北原白秋 抒情小曲集 おもひで (初版原拠版) 雨のふる日
雨のふる日
わたしは思ひ出す。
綠靑(ろくしやう)いろの古ぼけた硝子戶棚を、
そのなかの賣藥の版木と、硝石の臭(にほひ)と…………
しとしとと雨のふる夕かた、
濡れて歸る紺と赤との燕(つばくらめ)を。
しとしとと雨のふる夕かた、
蛇目傘(じやのめ)を斜(はす)に疊んで、
正宗を買ひに來た年增(としま)の眼つき、…………
びいどろの罎を取つて
無言(だま)つて量る…………禿頭(はげあたま)の番頭。
しとしとと雨のふる夕かた、
巫子(みこ)が來て振り鳴らす鈴(すゞ)………
生鼠壁(なまこかべ)の黴(かび)に觸(さは)る外面(おもて)の
人靈(ひとだま)の燐光。
わたしは思ひ出す。
しとしとと雨のふる夕かた、
㕚首(あいくち)
を拔いて
死なうとした母上の顏、
ついついと鳴いてゐた紺と赤との燕(つばくらめ)を。
[やぶちゃん注:「硝石」序の「わが生ひたち」の「3」に出て既注であるが、再掲しておく。同じく硝酸塩鉱物の一種。火薬原料として知られる有毒であるが、漢方では消癥(しょうちょう:体内に出来た腫物を癒す)・通便・解毒の効能があり、腹部膨満・腫瘤・腹痛・便秘・腫物などに用いる。
「正宗」サイト「耳寄りな話題」の『日本酒の銘柄「○○正宗」なぜ全国各地に? 商標の壁、昔も今も』によれば、『日本酒の銘や社名に「正宗」を使う蔵元は全国に多い。元祖は中堅酒造会社の桜正宗(神戸市)だ。正宗が全国へ広がった経緯を探っていくと、商標の管理という日本企業が今日直面する問題が浮かび上がってきた』。『桜正宗は』享保二(一七一七)年『創業の老舗』で、第十一『代目当主の山邑太左衛門氏』『の説明によると、当時、灘地域(神戸市、兵庫県西宮市)では酒銘を競っており、「助六」や「猿若」など歌舞伎役者に関する酒銘が多かった。同社も役者名を取り「薪水」を使っていたが』、当時の第六『代目山邑太左衛門は酒銘が女性的で、愛飲家にふさわしいか悩んでいたという』。この六代目が昭和一五(一八四〇)年、『京都の元政庵瑞光寺の住職を訪ね、机上の「臨済正宗」と書かれた経典を見て「正宗」がひらめいた。正宗の音読み「セイシュウ」が「セイシュ」に近く縁起も良さそうだと思ったようだ。ただ、同寺の現在の住職、川口智康』氏は『この由来について「昔のことでわからない」とのこと』。『酒銘へのこだわりだけでなく』、六『代目が酒造りにかける情熱はすさまじかった。今日の吟醸造りの原型となる「高精白米仕込み」に取り組んだほか、西宮で酒造に適した「宮水」を発見、灘が最大の産地となる原動力になった。桜正宗など灘の清酒は「下り酒」と呼ばれ』、『江戸で爆発的に売れた』同じく享保二年から『江戸で灘の清酒を扱う酒類卸、ぬ利彦(東京・中央)の中沢彦七社長』『は「正宗は吉原や藩主の屋敷で評判を呼び、江戸庶民に広がった」と話す』。『人気が高まるにつれ、正宗の名にあやかる蔵元が全国で続々と現れた。正宗の名は普通名詞となり』、明治一七(一八八四)年に『政府が商標条例を制定した際、桜正宗は正宗を登録したが』、『受け付けられなかったほど』に既に銘酒と同義の一般名詞化されていると判断され、『特許庁は「慣用商標の中で代表的な事例の一つ」(商標課)と説明。そこで桜正宗は国花の「桜」をつけた』とある(以下、記事は続くが、略す)。]