ついに「先生」の「遺書」の開示が今日から始まる――
實をいふと、私はこの自分を何うすれば好(い)いのかと思ひ煩つてゐた所なのです。此儘人間の中に取り殘されたミイラの樣に存在して行かうか、それとも…其時分の私は「それとも」といふ言葉を心のうちで繰返すたびにぞつとしました。馳足(かけあし)で絕壁の端迄來て、急に底の見えない谷を覗き込んだ人のやうに。私は卑怯でした。さうして多くの卑怯な人と同じ程度に於て煩悶したのです。
(『東京朝日新聞』大正3(1914)年6月16日(火曜日)掲載 夏目漱石作「心」「先生の遺書」第五十五回 より)
誰(たれ)も冒頭の『‥‥』のリーダに注目せねばならない!!!――
*なお、前回述べた通り、『大坂朝日新聞』は公開のズレが生じており、この回も二日遅れの6月18日(木曜日)の掲載であり、西日本の読者は「遺書」がここから(六十一)までが、二日遅れとなり、(六十二)で一旦、一日遅れに挽回するものの、「先生」が抜け駆けして「お孃さんを下さい」とやらかす(九十九)では又しても五日遅れ(『東京』が7月31日(金)であるのに対し、『大阪』は8月4日(火))となってしまい、(百)では六日遅れ、Kの自死直後の重大なシークエンスである(百三)ではさらに実に一週遅れとなり、この七日のズレが維持されたままに、「心」は終わるのである。即ち、西日本と東日本の読者には致命的な認知遅延が発生してしまうのである。
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