石川啄木 詩集「あこがれ」(初版準拠版) 草苺
草 苺
靑草(あをぐさ)かほる丘(をか)の下(した)、
小唄(こうた)ながらに君過(す)ぐる。
夏の日ざかり、野良(のら)がよひ、
駒(こま)の背(せ)にして君過ぐる。
君くると見てかくれける
丘の草間(くさま)の夏苺(なついちご)、
日照(ひで)りに蒸(む)れて、靑床(あをどこ)や、
草いきれする下かげに、
天(あめ)の日うけて情(なさけ)ばみ
色ばみ燃えし紅(あけ)の珠(たま)、──
鶉(うづら)の床の丘の邊に
もとより鄙(ひな)の草なれど、
ああ胸の火よ、紅(あけ)の珠(たま)、──
とどろぎ心(ごころ)ひざまづき、
手(て)觸(ふ)れて見れば、うま汁(しる)に
あへなく指(ゆび)の染(そ)みぬるよ。
素足(すあし)草刈(くさか)る身は十五、
夏草しげる中なれば、
心(むね)の苺(いちご)はかくれたれ、
くろ髮捲ける藍染(あゐぞめ)の
白木綿(しらゆふ)君に見えざるや。
過ぎし祭(まつり)の春の夜、
おぼろ夜深み、酒(さか)ほぎの
庭に、手とられ、袖とられ、
君に撰(ゑ)られて、はづかしの
唄(うた)に盃(さかづき)さされける
ああその夜より、姿よき、
駒(こま)もち、田もち、家もちの
君が名になど頰(ほ)の熱(ほて)る。
今君行くよ、丘の下、──
かがやく路を、若駒(わかごま)の
白毛(あしげ)ゆたかの乘樣(のりざま)や、──
聲し立てねば、えも向(む)かで
小唄(こうた)ながらに君行くよ。
ああ草蔭(くさかげ)の夏苺(なついちご)、
天(あめ)の日うけて情ばみ
色ばみ燃えて、日もすがら
くちびる甘(あま)き幸(さち)まてど、
醜草(しこくさ)なれば、君が園
枝(えだ)瑞々(みづみづ)し林檎(りうごう)の
櫑子(らいし)に盛(も)られ、手にとられ、
君がみ唇(くち)に吸(す)はるべき
木(こ)の實(み)の幸(さち)をうらみかねつも。
(乙巳二月廿一日)
[やぶちゃん注:「草苺」「くさいちご」は「早稲苺(わせいちご)」とも呼ぶ、落葉小低木のバラ目バラ科バラ亜科 Rubeae 連キイチゴ属クサイチゴ Rubus hirsutus。昔は裏山の散策でよく食べたものだった。
「林檎(りうごう)」「りんごん」の「ん」を「う」と表記したもの。リンゴ。
「櫑子(らいし)」高坏(たかつき)に似た縁の高い器。酒や菓子などを盛った。
初出は『時代思潮』明治三八(一九〇五)年四月号。有意な異同は認められない。]
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