北原白秋 抒情小曲集 おもひで (初版原拠版) たはむれ
たはむれ
菖蒲の花の紫は
わが見物のこころかな。
かつは家鴨(あひる)の尻がろに
水へ滑(すべ)るは戲(おど)けたる
道化芝居の女かな。
軍鷄(しやも)のにくきは定九郞か、
與一兵衞には何よけむ。
カステラいろの雛(ひよこ)らは
かの由良さんのとりまきか、
ぴよぴよぴよとよく歌ふ。
禿げた金茶(きんちや)の南瓜(ボウブラ)は
九太夫どのか、伴内か、
靑い蜻蛉(とんぼ)の息絕えし
おかると名づけ水くれむ。
銀の力彌の肩衣(かたぎぬ)は
いちはつぐさか、――雨がへる
ぴよいと飛び出た宙(ちう)がへり、
靑い捕手(とりて)の幕切(まくぎれ)は
ええなんとせう、夜の雨に。
[やぶちゃん注:既に序の「わが生ひたち」の「7」で「定九郞」は浄瑠璃「仮名手本忠臣藏」五段目に登場する人物であることを注したが、以下、「與一兵衞」(よいちべえ:現代仮名遣。以下同じ)・「由良」(ゆら)・「九太夫」(くだゆう)・「伴内」(ばんない)・「おかる」・「力彌」(りきや)も総て同外題の登場人物である。私は判るので注は附さない(私は大阪国立文楽劇場で通し狂言(丸一日)で総て見ている)。ウィキの「仮名手本忠臣藏」にかなり詳しい全体のシノプシスと「主な登場人物」一覧が載るので、判らない方はそちらを参照されたい。
「菖蒲」単子葉植物綱キジカクシ目アヤメ科アヤメ属ノハナショウブ変種ハナショウブ Iris ensata var. ensata。多くの植物識別の苦手な人のために言っておくと、アヤメ(キジカクシ目アヤメ科アヤメ属アヤメ Iris sanguinea)文字通りで花弁(外花被)を覗いて文目(あやめ)模様があるのがアヤメであり、そこに文目がなく、しかも葉に硬い中肋があるのがハナショウブ、文目がなく、しかも葉に中肋がなくて同一の平行脈だけで平滑(手触りで判る)であればカキツバタ(アヤメ属カキツバタ Iris laevigata)である。これが手軽に一瞬で判る識別法である。
「いちはつぐさ」単子葉植物綱キジカクシ目アヤメ科アヤメ属イチハツ Iris tectorum 。アヤメ類の中で一番先に咲くので「一初」である。識別? 外花被中央部に白い鶏冠(とさか)状の突起が目立って抜きん出るので容易に判る、というより、白秋はここで「銀の力彌の肩衣」と言っているのは、「力彌」は大石主税がモデルであるが、作中の姓は大星であり、そこから「銀」の所縁があると同時に、まさにその鶏冠様の突起が花の「肩衣」に見えることからかく洒落たものと読める。嘗ては藁葺き屋根の棟の上に高々と鮮やかに咲いていたものだった。種小名の“tectorum”とは「屋根の」という意で、まさに昔、屋根に植えて大風から家屋を防ぐ「屋根菖蒲」としての呪術的意味をちゃんと持っていたからなのである。是非とも私の「日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第一章 一八七七年の日本――横浜と東京 4 初めての一時間の汽車の旅」や、『小泉八雲 落合貞三郎訳 「知られぬ日本の面影」 第四章 江ノ島巡禮(一)』を読まれたい。私は四十二年前の二十一の時、鎌倉十二所の光触寺への参道沿いの左手にあった藁葺屋根の古民家の棟に開花しているのを嘗ての恋人と一緒に見上げたのが最後であった。]
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