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2020/06/04

石川啄木 詩集「あこがれ」(初版準拠版) 心の聲 (全七章)

 

心 の 聲  ⦅七章⦆

 

    電  光

 

暗をつんざく雷光(いなづま)の

花よ、光よ、またたきよ、

流れて消えてあと知らず、

暗の綻(ほころ)び跡とめず。

 

去りしを、遠く流れしを、

束(つか)の間(ま)、──ただ瞬きの閃(ひら)めきの

はかなき影と、さなりよ、ただ『影』と

見もせば、如何に我等の此生(このせい)の

味(あぢ)さへほこる値(あたひ)さへ、

たのみ難なき約束(かねごと)の

空(あだ)なる無(む)なる夢ならし。

 

立てば、秋くる丘の上、

暗いくたびかつんざかれ、

また縫(ぬ)ひあはされて、電光(いなづま)の

花や、光の尾(を)は長く、

疾(と)く冷やかに、縱橫(じうわう)に

西に東にきらめきぬ。

 

見よ、鋼色(くろがね)の空深く

光孕(はら)むか、ああ暗は

光を生(う)むか、あらずあらず。

死(し)なし、生(せい)なし、この世界、

不滅(ふめつ)ぞただに流るるよ。

ああ我が頭(かうべ)おのづと垂(た)るるかな。

かの束の間の光だに

『永遠(とは)』の鎖(くさり)よ、無限の大海(おほうみ)の

岸なき波に泳(をよ)げる『瞬時(またたき)』よ。

影の上、また夢の上に

何か建(た)つべき。來(こ)ん世の榮(はえ)と云ふ

それさへ遂にあだなるかねごとか。

ただ今我等『今』こそは、

とはの、無限の、力なる、

影にしあらぬ光と思ほへば、

散りせぬ花も、落ち行く事のなき

日も、おのづから胸ふかく

にほひ耀(かゞや)き、笑み足りて、

跡なき跡を思ふにも

隨喜(ずゐき)の淚手にあまり、

足行き、眼むく所、

大いなる道はろばろと

我等の前にひらくかな。

           (甲辰十二月十一日)

 

[やぶちゃん注:「縱橫(じうわう)」のルビはママ。歴史的仮名遣は「じゆうわう」でよい。「泳(をよ)げる」もママ。

第二連の「たのみ難なき約束(かねごと)の」は私にはどうも不審がある。「たのみがたなき」としか読めない。「たのみなんなき」は前後からあり得ない意味となるので感覚対象外の読みであるが、「たのみがたなき」も、これ、どうも語としておかしい。「頼みにする」ことが「難しい」ことは「ない」「約束」という部分否定では、詩語として如何にも臭いし、第一、弱過ぎる。ここは啄木の意識では「たのみ難(がた)かる約束(かねごと)の」或いは音数律を無視するなら、時制を正しく「たのみ難(がた)かりし約束(かねごと)の」なのではないのか? 私の読みが誤っているというのであれば、御指摘戴きたい。

 なお、この七章から成る「心の聲」詩群は、実際にはソリッドに纏めて発表されたものではない。但し、末尾クレジットによってこれらが纏まって書かれた事実は変わらない。以上の「電光」と次の「祭の夜」の二篇は総題もここと同じ「心の聲」で、『明星』明治三八(一九〇五)年一月号に発表された。初出形原本を「国文学研究資料館 電子資料館」の「近代書誌・近代画像データベース」のこちらで読むことが出来る。]

 

 

   祭 の 夜

 

踊(をど)りの群(むれ)の大(おほ)なだれ、

酒に、晴着(はれぎ)に、どよめきに、

市の祭(まつり)の夜の半ば、

我は愁ひに追はれつつ、

秋の霧野(きりの)をあてもなく

袂も重くさまよひぬ。

 

步みにつれて、迫りくる

霧はますます深く閉(と)ぢ、

霧をわけくる市人(いちびと)の

祭のどよみ、漸々(やうやう)に

とだえもすべう遠のきぬ。

 

やがて名もなき丘の上、

我はとまりぬ、墓石(はかいし)と。――

寄せては寄する霧の波、

その波の穗(ほ)と音もなく

なびく尾花(をばな)は前後(まへしりへ)、

我をめぐりぬ、城の如。

 

すべての聲は消え去りて、

ここに大(だい)なる聲充(み)てり。

すべての人はえも知らぬ

ここに立ちたれ、神と我。

 

我ひざまづき、聲あげて

祈りぬ、『あはれ我が神よ、

爾(なんぢ)を祭(まつ)る市人(いちびと)の

舞樂(ぶがく)の庭に行きはせで、

などかは、弱きこの我を

さびしき丘に待ちはせし。

語れよ、語れ、何事も

きくべきものは我のみぞ。

我は爾(なんじ)の僕(しもべ)よ、』と。

答ふる聲か、犇々と

(力あるかな、)深霧(ふかぎり)は

二十重(はたへ)に捲(ま)きぬ、我が胸を。

           (甲辰十二月十一日)

 

 

   曉  霧

 

