北原白秋 抒情小曲集 おもひで (初版原拠版) 糸車 / 附・萩原朔太郎鑑賞文
糸車
糸車、糸車、しづかにふかき手のつむぎ
その糸車やはらかにめぐる夕ぞわりなけれ。
金(きん)と赤との南瓜(たうなす)のふたつ轉(ころ)がる板の間(ま)に、
「共同醫館」の板の間(ま)に、
ひとり坐りし留守番(るすばん)のその媼(おうな)こそさみしけれ。
耳もきこえず、目も見えず、かくて五月となりぬれば、
微(かす)かに匂ふ綿くづのそのほこりこそゆかしけれ。
硝子戶棚に白骨(はつこつ)のひとり立てるも珍(めづ)らかに、
水路(すゐろ)のほとり月光の斜(ななめ)に射(さ)すもしをらしや。
糸車、糸車、しづかに默(もだ)す手の紡(つむ)ぎ、
その物思(ものおもひ)やはらかにめぐる夕ぞわりなけれ。
[やぶちゃん注:「水路(すゐろ)」はママ。というより、この時代は「水」の「スイ」という音の歴史的仮名遣は「すゐ」と考えられていた。現代では「すい」が正しいことが判っている。
「共同醫館」所謂、共同診療所で、複数の専門の異なる医師が定期的に巡回で診療を行う施設。従って「硝子戶棚に」「ひとり立」ってい「る白骨」は患者への説明用の骨格標本である。
さて、本篇については、萩原朔太郎が「現代詩の鑑賞 詩の構成と技術」(厚生閣昭和五(一九三〇)年刊「日本現代文章講座」第五巻所収。後に萩原朔太郎の単行詩論集「純性詩論」(昭和一〇(一九三五)年第一書房刊)に収録された)の中で採り上げて、かなり細かな分析を行っている。以下に示す(底本は昭和五一(一九五六)年筑摩書房刊「萩原朔太郎全集」第九巻を用いた)。三好達治・北川冬彦の鑑賞の後に続く。
*
北川君の散文的な詩の對蹠[やぶちゃん注:「たいせき」が正しいが慣用読みで「たいしよ(たいしょ)」と読むケースが甚だ多く、朔太郎も失礼乍らそう読んでいる可能性が極めて高い。元来は「足の裏を互いに合わせる」の意で、そこから「正反対」の意である。]として、次に北原白秋氏の詩を引例しよう。北原白秋氏は既に「韻律の詩人」であり、韻文以外のどんな文學をも一切所有しない――散文を書いても自然と韻文になつてしまふやうな種類の――詩人である。そしてそれ故にまた、眞の生れたる天稟[やぶちゃん注:「てんぴん」。天賦。]的の詩人でもある。次に揭げる一篇は、名詩集「思ひ出」の中にある「糸車」と題する詩である。
[やぶちゃん注:ここに題名を除いた本詩篇が入る。但し、
・「金(きん)」「轉(ころ)がる」「間(ま)」のルビがない。
・『「共同醫館」』の前後の鍵括弧表記がない上に、「純正詩論」では「醫館」を「醫院」と誤っている。
・「留守番(るすばん)」のルビもない。
・致命的なのは、その次の一行空けが存在せず、インターミッションがなく、全一連で示されてしまっていることである。
・また同じく致命傷として「微(かす)かに」を「仄かに」と誤り、しかもルビを振っていないために、読者は皆、「ほのかに」と誤って訓じてしまう。
・「綿くづ」は「綿屑」、「ゆかしけれ」は「床しけれ」と漢字にされてある。
・「白骨(はつこつ)」のルビはなく、「珍(めづ)らかに、」のルビと最後の読点さえも除去されてある。
・「水路(すゐろ)」のルビなく、「斜(ななめ)」はルビなしで「斜め」となり、「射(さ)すも」のルビもない。
・「紡(つむ)ぎ、」もルビと読点を勝手に除去している。
・「物思(ものおもひ)」はルビなく、代わりに「夕」に『ゆふべ』と勝手にルビする。
