北原白秋 抒情小曲集 おもひで (初版原拠版) 鵞鳥と桃
鵞鳥と桃
なにごとのありしか知らず、
人さはに立ちてながめき。
われもまた色あかき桃
掌(て)にしつつ、なかにまじりぬ。
河口に今日しはじめて
小蒸汽の見えつるといふ。
朝明(あさあけ)の霧にむせびし
西國(にしぐに)の新らしき香(か)よ。
そが鈍(にぶ)き笛のもとより、
鵞の鳥は鳴きてのぼりぬ。
ひとむれのその鳴きごゑよ、
しらしらとわれに寄り來つ。
そはかなし、『見も知らぬ兒よ、
汝(な)が紅き實(み)を欲し。』といふ。
いひしらぬそのくちをしさ、
逃げまどひ、泣きてかへりぬ。
母上に賜(た)びし桃の實、
われひとり食(たう)べむものを。
[やぶちゃん注:「鵞鳥」は「がてう」、「鵞の鳥は」は「がのとりは」と読んでおく。脊椎動物門鳥綱カモ目マガン属 Anser の鳥で野性のガン(模式種はハイイロガン Anser anser でガチョウの学名もこれを用いる)を家畜化(本来は食用)したものである。]
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