北原白秋 抒情小曲集 おもひで (初版原拠版) 散步
散步
過ぎし日のおもひでに
植物園を步行(ある)けば、
霜白く、薄黃(うすぎ)水仙の芽も靑く、
鳴く鳥すらもほのかなれや、佛蘭西の赤靴…………
骨牌(トランプ)のこころもちに
クロウバのうへをゆけば
朝はやく、あるかなきかの香(か)も痒(かゆ)く、
鳴く蟲すらもほのかなれや、佛蘭西の赤靴………‥
かの蒼白(あをじろ)き年增(としま)を
恐れて、そつと步めば、
日は光り、いまだ茴香(ういきやう)の露も苦(にが)く、
鳴くこころすらもほのかなれや、佛蘭西の赤靴………
[やぶちゃん注:リーダは第一連末が十二点、第二連末が十一点、第三連最終行が九点で総て異なる。植字上のミスとも思われるが、これだけ違うと、ちょっと気になる。再現した(第二連は組み合わせをしたので等間隔でないが、等間隔として受けとって貰いたい)。
「骨牌(トランプ)のこころもちに」後の「クロウバのうへをゆけば」で「クラブ」のマークに洒落たものであろう。
「茴香」セリ目セリ科ウイキョウ属ウイキョウ Foeniculum vulgare。花の花期は七~八月で、枝分かれした草体全体が鮮やかな黄緑色のその茎頂に、黄色の小花を多数つけて傘状に広がる。本詩篇は総ての連を同時制で詠んでいない。第一連は未だ霜の降りるも鳥の囀りの始まる早春であり、第二連は虫が仄かに鳴く晩夏か初秋であり、最終連は陽射しが光る夏であろう。]