と甚だ酷(ひど)い引用となっている。萩原朔太郎は他者の文章や詩篇をこのように勝手に改変・改竄してしまう異様な癖がある。自身の内在律に従って、それをある意味で半ば無意識、半ば正統という確信犯でやっているとも思われるような病的な可能性さえも疑われるほどである。恐らく、彼は自分の詩がこんなことをされたら黙っている男ではなかったと請けがっておく。これが――「てふ」は「ちょう」ではなく「てふ」と発音すべきだ――と豪語した男の実体であることは、知っておかれた方が大失望の危険がアブナくないと思う(但し、私は詩人としては萩原朔太郎を最も偏愛してはいる)。]
この詩の表現しようとしてゐるものは、一つのイマヂナリイの、官能の夢の中に漂ふ仄かな淡い悲しみである。ところで言語は、さうした「官能の夢」を語り得ない。それを語り得るものは、世界にただ音樂あるのみである。そこで詩人は、かうした場合に音樂家に變つてしまふ。卽ち彼の文學する言葉を、そのまま樂器に變へて使用するのである。「如何にせば言葉を樂器に變へ得るか?」詩作上に於けるこの最も重要な技巧を知らうとするものは、先づこの詩について學ぶがよい。
「糸車、糸車、しづかにふかき手のつむぎ」先づ冒頭の一行を讀め。默讀でも好いから、靜かに繰返して讀んで見給へ。何といふ落付いた、靜かな美しい音樂があることだらう。糸車、糸車と二つ言葉を重ねたのは、車が𢌞轉する感じを、現はすためであり、最も有效に使用されてゐる。次の「しづかにふかき手のつむぎ」で fukaki と tumugi との間における、音韻の徵妙な中和性を味つてみる必要がある。それが丁度糸車の音もなく靜かに𢌞つてゐる柔らかい感じを現してゐるのである。これがもし「しづかにふかき」でなく「しづかに𢌞す」であつたとしたら、到底かうした美しい音樂は構成されない。諸君が詩作する場合に於ては、何よりも先づかうした音樂の構成に注意し、一語一語の音韻に注意することが必要である。
「その糸車やはらかにめぐる夕ぞわりなけれ」で前の行を受け、詩の第一節が終つてゐる。ここまで讓み續けて來ると、あたかも黃昏の物佗しい世界の中で、音もなく靜かに𢌞つてゐる糸車の響が、ほのかな心の耳に聽えて來る感じがする。そしてここまでは、人間もなく景物もなく、どこか知れない宇宙の中で、ただ糸車だけが獨りで𢌞つてゐるのである。次の行に移つてから、初めてそれの空間的所在が明示されて來る。卽ちそれは「金と赤との南瓜のふたつ轉がる共同醫館の板の間に、ひとり坐りし留守番の媼(おうな)」が𢌞してゐる糸車なのである。かくの如く、初めにぼんやりと糸車を出し、次にその位置や所在を明示するのは、漠然たる夢の印象を初めに强く感じさせ、後に次第に現實を見せるための手法であつて、かうしたイマヂナリイの詩の構成上では、最も有效に用ゐられる技術である。
さてここで「金と赤との南瓜」を點景したのは、奇想天外の着想であり、且つ如何にも白秋氏らしい技巧である。前の二行を讀み終つて、靜かな黃昏のやうな情緖に浸つてゐる讀者は、この奇警な南瓜に打つかつて、急に眠から起されたやうに喫驚させられる。詩に於けるこの「不意打ち」は、白秋氏ばかりでなく、多くの詩人の好んでやる手法であつて、詩の單調を破り、變化と刺激をあたへる爲に最も有效な手段である。詩もやはり戰術と同じく、常に讀者の豫期しない意想外の隙をねらつて、一時敵をまごつかせ、混亂に陷らせる工夫が必要である。しかしその混亂は、後の行の進行と共に、直ちにまた整理され、安靜の狀態に引きもどされるやう、十分に用意されたる不意打ちでなければならない。白秋氏の詩の場合では、この「金と赤」とが色彩してゐるトカゲのやうな感覺を、詩のイメーヂしてゐる官能の世界の中で、仄かに這ひ步く神祕な物影に漂はしてゐる。そしてこの巧妙な手品の種は、後にだんだんと解つてくる。
