北原白秋 抒情小曲集 おもひで (初版原拠版) かりそめのなやみ
かりそめのなやみ
ゆく春のかりそめのなやみゆゑ
びいどろの薄き罎に
肉桂水(につけい)を入れて欲(ほ)し、
カステラの欲し。
鉛の汽車の玩具(おもちや)は
紫の目に痛(いた)し。
銀紙(ぎんがみ)を透かせば黑し。
わが乳母の乳(ちち)くびも汚(きた)なし。
硝子戶に日の射(さ)せば
ザボンの白い花ちりかかり、
なんとなう溫かうして心空腹(ひも)じ。
カステラをふくみつつ、その黃いろなる、
われはかの君をぞ思ふ、
柔かき手のひらのなつかし。
小(ちい)さきその肩のなつかし。
かかる日に、かかる日に、
からし菜の果(み)をとりて泣く人の
その肩に手を置きて、
手を置きて、ただ何となく寄り添ひてまし。
[やぶちゃん注:「肉桂水(につけい)」序のの「8」で既出既注。所謂、シナモンを効かせた「ニッキ水」のこと。]
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