石川啄木 詩集「あこがれ」(初版準拠版) 凌霄花
凌 霄 花
鐘樓(しゆろう)の柱(はしら)まき上(あ)げて
あまれる蔓(つる)の幻と
流れて石の階(きざはし)の
苔(こけ)に垂れたる夏の花、
凌霄花(のうぜんかつら)かがやかや。
花を被(かづ)きて物思(ものも)へば、
現(うつゝ)ならなく夢ならぬ
ただ影深(かげぶか)の花の路、
君ほほゑめば靄かほり
我もの云へば蕾咲(つぼみ)く
步み音なき遠つ世の
苑生(そのふ)の中の逍遙(さまよひ)の
眩(まば)ゆきいのち近づくよ。
身は村寺(むらでら)の鐘樓守(しゆろうもり)、──
君逝(ゆ)きしより世を忘れ、
孤兒(みなしご)なれば事もなく
御僧(みさう)に願ひゆるされて、
語(ご)もなき三とせ夢心地、
君が墓(はか)あるこの寺に、
時告(つ)げ、法(のり)の聲をつげ、
君に胸なる笑(ゑ)みつげて、
わかきいのちに鐘を撞(つ)く。──
君逝(い)にたりと知るのみに、
かんばせよりも美くしき
み靈(たま)の我にやどれりと
人は知らねば、身を呼びて
うつけ心(こゝろ)の啞(おふし)とぞ
あざける事よ可笑(おか)しけれ。
あやめ鳥鳴く夏の晝
御寺まゐりの徒步の路、
ひと日み供に許されて、
この石階の休らひや、
凌霄花(のうぜんかづら)花(はな)二つ
摘(つ)みて、一つはわが襟(えり)に、
一つは君がみつむりの
かざしに添へてほほゑませ、
み姉(あね)と呼ぶを許(ゆ)りにける
その日、十六かたくなの
わが胸涵(ひた)す匂ひ潮、
おほ葩(はなびら)の、名は知らね、
映(は)ゆき花船うかべしか。
さればこの花、この鐘樓(しゆろう)、
我が魂(たましひ)の城と見て、
夏ひねもすの花まもり、
君が遺品(かたみ)の、香はのこる
上(かみ)つ代(よ)ぶりの小忌衣(をみごろも)、──
昔好(むかしごの)みの君なれば
甞(かつ)ては御簾(みす)のかげ近き
衣桁(いかう)にかけて、空薰(そらだき)の
風流(ふりう)もありし香のあとや、──
靑草摺(あをくさずり)の白絹(しらぎぬ)に
袖にかけたる紅(あけ)の紐(ひも)、
年の經ぬれば裾きれて
鶉衣(うづらごろも)となりにたれ、
君が遺品(かたみ)と思ほえば
猶わが身には玉袍(ぎやくはう)と、
男姿(をとこすがた)にうち襲(かさ)ね、
人の云ふ語(ご)は知らねども、
胸なる君と語らふに、
のうぜんかづら夏の花
かがやかなるを、薰(くん)ずるを、
かの世この世の浮橋(うきはし)の
『影なる園』の玉(たま)の文字(もじ)。
花を被(かづ)きて、石に寢て、
君が身めぐる照る玉の
眩(まば)ゆきいのち招(まね)ぎつつ、
ああ招ぎつつ、迎(むか)へつつ、
夕つけくれば、朝くれば、
ほほゑみて撞(つ)く巨鐘(おほがね)の
高き叫びよ、調和(とゝのひ)よ、──
その聲すでに君や我
ふたりの魂(たま)の船のせて
天(あめ)の門(かど)にし入りぬれば、
人の云ふなる放心者(うつけもの)、
身は村寺の鐘樓守(しゆろうもり)、
君に捧(さゝ)げし吾生命(わぎぬち)の
この喜悅(よろこび)を人は知らずも。
(乙巳二月二十日夜)
[やぶちゃん注:「可笑(おか)しけれ」のルビはママ。最初の「凌霄花(のうぜんかつら)」の清音はママであるが(原本画像)、二回目の「凌霄花(のうぜんかづら)花(はな)二つ」の部分は実はルビが「のうぜんからづ」となっている(原本画像)。これは明白な植字工のミスであるから、特異的に訂した。筑摩版全集は孰れも「のうぜんかづら」と濁音にして統一して校訂してしまっている。
「小忌衣(をみごろも)」ここは物忌みをしているしるしとする清浄なる上着を着ているさま。
「鶉衣(うづらごろも)」ウズラの羽が斑(まだら)を呈するところから、「継ぎ接(は)ぎのしてある襤褸(ぼろ)な着物を指す。
初出は前に述べた通り、『明星』明治三八(一九〇五)年三月号で、総表題「彌生ごころ」で載る。初出形原本を「国文学研究資料館 電子資料館」の「近代書誌・近代画像データベース」のこちらで読むことが出来る。因みに、本篇に選んで添えられたものではないが、当該雑誌の本篇の途中には――何んと、かの青木繁(明治一五(一八八二)年~明治四四(一九一一)年)の「海の幸」(明治三四(一九〇一)年・千葉布良にて制作)が鮮烈な赤い印刷で挿入されてあるのである!――]
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