北原白秋 抒情小曲集 おもひで (初版原拠版) 身熱
北原白秋 抒情小曲集 おもひで (初版原拠版) 身熱
身熱
母なりき、
われかき抱き、
ザボンちる薄き陰影(かげ)より
のびあがり、泣きて透(す)かしつ
『見よ、乳母の棺(ひつぎ)は往(ゆ)く。』と。
時に白日(ひる)、
大路(おほぢ)靑ずみ、
白き人列(つら)なし去んぬ。
刹那(せつな)、また、火なす身熱、
なべて世は日さへ爛(たゞ)れき。
病むごとに、
母は歎きぬ。
『身熱に汝(な)は乳母焦がし、
また、JOHN よ、母を。』と。――今も
われ靑む。かかる恐怖(おそれ)に。
[やぶちゃん注:白秋(本名隆吉)の母シゲ(明治一八(一八八五)年一月二十五日の隆吉誕生時、数え二十五歳)は本詩集刊行時(白秋数え二十七歲)でも健在である。
「乳母焦がし」既に序の「わが生ひたち」の「4」に『三歲の時、私は劇しい窒扶斯(チブス)に罹つた。さうして朱欒(ザボン)の花の白くちるかげから通つてゆく葬列を見て私は初めて乳母の死を知つた。彼女は私の身熱のあまり高かつたため何時(いつ)しか病を傳染(うつ)されて、私の身代りに死んだのである。私の彼女に於ける記憶は別にこれといふものもない。ただ母上のふところから伸びあがつて白い柩を眺めた時その時が初めのまた終りであつた』とこのシチュエーションの原体験の記憶が語られているが、明治二〇(一八八七)年(当時白秋は数え三歲)に白秋の乳母であったシカが隆吉(白秋)の罹患した腸チフスを看病する内、感染し、亡くなったことを指す。]
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