北原白秋 抒情小曲集 おもひで (初版原拠版) AIYAN の歌
AIYAN の歌
いぢらしや、
ちゆうまえんだのゆふぐれに
蜘蛛(コブ)が疲れて身をかくす、
ほんに薊の紫に
刺(とげ)が光るぢやないかいな。
(*ANTEREGAN の畜生はふたごころ。
わしやひとすぢに。)
1、下碑、兒守女、柳河語。
2、あの畜生?
[やぶちゃん注:太字「ちゆうまえんだ」(複数回既出既注。北原家の庭園の名)は底本では傍点「ヽ」。1・2の注記号がないのはママ。「1」は表題の「AIYAN」に、「2」は「*ANTEREGAN」に対応。
「AIYAN」は「酒の精」で「下婢(アイヤン)」の形で既出であるが、そこで注した通り、語源未詳。
「蜘蛛(コブ)」広義のクモの異名。小学館「日本国語大辞典」に「こぶ」の見出しで出、『くも(蜘蛛)の異名』とし、用例を『日葡辞書「Cobu(コブ)〈訳〉大蜘蛛』、『重訂本草綱目啓蒙―三六・卵生「蜘蛛」〈略〉こぶ 薩州』の後、まさに本篇の当該部が近代の例として引かれてある。以下、方言として三十二に及ぶ採取例が並ぶが、九州・南西諸島が圧倒的である(他は岩手・石川の二例のみ)。ここから九州では広く蜘蛛を「コブ」と呼ぶことが判明する。あるネット記載では「よるコブ=喜ぶ」として縁起が良いともされるとある。以上の通り、ポルトガル語由来らしい。ただ、「日本国語大辞典」の「方言」欄の筆頭は福岡県八女(やめ)郡で(柳川の東北直近である)、そこには種としての『ひらたぐも(扁平蜘蛛)』と載る。この辞書記載の場合の種は節足動物門鋏角亜門クモ綱クモ目ヒラタグモ科ヒラタグモ属ヒラタグモ Uroctea compactilis に限定出来る(本邦に棲息するヒラタグモ科 Urocteidae のヒラタグモ類はこの一種のみだからである)。但し、ウィキの「ヒラタグモ」によれば、『中型の扁平なクモで、人家の壁面などに巣を作っているのを見かける。腹部にはっきりとした黒い斑紋があり、また、特徴的な巣を作るので見分けやすい。人家に生息することが多く、身近なクモでもある。巣は広い壁の真ん中にもあることが多いからよく目立つ。ただし、本体は常に巣にこもっていて出歩くことは少ない』(太字下線は私が附した)とあるので、本種ではない可能性が高く、別種の庭園の葉陰にいるクモ類であろう。
「ANTEREGAN」「あの畜生?」とするのだが、もし、これが白秋が聴いた下女の戯れ歌の一節であったとするなら、この「?」の意味(白秋自身がこの語の意味がよく判らない、自信がないということ)が判り、しかもその白秋の推測では「あの畜生の畜生は……」と畳語になっておかしいと誰もがちょっと思う。卑称は畳みかけても別段いいわけだが、しかし、調べてみると、「あんてれがん」という言葉は、「うんてれがん」「うんでれがん」という語に近似している。こちらは方言ではなく、小学館「日本国語大辞典」によれば、『愚かな者をさげすんでいう語。ばか。あほう。のろま。まぬけ。江戸末期の流行語。うんてらがり』とあり、また、別に『幕末から明治時代に流行した女髷(まげ)の一種』とある。唄っているのが下女だから、前者で「阿呆の畜生野郎は二心持ち、あたしは一筋だに」の意で腑に落ちるのである。]