石川啄木 詩集「あこがれ」(初版準拠版) 二つの影
二 つ の 影
浪の音(ね)の
樂(がく)にふけ行く
荒磯邊(ありそべ)の夜(よる)の砂、
打ふみて我は辿りぬ。
海原にかたぶける
秋の夜の月は圓(まろ)し。
ふと見れば、
ましろき砂に
影ありて際(きは)やかに、
わが足の步みはこべば、
影も亦步みつつ、
手あぐれば、手さへあげぬ。
とどまれば、
彼もとまりぬ。
見つむれど、言葉なく
ただ我に伴(とも)なひ來る。
目をあげて、空見れば、
そこにまた影ぞ一つ。
ああ二(ふた)つ、
影や何なる。
とする間(ま)に、空の影、
夢の如、消えぬ、流れぬ。
海原に月入りて、
地の影も見えずなりぬ。
我はまた
荒磯(ありそ)に一人。
ああ如何に、いづこへと
消えにしや、影の二つは。
そは知らず。ただここに。
消えぬ我、ひとり立つかな。
(甲辰十一月廿一日夜)
初出は明治三十七年十二月号『時代思潮』で、「新聲二首」という総題で、次の「二つの影」とともに発表された。特に有意な異同を感じない。]