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2020/06/19

北原白秋 抒情小曲集 おもひで (初版原拠版) たそがれどき

 

たそがれどき

 

たそがれどきはけうとやな、

傀儡師(くぐつまはし)の手に踊る

華魁(おいらん)の首生(なま)じろく、

かつくかつくと目が動く………

 

たそがれどきはけうとやな、

瀉に墮(おと)した黑猫の

足音もなく歸るころ、

人靈(ひとだま)もゆく、家(や)の上を。

 

たそがれどきはけうとやな、

馬に載せたる鮪(しび)の腹

薄く光つて滅(き)え去れば、

店の時計がチンと鳴る。

 

たそがれどきはけうとやな、

日さへ暮るれば、そつと來て

生膽取(いきぎもとり)の靑き眼が

泣く兒欲(ほ)しやと戶を覗(のぞ)く…………

 

たそがれどきはけうとやな。

 

[やぶちゃん注:「けうとやな」「けうと」は平安以来の形容詞「けうとし」(氣疎し:「け」は接頭語で「気」由来の「何とも言えず」「なんとなく」の意を添える)の感動を表わす語幹の用法。ここは「人気(ひとけ)がなく寂しくて気味が悪いことよ」の意。

「傀儡師(くぐつまはし)」「傀儡子」とも書き、「くぐつし」「くぐつ」「かいらいし」とも呼ぶ。木偶(でく/もくぐう:本体を木で作った人形)又はそれを操る芸人やグループを指し、流浪の民や旅芸人の内で、狩猟と、傀儡(人形)を使った芸能を生業とした集団を起源とする。平安時代には既に存在し、後代になると、普通の旅回りの芸人の一座をも指した。後の人形芝居や人形浄瑠璃のルーツであるが、そうした経緯は参照したウィキの「傀儡子」を見られたい。ただ、ここで幼い白秋の描写するそれは、第一連全体を見るに、本格的な小屋掛けの人形芝居とは私には思われない(だとすると、家の者に連れられて入った小屋掛けのそれとなるが、シチュエーションとしてそれだと(それを映像にしてしまうと)、私には激しい違和感があるのである)。しかし、明治の中期までそうした門付芸としての古典的な一人で操る傀儡師が生き残っていたのかどうか、調べて見ても判然としない。識者の御教授を乞う。

「瀉に墮(おと)した黑猫の」既に序の「わが生ひたち」の「7」に、『恰度、夏の入日があかあかと反射する時、私達の手から殘酷に投げ棄てられた黑猫が黑猫の眼が、ぬるぬると滑り込みながら、もがけばもがくほど粘々(ねばねば)した瀉の吸盤に吸ひ込まれて、苦しまぎれに斷末魔の爪を搔きちらした一種異樣の恐ろしい點彩𤲿』という比喩表現の中に出現する。この部分、全体を読んで戴きたいが、比喩でありながら、実はその『』夏の入日があかあかと反射する時、私達の手から殘酷に投げ棄てられた黑猫が黑猫の眼が、ぬるぬると滑り込みながら、もがけばもがくほど粘々(ねばねば)した瀉の吸盤に吸ひ込まれて、苦しまぎれに斷末魔の爪を搔きちらした一種異樣の恐ろしい』光景部分は実は事実であることが判る。少年は残酷なものである。私はこの一行を青年期に見た瞬間、自身のおぞましい記憶が蘇った。……小学校の恐らく三年か四年の頃のことだ……友人たちと三人で学校帰りに小猫を拾った……誰もしかし、それを家に連れ帰って飼えるわけではなかった……けれども水はもう張っていない泥沼のような広い葦原があった……僕らはその小猫をそこに投げ入れた……鳴き声が聴こえた……誰からともなく、石礫を投げ始めた……三人とも黙々と投げ始めた……何度か投げているうちに鳴き声は消えていた……僕らは暫く耳を澄ませた後、互いに……「俺の石じゃないよな?」……と言い合った。そうしてそこで皆そそくさと別れて去った……今はマンションが建っているそこを通ることがある……私の耳には今でもその五十五年も前の子猫の鳴き声が……聴こえる……

「鮪(しび)」スズキ目サバ科マグロ族マグロ属 Thunnus のマグロ類の古称。縄文時代の貝塚から既にマグロの骨が出土しており、「古事記」・「日本書紀」・「万葉集」にもこの「しび」の名で記されてあり、古くから食用魚とされていたことが判る。従って「しび」の語源を探るのは難しいが、小学館「日本国語大辞典」の「語源説」には、『⑴シシミ(繁肉)の約転か〔大言海〕。⑵シシハミの反〔名語記〕。』(これはよく意味が判らないが、「肉(しし)食(はみ)」の反切(はんせつ:漢字の発音を示す伝統的な方法の一つで、二つの漢字を用いて一方の声母と、他方の韻母及び声調を組み合わせてその漢字の音を表わすもの)『⑶シシベニ(肉紅)の義〔日本語原学=林甕臣〕。⑷煮ると白くなるところからシロミ(白身)の義〔名言通〕。⑸時によりシブイ(渋)味がしてシビレルところから〔本朝辞源=宇田甘冥〕。』とある。焼津の「マルコ水産」公式サイトにも、鎌倉時代には『鮪を「宍魚」と書いて「しび」と読んでいたそうです。(「宍」という漢字は「獣の肉」を意味しており、鮪の赤身が獣の肉に似ていることからそう付けられたようです。)』とあった。全体に赤いという点では確かに特異点で、そう呼んだとしても私はおかしいとは思わない。]

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