石川啄木 詩集「あこがれ」(初版準拠版) 靑鷺
靑 鷺
隱沼添(こもりぬぞ)ひの丘(をか)の麓(を)、
漆(うるし)の木立(こだち)時雨(しぐ)れて
秋の行方(ゆくへ)をささと
たづねて過(す)ぎし跡や、
靑鵲色(やまばといろ)の霜(しも)ばみ、
斑(まば)らの濡葉(ぬれば)仄(ほの)に
ゆうべの日射(ひざし)燃(も)えぬ。
野こえて彼方(かなた)、杉原(すぎはら)、
わづかに見ゆる御寺(みてら)の
白鳩(しらはと)とべる屋根(やね)や、
さびしき西の明(あか)るみ、
誰(た)が妻(つま)死ねる夕ぞ、
鐃鈸(ねうばち)遠く鳴りて、
淚(なんだ)も落つるしじまり。
ゐ凭(よ)れば、漆若樹(うるしわかぎ)の
黃色朽葉(きくちば)はらら、胸に
拱(こま)ぬぐ腕(うで)をすべりぬ。
ふと見るけはひ、こは何、──
隱沼(こもりぬ)碧(あを)の水嵩(みかさ)の
蘆(あし)の葉ひたすほとりに
靑鷺(あをさぎ)下(お)りぬ、靜かや。
立つ身あやしと凝視(まも)るか、
注(そゝ)ぐよ、我に、小瞳(こひとみ)。──
あな有難(ありがた)の姿と
をろがみ心(ごゝろ)、我(われ)今(いま)
鳥(とり)の目(め)底(そこ)に迫(せま)るや、
尾(を)被(かつぎ)ききと啼(な)きて
漆の木立夕つけぬ。
(乙巳二月二十日)
[やぶちゃん注:太字は原本では傍点「ヽ」。
「靑鷺」鳥綱ペリカン目サギ科サギ亜科アオサギ属亜アオサギ亜種アオサギ Ardea cinerea jouyi。私の偏愛する鳥。博物誌は私の「和漢三才圖會第四十一 水禽類 蒼鷺(アオサギ)」を読まれたい。
「靑鵲色(やまばといろ)」ルビ通りなら、ハト目ハト科キジバト属キジバト Streptopelia orientalis であるが、キジバト(異名は「山鳩」)の色はアオサギとは似ていない。民俗社会では「灰色がかった緑色」のことを広汎に「山鳩色」と称し、それどころか、アオサギのことを「靑鵲」とも書くのである。これ以上、調べる気は起らない。
「鐃鈸(ねうばち)」現代仮名遣「にょうばち」。濁音化せずに「にょうはち」とも。禅宗の法会ではお馴染みの仏具である。「曹洞宗近畿管区教化センター」公式サイト内の「鐃鈸」より引く(現物の写真有り)。『鐃鈸は、西洋楽器のシンバルに似ているが、音はそれよりも素朴で太い。紐を指の間に挟んで持ち、上下に擦り合わせるようにして音を出す。力まかせに打ち鳴らしても美しい音は出ない。特に音の余韻を生じさせるために、双方を微妙に触れ合うようにするが、ある程度熟練しないとうまく奏でることができない』。『また、上部の端をカチカチと軽く触れ合わせる鳴らし方もある』。『曹洞宗では、施食会などの特別な法要や葬儀で使用する。手鏧(しゅけい)(引鏧(いんきん))・太鼓とセットで鳴らすことが多く、これを「鼓鈸(鉢)(くはつ)」という。俗に「チン・ポン・ジャラン」などと表現される』。『仏さまの徳を讃えたり、諸仏書菩薩をお迎えするため、また亡き人の成仏のために鳴らされる』。『中央がドーム状に突起した円盤形の法楽器』で、『主に銅製』。『両手に持って打ち合わせて音を出す』もので、『妙鉢(みょうはち)・鈸(はつ)ということもある』。とある。
初出は前に述べた通り、『明星』明治三八(一九〇五)年三月号で、総表題「彌生ごころ」で載る。初出形原本を「国文学研究資料館 電子資料館」の「近代書誌・近代画像データベース」のこちらで読むことが出来る。]
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