下で結ぶタイプのものを言う。庇のあるなしは問わない。]
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