萩原朔太郎 氷島 初版本原拠版 附・初出形 監獄裏の林
監獄裏の林
監獄裏の林に入れば
囀鳥高きにしば鳴けり。
いかんぞ我れの思ふこと
ひとり叛きて步める道を
寂しき友にも告げざらんや。
河原に冬の枯草もえ
重たき石を運ぶ囚人等
みな憎さげに我れを見て過ぎ行けり。
暗欝なる思想かな
われの破れたる服を裂きすて
獸類(けもの)のごとくに悲しまむ。
ああ季節に遲く
上州の空の烈風に寒きは何ぞや。
まばらに殘る林の中に
看守の居て
劍柄(づか)の低く鳴るを聽けり。
――鄕土望景詩――
【詩篇小解】 監獄裏の林 前橋監獄は、 利根川に望む崖上にあり。 赤き煉瓦の長壘、 夢の如くに遠く連なり、 地平に落日の影を曳きたり。 中央に望樓ありて、 悲しく四方(よも)を眺望しつつ、 常に囚人の監視に具ふ。 背後(うしろ)に楢の林を負ひ、 周圍みな平野の麥畠に圍まれたり。 我れ少年の日は、 常に麥笛を鳴らして此所を過ぎ、 長き煉瓦の塀を廻りて、 果なき憂愁にさびしみしが、 崖を下りて河原に立てば、 冬枯れの木立の中に、 悲しき懲役の人々、 看守に引かれて石を運び、 利根川の淺き川瀨を速くせり。
[やぶちゃん注:「前橋監獄」現在も群馬県前橋市南町にある赤レンガの塀の続く前橋刑務所の前身。但し、本詩が公開された当時は既に前橋刑務所に改称していた(大正一一(一九二二)年十月)。しかし、朔太郎のそれは少年期の追懐(明治一九(一八八六)年十一月一日生まれ)であるから、おかしくはない。「今昔マップ」で見ると、朔太郎の言う通り、監視塔を中心としているのであろう、X字状の四棟の獄舎が配置されてあるのが判る。ウィキの「前橋刑務所」によれば、『群馬県庁本庁舎・前橋市役所本庁舎から南方へ』二キロメートル『弱、利根川東岸間際に位置し、北方を両毛線が通過する』。『歴史の古い刑務所であり、明治時代の開設時こそ市街地から離れた場所であったが、その後の都市化進行によって西側の利根川を除く三方を住宅地に囲まれる状態となっている』。明治二一(一八八八)年、現在位置に開設された。『建設時の全体レイアウトは監視塔を中心に』四『棟の獄舎が放射状に配置されるという、当時』、『アメリカで研究されていた刑務所構造を取り入れた先駆例であった』。『外堀に囲まれた赤煉瓦の正門・外壁は開設当初からのもので、細やかな部分に意匠が凝らされ、地元出身の詩人・萩原朔太郎の詩の題材ともなった。旧・網走監獄と並んで、古典的な「監獄」のイメージに相応しい外観や、かつて長期受刑者の収容先として知られた歴史などを併せ持ったことで、映画のロケーションなどにも多用されている。部分改築を受けつつも』、『築造後』百二十『年に渡り』、『供用されており、群馬県近代化遺産に指定されている』とある。
「囀鳥」は「てんてう(てんちょう)」。囀(さえず)る鳥。
「枯草もえ」は草が枯れて赤茶けているようすであろう。
「劍柄(づか)」「づか」は「柄」のみに対するルビである。「けんづか」で金属製のサーベル。なお、現在の刑務官は銃を持っているが、普段は携帯していない。
本篇の初出は大正一五(一八二六)年四月号『日本詩人』。
*
監獄裏の林
監獄裏の林に入れば
囀鳥高きにしば鳴けり
いかんぞ我れの思ふこと
ひとり叛きて思惟する道を
寂しき友にも告げざらんや。
河原に冬の枝草もえ
重たき石を運ぶ囚人等
みな憎さげに我れを見て過ぎ行けり。
陰鬱なる思想かな
われの破れたる服を裂きすて
獸のごとくに悲しまん。
ああ季節に遲く
上州の空の烈風に寒きは何ぞや
まばらに殘る林の中に
看守のゐて
劍柄のひくく鳴るを聽けり。
(鄕土望景詩、追加續篇)
*
である。「枯草」ではなく、「枝草」となっている。或いは初出誌の誤植かも知れぬ。その後、先行する第一書房から昭和三(一九二八)年三月に刊行した「第一書房版萩原朔太郞詩集」に初めて「鄕土望景詩」群(全十一篇)の一つとして、第十番目に置いている。以下にそれを示す。なお、他の原「鄕土望景詩」十篇はこちらで昔一括して電子化しているので見られたい。
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監獄裏の林
監獄裏の林に入れば
囀鳥高きにしば鳴けり。
いかんぞ我れの思ふこと
ひとり叛きて步める道を
さびしき友にも告げざらんや。
河原に冬の枯草もえ
重たき石を運ぶ囚人等
みな憎さげに我れを見て過ぎ行けり。
陰鬱なる思想かな
われの破れたる服を裂きすて
獸のごとくに悲しまむ。
ああ季節に遲く
上州の空の烈風に寒きは何ぞや
まばらに殘る林の中に
看守のゐて
劍柄(けんづか)の低く鳴るを聽けり。
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