熟睡(うまい)の床をのがれ行く

夢のわかれに身も覺(さ)めて、

起きてあしたの戶に凭(よ)れば、

市の住居(すまゐ)の秋の庭

閉(と)ぢぬる霧の犇々(ひしひし)と

迫りて、胸にい捲き寄る。

 

ああ淸らなる夢の人、

溷(にご)る巷(ちまた)の活動の

塵に立つべく、今暫し、

汝(な)が生命(せいめい)の淨(きよ)まりの

矜(ほこ)り思へと霧こそは

寄せて魂(たま)をし包むかな。

             (甲辰十二月十二日)

 

[やぶちゃん注:「すまゐ」はママ。この「居」は当て字に過ぎず、歴史的仮名遣は「すまひ」が正しい。最終連二行目の「巷」は底本では(くさかんむり)に「大」と(「氾」-「氵」)を立に組んだ奇妙な字体であるが、表記出来ない。筑摩版全集も「巷(ちまた)」であり、同全集の初出も「巷(ちまた)」であるので、それで表記した。

 初出は『太陽』明治三八(一九〇五)年二月号で一篇のみの単独発表である。有意な異同は認められない。]

 

 

   落 葉 の 煙

 

靑桐(あをぎり)、楓(かへで)、朴(ほう)の木の

落葉(おちば)あつめて、朝の庭、

焚(た)けば、秋行くところまで、

けむり一條(ひとすぢ)蕭條(しやうでう)と

蒼小渦(あをさゝうづ)の柱(はしら)して、

天(あめ)のもなかを指ざしぬ。

 

ああほほゑみの和風(やはかぜ)に

搖(ゆ)りおこされし春の日や、

またあこがれの夏の日の

日熾(ひざか)る庭に、生命の

きほひの色をもやしける

榮(さかえ)や、如何に。──消えうせぬ、

過ぎぬ、ほろびぬ、夢のあと。

今ただ冷ゆる灰(はい)のこし、

のぼる煙も、見よやがて、

地(つち)をはなれて、消えて行く。──

 

これよろこびのうたかたの

消ゆる嘆きか、悲しみか。

さあれど、然(さ)れど、人よ今

しばし淚を抑(をさ)へつつ、

思はずや、この一條(ひとすぢ)の

きゆる煙のあとの跡。

 

春ありき、また夏ありき。──

その新心地(にひごゝち)、深綠(ふかみどり)、

再び、永遠(とは)にここには訪ひ來(こ)ぬや。

よし來(こ)ずもあれ。さもあらば、

この葉を萠(も)やし、光を、生命を

あたへし力(ちから)、ああ其『力』、また、

今この消ゆる煙ともろともに

消えて、ほろびて、あとなきか。

見ゆるものこそ消えもすれ、

見えざる光、いづこにか

消ゆべき、いかに隱るべき。

 

さらば、ただこの枯葉さへ、

薄煙(うすけむり)さへ、消えさりて、

却(かへ)りて見えぬ、大いなる

高き力ともろともに、

渾(すべ)ての絕えぬ生命の

奧の光被(くわうひ)に融けて入る

不朽のいのち持たざるか。

人よ、にはかに『然(さ)なり』とは

答ふる勿れ。されどかく

思ふて、今し消えて行く

けむり見るだに、うす暗き

淚の谷(たに)に落とすべく、

われらのいのちあまりに尊ときを

値多きを感ぜずや。

           (甲辰十二月十二日)

 

[やぶちゃん注:この一篇、実は原本ではかく「241」ページ以降の版組がまたしてもおかしくなって、これまでの本文活字で二字分全体が下がってしまっている。これはノンブル位置から見ても、疑いようのない組変更が成されてあるのだが、どう考えても、印刷者(晒しておくと「京橋區四紺屋町」の「株式會社」「秀英舍」である)のミスである。前の組間違えで下がった位置から、またしてもこれ以上下がったら、どうなるの? と心配したくなる限界にまできている。話にならない酷い仕儀である。流石にそれを再現する意味はないので、通常通り、続けてある。なお、「朴(ほう)」のルビはママ。歴史的仮名遣は「ほほ」が正しい。初出もこうなっているから、啄木の習慣的誤用と思われる。「蕭條(しやうでう)」「灰(はい)」「抑(をさ)へ」のルビもママ。

「光被(くわうひ)」は本来は「光が広く隈なく行き渡ること」を指す。但し、ここでは生命の根源の神秘性をハレーションする映像でイメージしたものであろう。丁度、キューブリックの映画「二〇〇一年宇宙の旅」の最後の「スター・ゲート」のようなものである。

 初出は『太陽』明治三八(一九〇五)年三月号で一篇のみの単独発表である。中間部にかなり激しい改変部が見られるので、初出形を示す。読みは総ルビであるが、一部に留めた。

   *

 

   落 葉 の 煙

 

靑桐、楓、朴(ほう)の木の

落葉あつめて、朝の庭、

焚けば、秋行くところまで、

煙ひと條(すぢ)蕭條(せうでう)と

蒼小渦の柱して、

天のもなかを指ざしぬ。

 

