石川啄木 詩集「あこがれ」(初版準拠版) 泉
泉
森の葉を蒸(む)す夏照(なつで)りの
かがやく路のさまよひや、
つかれて入りし楡(にれ)の木の
下蔭に、ああ瑞々(みづみづ)し、
百葉(もゝは)を靑(あを)の御統(みすまる)と
垂(た)れて、浮けたる夢の波、
眞淸水透(とほ)る小泉よ。
いのちの水の一掬(ひとむすび)、
いざやと下(お)りて、深山(ふかやま)の
小獐(こじか)の如く、勇みつつ、
もろ手をのべてうかがへば、
しら藻(も)は髮にかざさねど
水神(みづち)か、いかに、笑(ゑま)はしの
ゆたにたゆたにものの影、
紫三稜草(むらさきみくり)花(はな)ちさき
水面(みのも)に匂ふ若眉(わかまゆ)や、
玉頰(たもほ)や、瑠璃(るり)のまなざしや。
ああ一雫(ひとしづく)掬(すく)はねど、
口(くち)は無花果(いちじく)香もあまき
露にうるほひ、凉しさは
胸の奧まで吹きみちぬ。
夢と思ふに、夢ならぬ
さと云ふ音におどろきて
眼(まなこ)あぐれば、夢か、また、
(こ)木の間(ま)まぼろし鮮(あざ)やかに
垂葉(たりは)わけつつ駈(か)けて行く。──
さは黑髮のさゆらぎに
小肩(をがた)なよびの小女子(をとめご)よ。──
ああ常夏(とこなつ)のまぼろしよ、
など足早(あしばや)に過ぎ玉ふ。
ねがふは君よ、夢の森
にほふ綠の凉影(すゞかげ)に
暫しの安寢(やすい)守らせて、
(しばしか、夢の永劫(えいごふ)よ。)
われ夢守(ゆめもり)とゆるせかし。
目さめて仄(ほの)に笑(ゑ)ます時、
もろ手は玉の泔坏(ゆするつき)、
この眞淸水を御泔水(みゆする)に
手(て)づから君にまゐらせむ。
ああをとめごよ、幻よ、
はららの袖や愛の旗(はた)、
などさは疾(はや)き足(あし)どりに、
天(あめ)の鳥船(とぶね)のかくろひに、
綠(みどり)の中に消えたまふ。
(乙巳二月十九日夜)
[やぶちゃん注:「さと云ふ音におどろきて」「はららの袖や愛の旗、」の太字部分は底本では傍点「ヽ」。
「御統(みすまる)」上代に於いて、多くの玉を緒に貫いて輪としたものを首に掛けたり、腕に巻いたりして飾りとしたもの。
「小獐(こじか)」この「獐」はノロ(鯨偶蹄目シカ科ノロ亜科ノロ属ノロ Capreolus capreolus)というヨーロッパや東欧・ロシア西部に棲息する種を指すが、本種は本邦にいないので、ここはルビ通り、「小鹿」の意でとってよい。
「水神(みづち)」蛟(みづち)。龍の一種。
「紫三稜草(むらさきみくり)」単子葉植物綱ガマ目ミクリ科ミクリ属ミクリ Sparganium erectum。ウィキの「ミクリ」によれば、『ヤガラという別名で呼ばれることもある』。『北半球の各地域とオーストラリアの湖沼、河川などに広く分布』する。『日本でも全国に分布するが、数は減少している』。『多年生の』抽水性(ちゅうすいせい)植物(根が水中にあって茎や葉を伸ばして水面上に出る植物を指す)で、『地下茎を伸ばして株を増やし、そこから茎を直立させる。葉は線形で、草高は最大』二メートルにもなる。花期は六~九月で、『棘のある球状の頭状花序を形成する。花には雄性花と雌性花があり、枝分かれした花序にそれぞれ数個ずつ形成する。その花序の様子が栗のイガに似るため、ミクリ(実栗)の名がある。果実を形成する頃には、花序の直径は』二~三センチメートルにもなる。
「泔坏(ゆするつき)」頭髪を洗って梳(くしけず)る水を入れる器。古くは陶製で、後には木製漆塗りや銀製のものが作られたが、平安時代には銀製の椀に蓋を附け、茶托(ちゃたく)状の台を添え、梨地蒔絵(なしじまきえ)で装飾した上、上敷きに紐を垂らしている形にしてあった。坏(つき)に入れる洗髪用の水(ここで言う「御泔水(みゆする)」)に実際にはは米の研ぎ汁が使用されていたという(ここは小学館「日本大百科全書」に拠った)。
この眞淸水をに
「はららの袖」散り散りばらばらになって飛ぶ袖の意か。しかし、対語が「愛の旗」だとするとおかしい。しかし、初出もこれである。不審としておく。
「天(あめ)の鳥船(とぶね)」ウィキの「鳥之石楠船神」(とりのいわくすふねのかみ)によれば、これは『日本神話に登場する神であり、また、神が乗る船の名前である。別名を天鳥船神(あめのとりふねのかみ)、天鳥船(あめのとりふね)という』。『神産みの段でイザナギとイザナミの間に産まれた神である。『古事記』の葦原中国平定の段では、天鳥船神が建御雷神の副使として葦原中国に派遣され』、『事代主神の意見をきくために使者として遣わされた。しかし『日本書紀』の同段では天鳥船神は登場せず、事代主神に派遣されたのも稲背脛という別の者になっている。稲背脛は「熊野諸手船、またの名を天[合+鳥]船」という船に乗っていったというが、『古事記』では天鳥船神が使者となっている。また熊野諸手船は美保神社の諸手船神事の元である』。『これとは別に、『日本書紀』の神産みの段本文で、イザナギ・イザナミが産んだ蛭児を鳥磐櫲樟船(とりのいわくすふね)に乗せて流したとの記述があるが、『古事記』では蛭子が乗って行ったのは鳥之石楠船神ではなく葦船(あしぶね)である』。『国譲りの使者は各史料によって建御雷神、経津主神、鳥之石楠船神、稲背脛、天夷鳥命のいずれかから二柱が伴って派遣されるが、建御雷神を除くこれらは皆同一神の別名を伝えたものと考えられる。経津主神、鳥之石楠船神、稲背脛、天夷鳥命は祭祀氏族が共通し、その神名、事績からも製鉄・鳥トーテムに縁のある天孫族系の神であったと考えられ、『神道大辞典』においても出雲国造の祖と鳥之石楠船神を同一視する説を唱えている。また、これに従えば『古事記』、『日本書紀』における記述の違いは、使者の主・従関係の違いだけにとどまり、ほとんど同じ内容を伝えていたこととなる』とある。まあ、啄木が深い意味で使ってはいないことは明らかで、神々の乗る舟でよかろうかい。
「かくろひ」「隱ろふ」の名詞形。「隠れていること・物陰に潜むこと。人目を避けること」。これも、語彙を深くディグする価値を認めない。
初出は前に述べた通り、『明星』明治三八(一九〇五)年三月号で、総表題「彌生ごころ」で載る。初出形原本を「国文学研究資料館 電子資料館」の「近代書誌・近代画像データベース」のこちらで読むことが出来る。]
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