石川啄木 詩集「あこがれ」(初版準拠版) 白鵠
白 鵠
愁ひある日を、うら悲し
鵠(かう)の啼く音の堪へがたく、
水際(みぎは)の鳥屋(とや)の戶をあけて
放(はな)てば、あはれ、白妙(しろたへ)の
蓮(はす)の花船(はなぶね)行くさまや、
羽搏(はう)ち靜かに、秋の香の
澄(す)みて雲なき靑空を、
見よや、光のしただりと、
眞白き影ぞさまよへる。
ああ地(ち)の悲歌(ひか)をいのちとは
をさなき我の夢なりし。
ひたりも深き天(あめ)の海(うみ)
一味(いちみ)のむねに放(はな)ちしを
白鵠(びやくかう)に何うらむべき。
落とす天路(てんろ)の歌をきき、
ましろき影をあふぎては、
寧ろ自由(まゝ)なる逍遙(さまよひ)の
遮(さへぎ)りなきを羨(うらや)まむ。
(乙巳一月十八日)
[やぶちゃん注:クレジットの干支が変わった。「きのとみ」で明治三八(一九〇五)年である。
「白鵠」は「くくひ/くぐひ(くくい・くぐい)」で、白鳥の古名である。カモ目カモ科 Anserinae 亜科 Cygnus 属の七種の内、「白」をわざわざ冠しているから、コクチョウ(黒鳥)Cygnus atratus(オーストラリア固有種であるが、日本(茨城県・宮崎県)に移入されている)や本邦に棲息しないクロエリハクチョウ Cygnus melancoryphus などを除いた以下三種の孰れかとなる。コブハクチョウ Cygnus olor・オオハクチョウ Cygnus cygnus・コハクチョウ Cygnus columbianus。
初出は『はがき新誌』明治三八(一九〇五)年三月号。有意な異同を認めない。]
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