ここでまた「共同醫館」といふイメーヂを配景したのは、或る田舍風の、臺所などの廣くひつそりとした物侘しい地方の古い醫院を思はせる爲である。つまり「共同醫館」といふ言葉の中に、あまり患者の來ない、田舍の古く寂びれた醫院を思はせるやうなイメーヂがあるからで、詩を作る人たちは、かうした言葉の聯想性に對して敏惑でなければならない。その薄暗く、佗しくひつそりとした共同醫院の臺所に、田舍から雇はれた留守番の老婆が、ひとりで音もなく糸車を𢌞してゐる。その臺所の暗い隅には、永遠の靜物のやうに、南瓜が二つ點がつてゐる。すべてが靜かに沈默して、黃昏のやうな意味をもつた詩境である。
第二聯に移つて「耳もきこえず、目も見えず」の次に「かくて五月となりぬれば」と續け、ここで急に調子を變へて高くしてゐる。この轉調もまた讀者にとつて不意打ちである。「耳もきこえず、目も見えず」の沈んだ陰氣の詩句を續けて、不意に「かくて五月となりぬれば」の朗々とした明るい調子が、大洋の浪のやうに急に盛り上つて來ようとは、だれにも豫期できないことである。だがこの不意打ちは、何といふ心地よい不意打ちだらう。前の陰氣な詩句をうけて、心が低く沈んでゐるところへ、急にこの海潮音のやうな、五月の薰風のやうな詩句が出るので、一時にさつと胸がひらけて、心が自ら靑空高く飛翔して來る。實に詩の魅力する所以の不思議がここにあるので、音樂を持たない散文では、到底この樂しい魔法は使へないのである。
次行に移つて「仄かに匂ふ綿屑のそのほこりこそ床しけれ」は、前行の五月を受け、初夏新綠の頃の明るい空氣を、官能のちらばふ綿屑の影に匂はせたのである。「硝子戸棚に白骨のひとり立てるも珍らかに」とここで「白骨」を出したのは醫者の家であるから當然の話であるが、詩の構成上の手法としては、硝子戸棚と共に或る冷たい、空氣のひえびえとした感覺を匂はせるためのテクニックである。そして尙ほこの「白骨」は、第一聯の「金と赤の南瓜」に於ける色彩の刺戟的なイメーヂと對照して、詩の背後に或る縹渺とした神祕的の夢を影づけてゐる。そこで次行の「水路のほとり月光の斜めに射すもしをらしや」が、前行の冷たい空氣の感覺を受けつぎながら、同時にまたその銀色の月光で、詩境の背後にある神祕の夢を照らさせるべく、巧みに用意深く構成されてゐるのである。
詩がここまで進んで來た時、もはや老婆の影は何所かに消えて無くなつてゐる。この詩の表象しようと意志したものは、糸車をくる老婆の姿ではなくして、そのモチーヴの音樂が象徵するところの、或る縹渺とした、言葉では觀念が捕捉できない、一つの純官能的なイメーヂなのである。故に詩の最後になつては、老婆も、南瓜も、臺所も、共同醫館も、すべて皆どこかへ消えてなくなつてしまつてゐる。そしてただ「糸車、糸車、しづかに默す手のつむぎ、その物思ひやはらかにめぐる夕ぞわりなけれ。」のモチーヴだけが、再度また最初のやうにどこかの時空の中で夢のやうに聽えて來る。かくて首尾相合し、詩が完全に終つてゐるので、實に白秋氏のこの詩の如きは、構成上に於ても技巧上に於ても、名人の至藝を盡した名作である。讀者は百の駄詩をいたづらに讀むよりは、かうした名作一篇を硏究して、よろしく自ら自得すべきである。
*
引用は酷(むご)いが、解析はすこぶる的確である。但し、一言言うと、私は留守の媼は板敷の待合室で糸車を回していていいし、二つの南瓜が転がっているのも、そこでいい。台所である必要は、私には、ない。また、白秋の詩篇全体の意図は「糸車に巻き取られてゆく糸」に表象されるところの儚い命の夢、限られた生の死への順調なる傾斜、「媼=魔女」の「紡ぐ生と死の糸車」へのメタモルフォーゼに他ならぬと私は感じている。その点で、硝子戸棚の中の骨格標本はケタケタと笑ってよいのだとさえ、思うていることを言い添えておく。]
« 北原白秋 抒情小曲集 おもひで (初版原拠版) 赤い木太刀 | トップページ | 北原白秋 抒情小曲集 おもひで (初版原拠版) 水面 »