北原白秋 抒情小曲集 おもひで (初版原拠版) 凾
凾
過ぎし日は鍼醫(はりい)の手凾(てばこ)、
天鵝絨(びらうど)の紫の凾、
柔かに手を觸れて、珍らしく
パツチリとひらいた凾、舶來の凾。
銀かな具のつめたさ、
SORI-BATTEN.びらうどのしとやかさ、
そのびらうどに
薄う光る針。
顫える針をつまんで、
GONSHAN の薄い肌(はだへ)を刺すこころ、
やるせない夏の眞晝のその手つき。
つかれと、かなしみと、ものおもひ、
官能の欲(よく)…………
こころにくいほど落ちついて
しんみりと刺す盲人(めくら)の手。
過ぎし日は鍼醫(はりい)の手凾、
天鵝絨(びらうど)の紫の凾、
柔かに手を觸れて、なつかしく、
パツチリと閉(し)めた凾、舶來の凾。
註。 Sori-batten. 然しながら。方言。阿蘭陀訛?
Gonshan. 良家の娘。柳河語。
[やぶちゃん注:「天鵝絨(びらうど)」の読み(ポルトガル語・スペイン語由来で歴史的仮名遣はそのまま「びろうど」でよい)及び「顫える」はママ。視覚上のクロース・アップの連続に、前後で押さえた聴覚上のアクセントが実に心憎い。]
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