甞ては春の和風に

搖りおこされて微笑(ほゝゑ)める、

あしたもありき。夏の日の

日熾る庭に、生命の

きほひの色をもやしける

榮もありき。──それすでに

過ぎぬ、ほろびぬ。あはれ葉(は)や、

今ただ冷ゆる灰(はひ)殘し、

のぼる煙(けぶり)も、見よ、やがて

地(つち)をはなれて、消えて行く。──

 

これ喜びのうたかたの

消ゆる嘆きか、悲しみか。

然あれど、然れど、人よ今、

暫し淚(なんだ)を抑へつゝ、

思はずや、この一條の

消ゆる煙(けぶり)のあとのあと。

 

嘗てこの世に春あり、夏ありき。

再び、春は新の生命を

みちびき來(きた)る事なきか。

この葉を萠やし、光を、深綠(しんりよく)を

あたへし力、ああ其『力』こそ、

今この消ゆる煙ともろともに

消えて、滅びて、あとなきか。

消ゆると云ふも、そはただ我れ人(ひと)の

二つ眼(まなこ)身難(みがた)き境(さかひ)と

かくれ去(い)めてふ事にはあらざるか。

 

さらば、ただこの枯葉さへ

薄煙(うすけぶり)さへ、消え去(い)りて

却りて見えぬ大いなる

高き力ともろともに

渾ての絕えぬ生命の

奧の光被に融けて入る

不朽のいのち持たざるか。

 

人よ、にはかに『然なり』とは

答ふる勿れ。されど斯く

思ふて、今し消えて行く

煙(けぶり)見るだに、うすくらき

淚(なんだ)の谷に落とすべく、

我らのいのち餘りに尊(たふと)きを

値多(あたひおほ)を感ぜずや。

 

   *]

 

   古 瓶 子

 

うてば坎々(かんかん)音さぶる

素燒(すやき)の、あはれ、煤(すゝ)びし古瓶子(ふるへいじ)、

注(つ)げや、滓(をり)まで、いざともに

冬の夜寒(よざむ)を笑はなむ。

 

今宵(こよひ)雪降る。 世の罪の

かさむが如く、暇(ひま)なく雪は降(ふ)る

破庵(はあん)戶もなき我なれば

妻なり、子なり、ああ汝(なんぢ)。

 

わらへよ、村酒(そんしゆ)一醉(いつすゐ)は

寒さも貧(ひん)もをかさぬ我が宮ぞ。

去れ、去れ、淚、かなしみよ、

笑ふによろし古瓶子(ふるへいじ)。

 

世の罪つちに重(かさ)む如、

ふりぬ、つもりぬ、荒野の夜の雪。

雪は座(ざ)にまで舞(ま)ひ入りて

燭臺(しよくだい)のともし盡きなんず。

 

酒早やなきか、それもよし、

灰となりぬる、寒爐(かんろ)の薪(まき)も、早や。

よし、よし、さらば古瓶子、

汝(なれ)を枕に世外(せぐわい)の夢を見む。

          (甲辰十二月二十二日)

 

[やぶちゃん注:「坎々」中が空になっているものや鼓(つづみ)などを叩くオノマトペイア。

「古瓶子」口縁部が細く窄(すぼ)まる、比較的、小型の器様(うつわよう)の壷の一種で、主に酒器として用いられた。神具として御神酒を入れる容器を想起されればよい。

「村酒」田舎で醸造した酒。地酒。

 初出は『時代思潮』明治三八(一九〇五)年二月号で、次の「救濟の綱」と本篇と次の次の「あさがほ」の三篇の発表である。]

 

 

   救 濟 の 綱

 

わづらはしき世の暗の路に、

ああ我れ、久遠(くをん)の戀もえなく、

狂ふにあまりに小さき身ゆゑ、

ただ『死』の海にか、とこしへなる

安慰よ、眞珠(またま)と光らむとて、

渦卷(うづま)く黑潮(くろしほ)下(した)に見つつ、

飛ばむの刹那(せつな)を、犇(ひし)と許(ばか)り、

我をば搦(から)めて巖(いは)に据(す)ゑし

ああその力(ちから)よ、信(しん)のみ手の

救濟(すくひ)の綱(つな)とは、今ぞ知りぬ。

 

[やぶちゃん注:これのみ最後のクレジットがない。落したか、次の「あさがほ」と同じで連作性が強い(という風には読めないが)ということか。初出との有意な異同を認めない。]

 

 

   あさがほ

 

ああ百年(ひやくねん)の長命(ちやうめい)も

暗の牢舍(ひとや)に何かせむ。

醒(さ)めて光明(ひかり)に生(い)くるべく、

むしろ一日(ひとひ)の榮(はえ)願(ねが)ふ。

 

寢(ね)がての夜のわづらひに

昏耗(ほほ)けて立てる朝の門(かど)

(これも慈光(じくわう)のほほゑみよ、)

朝顏を見て我は泣く。

         (甲辰十二月二十二日夜)
             『心の聲』畢

 

[やぶちゃん注:初出との有意な異同を認めない。]

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