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2020/06/01

萩原朔太郎 氷島 初版本原拠版 附・初出形 廣瀨川

 

   廣瀨川

 

廣瀨川白く流れたり

時されば皆幻想は消え行かむ。

われの生涯(らいふ)を釣らんとして

過去の日川邊に糸をたれしが

ああかの幸福は遠きにすぎさり

小(ちい)さき魚は瞳(め)にもとまらず。

                  ――鄕土望景詩――

 

【詩篇小解】 鄕土望景詩(再錄)  鄕土望景詩五篇、 中「監獄裏の林」を除き、 すべて前の詩集より再錄す。「波宜亭」「小出新道」「廣瀨川」等、 皆我が故鄕上州前橋市にあり。 我れ少年の日より、 常にその河邊を逍遙し、 その街路を行き、 その小旗亭の庭に遊べり。蒼茫として歲月過ぎ、 廣瀨川今も白く流れたれども、 わが生の無爲を救ふべからず。 今はた無恥の詩集を刊して、 再度世の笑ひを招かんとす。 稿して此所に筆を終り、 いかんぞ自ら懺死せざらむ。[やぶちゃん注:『再錄す。「波宜亭」』の間には有意な空きがないのはママ。]

 

[やぶちゃん注:短詩ながら、恐らくは萩原朔太郎の詩の中でも最も抒情的なもので、一読、忘れ難い名篇である。

「廣瀨川」は群馬県渋川市・前橋市及び伊勢崎市を流れる利根川水系の一級河川。ウィキの「広瀬川(群馬県)」によれば、『群馬県渋川市で利根川から分かれ』、『前橋市街を南東へ流れる。概ねJR両毛線に沿った形で流れ、伊勢崎市で利根川に合流する。合流点の至近には埼玉県深谷市との県境がある』。『戦国時代まで利根川の本流は広瀬川のあたりを流れていたといわれる。この古利根川は江戸時代には比刀根』(ひとね)『川と呼ばれ、利根川を利用した灌漑用水として整備された。上流部は広瀬用水、途中で分流・合流する桃の木用水と併せて広桃』(ひろもも)『用水、広瀬桃木用水とも呼ばれ』、『古くは江戸から物資などを運ぶ舟運などで栄えたが、現在では親水施設を整備し「水と緑と詩の町」として前橋市のシンボルとなっている』とある。広瀬川右岸の比刀根橋近くに本篇を刻んだ詩碑が建つが、川面に面するように道路と地下歩道通路の向こう側に建てられており、グーグル・ストリート・ビューでは碑の裏面(右手にのみ支える石柱が見え、建碑クレジットが確認出来る)しか見えない。なお、個人(松永捷一氏)サイト「高校物理講義のノートとつれづれの記」の「前橋の詩碑」の中の「廣瀬川」に『広瀬川の詩碑』とあって、詩碑前面の画像を載せ、『碑面の左側の柱は、旧萩原家の門柱の一本を記念として使用している』とある。碑の独特の形状と、昭和四五(一九七〇)年五月に『設置された』とあるので、これに間違いない。グーグル・マップ・データに切り替えると、ここの河岸で、広瀬川の現流域が確認出来る。

 後の昭和一四(一九三九)年創元社刊の散文詩集「宿命」の散文詩(というより多数の旧詩を用いた追懐感想である)「物みなは歲日と共に亡び行く」(添え題は「わが故鄕に歸れる日、ひそかに祕めて歌へるうた。」)の冒頭では、本篇をよりブルージ―にインスパイアした詩篇を掲げて、以下のように語り出している。

   *

 

物(もの)みなは歲日(としひ)と共に亡び行く。

ひとり來てさまよへば

流れも速き廣瀨川。

何にせかれて止(とど)むべき

憂ひのみ永く殘りて

わが情熱の日も暮れ行けり。

 

 久しぶりで故鄕へ歸り、廣瀨川の河畔を逍遙しながら、私はさびしくこの詩を誦した。

 物みなは歲日(としひ)と共に亡び行く――鄕土望景詩に歌つたすべての古蹟が、殆んど皆跡方もなく廢滅して、再度(ふたたび)また若かつた日の記憶を、鄕土に見ることができないので、心寂寞の情にさしぐんだのである。

 全く何もかも變つてしまつた。昔ながらに變らぬものは、廣瀨川の白い流れと、利根川の速い川瀨と、昔、國定忠治が立て籠つた、赤城山とがあるばかりだ。

   *

同散文詩はエンディングでも、

   *

 

物みなは歲日(としひ)と共に亡び行く――。

ひとり來りてさまよへば

流れも速き廣瀨川

何にせかれて止(とど)むべき。

        ――廣瀨河畔を逍遙しつつ――

 

   *

やや表現を変えたリフレインで終曲している。

 初出誌は未詳。現行知られた先行する初出は大正一四(一九二五)年新潮社刊の「純情小曲集」である。以下に示す。

   *

 

   廣瀨川

 

廣瀨川白く流れたり

時さればみな幻想は消えゆかん。

われの生涯(らいふ)を釣らんとして

過去の日川邊に糸をたれしが

ああかの幸福は遠きにすぎさり

ちいさき魚は眼(め)にもとまらず。

 

   *

「ちいさき」はママ。]

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