石川啄木 詩集「あこがれ」(初版準拠版) のぞみ
の ぞ み
一
やなぎ洩る
月はかすかに
額(ぬか)を射(ゐ)て、ほの白し。
かすかなる『のぞみ』の歌は、
砂原にうちまろぶ
若人(わかうど)の琴にそひぬ。
つきかげは
やや傾ぶきぬ。
川柳(かはやぎ)に風やみぬ。
おもへらく、ああ我が望み、
かたぶきぬ、衰ろへぬ。
夢のあと、あはれ何處(いづこ)。
二
月かげの
沈むにつれて、
白き額(ぬか)また垂(た)れぬ。
ああいのち、そはかの薔薇(さうび)、
蕾(つぼみ)なる束(つか)の間(ま)の
まだ咲かぬ夢の色か。
あるは又、
なげきの丘に
ふと萠(も)えし夢小草(ゆめをぐさ)
根をひたすなげきの水に
培(つちか)はれ、かなしみの
犧(にへ)と咲く黃の小花か。
わが望み、
(夢の起伏(おきふし)、)
ゆめなれば、砂の上の
身は既に夢の殘骸(なきがら)、
かたぶきぬ、おとろへぬ、
夢のあと、あはれいづく。
三
月落ちて、
心沈みて、
聲もなき暗の中、
琴は猶、のこる一絃(ひといと)、
雲路(くもぢ)にも星一つ、
『のぞみ』をば地にたたず。
たれし額(ぬか)、
ややにあがりぬ。
彼は云ふ、わが望み、
夢ならば永世(とこよ)の夢よ、
うつり行く『時』の影、
起伏は皆夢ぞと。
わかうどは
きれたる絃(いと)を
星かげにつなぎつつ、
起(た)ちあがり、又勇ましく
ほほゑみて、砂の原
趁(お)ひ行きぬ、生命(いのち)の影を。
(甲辰十一月十九日)
[やぶちゃん注:初出は明治三七(一九〇四)年十二月号『明星』。「国文学研究資料館 電子資料館」の「近代書誌・近代画像データベース」のこちらで初出形を読むことが出来る。但し、有意な異同はない。]
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