北原白秋 抒情小曲集 おもひで (初版原拠版) 太陽
太陽
太陽は祭日の喇叭(らつぱ)のごとく、
放たれし手品つかひの鳩のごとく、
或は閃めく藥湯(やくたう)のフラフのごとく、
なつかしきアンチピリンの粉(こな)ごとし。
太陽は紅く、また、みどりに、
幼年の手に回(まは)す萬華鏡(ひやくめがね)のなかに光り、
穀物の花にむせび、
薄きレンズを透かしてわが怪しき函のそこに、
微(ほの)かなる幻燈のゆめのごとく、また街(まち)の射影をうつす。
太陽はまた合歡(カウカ)の木をねむらせ、
やさしきたんぽぽを吹きおくり、
銀のハーモニカに、秋の收穫(とりれ)のにほひに、
或は靑き蟾蜍(ワクド)の肌に觸れがたき痛みをちらす。
太陽は枯草のほめきに、玉蜀黍(たうもろこし)の風味に、
優しき姉のさまして勞(いたは)れども、
太陽は太陽は
新らしき少年の恐怖(おそれ)にぞ――身と靈との變りゆく秘密にぞ、
あまりにも眩ゆき判官(はんぐわん)のまなざしをもて
ああ、ああ、太陽はかにかくに凝視(みつ)めつつ脅かす。
[やぶちゃん注:「藥湯(やくたう)のフラフ」「藥湯(やくたう)」は銭湯或いは天然温泉で、「フラフ」は語源に諸説あるが、オランダ語の「旗」を意味する「Vlag」を採っておく。ここはそうした「薬湯」であることを示した幟旗(のぼりばた)の意と解釈する。
「アンチピリン」アンチピリン(国際一般名・英国一般名:Phenazone/アメリカ英語一般名:Antipyrine)はピラゾロン(pyrazolone)誘導体であるサリチル酸(salicylic acid)様の鎮痛解熱薬の一つで、頭痛・リウマチ・月経痛などに用いられる。体温調節中枢に作用し、皮膚血管を拡張することにより、熱の放散を活発にするが、副作用としてピリン疹や血液障害を生ずることがある。ドイツ人化学者ルートヴィヒ・クノール(Ludwig Knorr)が初めて合成し、一八八三年に特許を取得した(以上はウィキの「アンチピリン」及びそのリンクする英語版で一部を修正した)。一八八三年年は明治十六年で北原白秋の生まれる二年前であり、従ってこの薬剤名はトビっきりの新薬の名であることになる(本詩集は明治四四(一九一一)年刊行であっても、本詩篇は少年期の記憶(という設定)だからである)。
「合歡(カウカ)」既出既注。マメ目マメ科ネムノキ亜科ネムノキ属ネムノキ Albizia julibrissin。なお、後の昭和三(一九二八)年アルス刊の北原白秋自身の編著になる自身の詩集集成の一つである「白秋詩集Ⅱ」の本篇(国立国会図書館デジタルコレクションの当該ページ画像)でもここに関しては『カウカ』と同じルビが振られている。私の最も偏愛する花である。
「蟾蜍(ワクド)」ヒキガエル(両生綱無尾目ナミガエル亜目ヒキガエル科ヒキガエル属ニホンヒキガエル Bufo japonicus)のこと。二〇〇七年南方新社刊の坂田勝氏の「かごしま弁入門講座 基礎から応用まで」によれば、鹿児島の大隅地方では、「ひきがえる」の方言でも『ワクド系の「ワッドラ」と呼ぶ地域が多い。「ワクド」の「クド」は古語で「かまど」を指し、「ひきがえる」は家や家の中心である「かまど」を守るという俗信がある』とある。この連はかなり技巧が施されてあり、描出主体は「太陽」で、それ「はまた合歡(カウカ)の木をねむらせ、」「やさしきたんぽぽを吹きおく」るけれども、「銀のハーモニカに、」また、「秋の收穫(とりれ)のにほひに、」「或」いは「靑き蟾蜍(ワクド)の肌に」対して、「觸れがたき痛み」(触れなば、激しい疼痛を引き起こすような眩暈の痛み)「をちらす」というのである。
「あまりにも眩ゆき判官(はんぐわん)のまなざしをもて」私は「九郎判官義経の眼差しのような魅力的にして『あまりにも』鋭い感じの眼差しの如く」の意で採る。]
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