北原白秋 抒情小曲集 おもひで (初版原拠版) 黑い小猫
黑い小猫
ちゆうまえんだの百合の花
その花あかく、根はにがし。──
ちゆうまえんだに來て見れば
豌豆のつる逕(みち)に匍ひ、
黑い小猫の金茶(きんちや)の眼、
鬼百合の根に晝光る。
べんがら染か、血のいろか、
鹿子(かのこ)まだらの花辨(はなびら)は裂けてしづかに傾きぬ。
裂けてしづかに輝ける褐(くり)の花粉の眩(まば)ゆさに、
夜の秘密を知るやとて
よその女のぢつと見し昨(きそ)の眼つきか、金茶の眼、
なにか凝視(みつ)むる、金茶の眼。
黑い小猫の爪はまた
鋭く土をかきむしる。
百合の疲れし球根(きゆうこん)のその生(なま)じろさ、薄苦(うすにが)さ、
搔きさがしつつ、戯(たはむ)れつ、
後退(あとしざ)りつつ、をののきつ、
なにか探せる、金茶の眼。
そつと墮胎(おろ)したあかんぼの蒼い頭(あたま)か、金茶の眼、
ある日、あるとき、ある人が生埋(いきうめ)にした私生兒(みそかご)の
その兒さがすや、金茶の眼、
百合の根かたをよく見れば
燐(りん)は濕(し)めりてつき纒(まと)ひ、
球(たま)のあたまは曝(さ)らされて爪に搔かれて日に光る。
なにか恐るる、金茶の眼。
ちゆうまえんだの百合の花、
その花赤く、根はにがし。──
ちゆうまえんだに來て見れば
なにがをかしききよときよとと、
こころ痴(し)れたるふところ手、半ば禿げたるわが叔父の
步むともなき獨語(ひとりごと)ひとり終日(ひねもす)畑をあちこち。
註。ちゆうまえんだ。わが家の菜園の名なり。
[やぶちゃん注:単子葉植物綱ユリ目ユリ科ユリ属オニユリ Lilium lancifolium の、ある種奇体にして、禍々しくさえあり、しかもどこか見入ってしまう(私はそうだ)呪的な奇花を非常に効果的映像として持ち込んでおり(黒い小猫は重要乍ら、実は脇役に回っている)、一読、忘れ難い奇作である。
太字は底本では傍点「ヽ」。この「ちゆうまえんだ」は序の「わが生ひたち」の「3」にも出たが、語源・意味は不詳。『古い僧院の跡だといふ』とはある。
「豌豆」「ゑんどう(えんどう)」。
「褐(くり)」栗色。
「私生兒(みそかご)」「密(みそ)か兒」。
「叔父」序の「わが生ひたち」の「3」を見ると、『正面の白壁はわが叔父の新宅であつて、高い酒倉は甍の上部を現はすのみ。かうして、私の母家はこの水の右折して、終に二條の大きな樋に極まり、渦を卷いて鹹川に落ちてゆくその袂から、是に左したるところにある』とあり、この叔父は北原家のすぐ近くに住んでいることが判る。同文章には今一人、少年白秋を蚕室の暗がりで催眠術の実験台にするかなり危ない奇体な「叔父」が登場するが、これは母方の叔父で別人であると思われる。]
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