北原白秋 抒情小曲集 おもひで (初版原拠版) 斷章 十八
十 八
われはおもふ、かの夕ありし音色(ねいろ)を。
いと甘き梔子(くちなし)の映(は)えあかるにほひのなかに、
埋もれつつ愁ふともなくただひとりありけるほどよ、
あはれ、さは通りすがりのちやるめらの肩をかへつつ、
ひとうれひ――ひいひゆるへうと荷擔夫(にかつぎ)の吹きもゆきしを。
あはれまた、夕日のなかに消えがてに吹きも過ぎしを。
[やぶちゃん注:私の好きな一篇。嗅覚・聴覚・視覚をたった六行で少年の日の一瞬間のノスタルジアとしてスカルプティング・イン・タイムした名断片である。
一行目の「夕」は「ゆふべ」と読みたい。そうすると、一行目が「われはおもふ//かのゆふべ/ありしねいろを」でリズムがよいからである。
「梔子(くちなし)」リンドウ目アカネ科サンタンカ(山丹花)亜科クチナシ連クチナシ属クチナシGardenia jasminoides。花期は六 ~七月で、葉腋から短い柄を出して一つずつ強く印象的な芳香のある花を咲かせる。
「映(は)えあかる」「あかる」は「離る」「別る」で、梔子の花が光が一つ一つの花から立ち上って周囲に強く散ってゆくさまを指すのであろう。或いは「映え明(あか)る」で強いい嗅覚上の広がりを光が映えて明るくなるという視覚的表現に換喩したものともとれる。私はそのハイブリッド解釈でよかろうと感ずる。
「肩をかへつつ」チャルメラは大きなものでは肩に端を掛けるほどに長く大きいものがある(私はとある祭礼で見たことがある)。しかし、ここでそれを吹いているのは「荷擔夫(にかつぎ)」の賤民の運送屋が、歩行の際の警笛や客への来訪の合図に使っているものであるわけだから、そんなに大きなものでは邪魔になるだけである。さすれば、ここで「ちやるめらの肩をかへ」たのは、担いでいる重い荷物を掛けている肩を変えた、その際に軽いチャルメラをいままで荷を背負っていた方の肩に掛け替えたことを言っていると読む。
「ひいひゆるへう」「ヒィヒュルヒョウ」でチャルメラの音のオノマトペイア。]
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