萩原朔太郎 氷島 初版本原拠版 附・初出形 昨日にまさる戀しさの / 萩原朔太郎 氷島 初版本原拠版 附・初出形~了
昨日にまさる戀しさの
昨日にまさる戀しさの
湧きくる如く嵩まるを
忍びてこらへ何時までか
惱みに生くるものならむ。
もとより君はかぐはしく
阿艶(あで)に匂へる花なれば
わが世に一つ殘されし
生死の果の情熱の
戀さへそれと知らざらむ。
空しく君を望み見て
百たび胸を焦すより
死なば死ねかし感情の
かくも苦しき日の暮れを
鐵路の道に迷ひ來て
破れむまでに嘆くかな
破れむまでに嘆くかな。
――朗吟調小曲――
[やぶちゃん注:初出は昭和七(一九三二)年一月号『古東多万』。
*
昨日にまさる戀しさの
昨日にまさる戀しさの
湧きくる如く嵩まるを
忍びてこらへ何時までか
惱みに生くるものならむ。
もとより君はかぐはしく
阿艶(あで)に匂へる花なれば
わが世に一つ殘されし
生死(せうじ)の果の情熱の
戀さへそれと知らざらむ。
空しく君を望み見て
百たび胸を焦すより
死ねば死ねかし感情の
かくも苦しき日の暮れを
鐵路の道に迷ひ來て
破れむ迄に嘆くかな
破れむ迄に嘆くかな。
*
なお、筑摩版「萩原朔太郞全集」第二巻の『草稿詩篇「氷島」』の末尾には、本篇の草稿として『咋日にまさる戀しさの』『(本篇原稿一種一枚)』として掲げているものの、詩篇本文は載せず、編者注で『傍題として「朗吟のために」とある』とのみある。
以上で詩集「氷島」の詩篇本文は終わっている。]
[やぶちゃん注:ここに「詩篇小解」が纏めて入るが、各篇の末に配したので、同パート最後の以下の一行を除いて省略する。ここがノンブルの最後で「85」。]
詩集 氷 島 完
[やぶちゃん注:「85」をめくると、右ページは白紙。左ページ中央に以下が記されてある。実際はポイント落ち。署名に至ってはそれよりポイント落ち。]
校正覺書
本書の假名遣並に用字辭の類は、凡て
著者平生の慣用に從ふこと前著に同斷。
辻 野 久 憲
[やぶちゃん注:こういう校正者による但し書は珍しい。ある意味、『私は問題がある誤字としか思われない箇所を多数見つけて著者に示したが、著者自身がそのままでいいのだ、と言ったからそのままにしてある、私の校正ミスではない』と言いたいような感じが伝わってくるかも知れないが、実はこの人物、第一書房の普通の校正係ではないのである。辻野久憲(明治四二(一九〇九)年~昭和一二(一九三七)年)は京都府舞鶴市生まれの翻訳家・評論家である。第三高等学校から東京帝国大学仏蘭西文学科を卒業、昭和七(一九三二)年、東京帝国大学仏蘭西文学科卒業。同年、書肆第一書房に就職した。在学中から、萩原朔太郎も投稿した『詩・現実』の同人として参加、昭和五(一九三〇)年から翌年にかけては、伊藤整・永松定とジェイムズ・ジョイスの「ユリシーズ」を共訳してもいる。第一書房の発行していた『セルパン』の編集長や、第二次『四季』の同人でもあった。その他、『詩と詩論』・『コギト』・『創造』などの朔太郎の馴染みの雑誌にも小論や随筆を寄稿したが、胸膜炎を発症し、二十八の若さで亡くなった。
補足しておくと、「前著」とは同じ第一書房から昭和三(一九二八)年三月に刊行した「第一書房版萩原朔太郞詩集」を指す。筑摩書房版「萩原朔太郞全集」第二巻の「解題」の同書の解説に、同書の巻末には「校正について」と題して、以下の注記が載るとある。以下に引く。傍点「○」は太字に代えた。
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一、「ふるへ」は全部「ふるゑ」となつてゐますが、これは著者獨得の用法で特に感じを出す爲です。
二、「食べる」が「喰べる」となつてゐる處がありますがこれも著者の特に「むさぼり食ふ」と云ふ感じを現はす爲に用ひられたものです。
三、「かはいい」が「かわいい」となつてゐるやうに、著者獨得の用法は皆右の理由によるものです。
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これも辻野によるものであろう。寧ろ、朔太郎の詩想による特殊な表記や造語を逆に校正者として十全に尊重している感じがよく伝わってくるのである。
以下、「奥付」だが、底本リンクで省略する。]